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大阪オートメッセ「菅原文太」の愛車“一番星号”が電飾を光らせ甦る!

映画「トラック野郎」に登場した
デコトラが40年ぶりに完全復活!

2月12日(金)〜14日(日)に大阪市インテックス大阪で開催される「大阪オートメッセ」に、映画「トラック野郎」で菅原文太氏の愛車となったど派手な電飾を備えたトラック”一番星号”が、4号館のトラック魂(スピリッツ)ブースに登場する。

一番星号

映画「トラック野郎」の「一番星号」とは

1975年から1979年にかけて製作及び配給された、映画『トラック野郎』。奇才かつヒットメーカーであった故・鈴木則文氏が監督を務めた『トラック野郎』は、菅原文太氏愛川欽也氏が見事なコンビネーションを披露し、瞬く間に大ヒットシリーズとなった。

トラック魂(スピリッツ)では、vol.19で菅原文太氏、vol.24で愛川欽也氏の追悼特集を掲載。さらに現在販売されているvol.32では、復活を遂げた「一番星号」の小冊子を付けている

一作目の「御意見無用」では、Tシリーズのふそう(廃車輛を譲り受けたもの)が一番星号のベース車輛となり、関係者も驚くほどの好成績を記録。そのため、続編の製作決定を受けた二作目の「爆走一番星」からは、一番星号のベース車がふそうのFU型(新古車)へと改められた。
二作目以降、車輛自体はそのままで、飾りや箱のペイントを変更しながら10作目の「故郷特急便」まで、同車は星桃次郎の相棒として活躍したのである。


一度は朽ち果てた個体をファンの熱意と情熱でレストア

映画終了後、一番星号はパチンコ店に展示されていたが、その後は解体屋で朽ち果ててしまっている無惨な姿で発見され、多くのファンを失望させた。
ところが平成2年頃、大阪の有力者によって引き取られ、1年の歳月をかけて見事蘇ることとなる。映画当時のままのパーツはほんの一部だったため、飾りや箱のペイントを当時風に再現。大阪を拠点に多くのファンを喜ばせたものの、排出ガス規制などの事情により走らすことが困難となる。

そして平成26年4月、トラック野郎のカリスマとも言える全国哥麿会の三代目会長、田島順市氏のもとへと嫁ぐことになったのだ。

映画『トラック野郎』の製作及び配給を受けて旗揚げされた全国哥麿会で活躍することとなった一番星号は、驚くべきペースでレストアが展開されてゆき、飾りもより映画当時のスタイルへと再現されてゆくこととなる。

デコトラの証しである「電飾」が点灯できない

しかし、難題とされていたのがナイトシーン。通常のトラックが使用するバッテリーの電圧は24V。当然電球も24Vが使用されているなか、一番星号は劇用車輛という位置付けから日常での使用を視野に入れて製作されていなかった。そのため発電機を装備したうえで100V用の看板用電球を多数使用していたのである。


不可能を可能とするカリスマの熱意

これが原因で大阪時代(平成2年〜25年まで)でもナイトシーンは実現されなかったが、滋賀県の「DKオリジナル」代表であり、デコトラクラブ華翔会の会長でもある生駒雅巳氏がその難題を克服。
平成26年の大晦日に開催された全国哥麿会のイベント会場では不可能とされていた電飾もすべて点灯可能とするなど、常にデコトラファンを魅了し続けている。


映画製作当時の美術監督が
完全監修して復活した「箱絵」

観音扉のペイントも美しく再現されているが、これも単に資料を元に描いたのではなく、当時の東映美術監督であり実際に一番星号の箱絵を原作した、桑名忠之先生の立ち会いのもとで作業は進められた。


描き手は、丁寧かつ確実な仕事ぶりで知られる、福島県の「ネモト功芸社」。桑名先生は映画『トラック野郎』の10作すべてを担当したという、言わば一番星号の生みの親的存在。

そんな偉人たちの強力なタッグにより生まれ変わった、トラック野郎たちの永遠のヒーローである一番星号。最終作「故郷特急便」が公開されてから約37年間という時空を超えて、その当時のスタイルに見事再現された一番星号が、大阪でのビッグイベント「大阪オートメッセ」にその姿を現すことと相成った。
「トラック魂ブース」ではナイトシーンも披露する予定。実際に銀幕を駆け抜けた伝説の車輛が今、ステージを変えて再びデコトラ旋風を巻き起こす……。

(レポート:トラック魂編集部)

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