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昭和から平成初期まで!「高度成長期」に登場した名車9選

新型モデルが登場するたびに
技術と文化が進化をし続けていた

神奈川県横浜市のパシフィコ横浜で開催された「自動車技術展:人とくるまのテクノロジー展2017横浜」で「自動車技術会創立70周年特別企画展示」として、1950年代以降、時代の転換期を革新技術をもって乗り越えたクルマ展示が行なわれていた。
昭和からバブル崩壊までの約30年のクルマをあらためて見ると、じつに良い時代。高度成長期だったと感じさせる9台をピックアップしてみた。

トヨペット・クラウンRSD型(1955年)

当時の通産省は欧米の自動車メーカーとの技術提携を推進していたが、純国産方式を押し通して生産された。国産車のモータリゼーションの出発点と言われるクルマである。

 

スバル・360デラックス(1962年)

国産車で初めてモノコックボディを採用したのがスバル360。航空機製造の技術を大衆車である軽自動車に取り入れて、小型車に劣らない乗り心地、性能を発揮した。

 

トヨタ・カローラKE10(1966年)

当時は珍しい運転席、助手席が分かれたセパレートシートにフロアシフト(4速MT)、そして日本の乗用車としてはじめてフロントにマクファーソンストラットを採用した初代カローラ。「となりのクルマが小さく見えます」というTVCMで、当時としては珍しいライバル日産サニー(1リットルエンジン)との比較広告を展開した。

 

マツダ・コスモスポーツ(1967年)

マツダが生き残りをかけてドイツからロータリーエンジン技術を購入。そして世界初の2ローターロータリーエンジンを搭載したスポーツカーとして初生産した。スタイリングのよさやエンジン以外にもド・ディオンアクスルを採用するなど個性的なメカを持つクルマ。

 

ホンダ・シビックCVCC(1973年)

1970年にアメリカで制定された厳しい排ガス規制(マスキー法)に対して、ホンダはCVCCと呼ばれる副燃焼室を持つエンジンを開発。1972年に世界で初めて規制をクリアした。1972年に登場した初代シビックに、1973年CVCCエンジン搭載モデルを追加。ホンダが自動車目メーカーの地位を確立した技術となった。

 

ダットサン・ブルーバード1800SSS(1979年)

6代目となる日産910型ブルーバード。1982年2月まで小型車クラスの販売において27ヶ月連続トップという記録を持つ。展示車は2ドアハードトップボディに最高出力105馬力(グロス)のZ18型エンジンを搭載。駆動方式はFR。ターボモデルもラインアップ。日産車だが国内でもダットサンの名前が使用された。

 

ニッサン・スカイライン2000ターボRS(1981年)

RSターボではなく、ターボRSが正しい車名。展示車は前期型。FJ20E型というNA2リットル直4DOHCエンジンを搭載したRSが発表された後にターボを組み合わせたFJ20ET型エンジンが追加された。後期は鉄仮面と呼ばれるグリルレスに変更され、205psのインタークーラー付きターボエンジンを搭載。「史上最強のスカイライン」というキャッチコピーが与えられた。

 

ホンダ NSX(1990年)

世界初のオールアルミモノコックボディを採用した初代モデル。ほかにも4チャンネルデジタル制御ABSやトラクションコントロール、SRSエアバッグなど最新技術を搭載していた。展示車は前期型のオートマチックモデル。リトラクタブルライトに3リットルエンジンを搭載。1997年のマイナーチェンジでエンジンは3.2リットル、トランスミッションは5速から6速MTへと変更。オートマチックは4速ATで3リットルエンジンを搭載していた。2001年にはヘッドライトが固定式に変更された。

 

 

ホンダ・レジェンド(1985年)

ホンダ初の3ナンバーセダン。フラッグシップモデルとして登場した初代モデル。発売から2年後のマイナーチェンジで国産車で初めてシートベルト補助乗員保護装置の「SRS・エアバッグシステム」を運転席のみに採用。搭載エンジンは2リットルと2.5リットルだったが、マイナーチェンジでターボエンジン(ホンダ独自のウイングターボ)を追加ラインアップする。

(レポート&撮影:深田昌之)

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