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日産R35GT-Rが劇的に変化したイヤーモデルとは【MY14試乗レポート】

R35GT-Rの第2章は’14年モデルから始まった
長距離ドライブで感じた新たな乗り味とは!?

2007年12月に発売されて以降、毎年進化を遂げてきた日産自動車の「GT-R(R35型)」。
衝撃のデビューから丸10年が経過するが、着実にエボリューションを重ねている(最新型は2017年モデルのMY17)。
そんなR35GT-R史の中で、最も劇的な変化があったのが、開発陣が一新された2014年モデル(通称:MY14)である。歴代スカイラインおよびGT-Rを知り尽くすモータージャーナリスト・西川 淳氏の試乗レポートを振り返ってみたい。

2014年モデルに設定された、600㎰を誇る「GT-R NISMO」の受注が好調で、予定の生産計画では追いつけないほど、らしい(2014年当時)。そう、時代は確かに「MIZNO(前CPSだった水野和敏氏の意)」から「NISMO(ニッサンモータースポーツ)」へと、移り変わったのだ。同時に登場した基準車の2014年モデル(以下、MY14)もまた、R35型GT-R(以下R35)の歴史において大きな節目となるモデル。
そのコンセプト変換は、R35をデビュー当初から追い続けてきた者にとって、フルチェンジ級の衝撃だったかもしれない。

MY13までの水野和敏氏に代わって2013年4月からGT-Rの新チーフ・プロダクト・スペシャリスト(CPS)となった田村宏志氏(以下、敬称略)は、着任第一声で、こう宣言した。
「GT-Rは進化し続ける」と。そして、その“変わらぬ”姿勢は、「開発最初期からの10年超にわたる、地道な試行錯誤の果てに築き上げた揺るぎない基礎」の上だからこそ、これからもまた成り立っていくのだ、と……。この短いフレーズにこそ、田村がGT-Rに注いだ思いの丈の深さと、心機一転たる新たな道筋へのヒントが秘められていた。
なかでも“開発最初期”そして、“10年超”という二つの言葉。それはまさに、田村の意地の表れだ。

最初期とは、(R35の開発が水野の手で正式に始まった)2004年初頭の頃を指しているのではないはずだ。それは、あくまでも2000年に始まった“R34(BNR34型スカイラインGT-R)後継GT-R”の先行開発のころ、であるはず。さらに具体的な成果物で言うなら、それは、2001年の東京モーターショーに出品された“GT-Rコンセプト”のことを指しているだろう。そうでなければ“10年超”という表現にはならない。
GT-Rコンセプトを描き上げたのは、ほかならぬ当時のミスターGT-R、田村宏志その人であった。

2007年12月デビュー後のGT-R“ミズノ”は、田村の目に“地道な試行錯誤”の連続に映っていたのかもしれない。われわれジャーナリストはそれを、モデルイヤーごとの進化、時には深化とさえ呼んできた。結局、水野が目標とした全貌を体験するには至らなかったけれども、進化のプロセスそのものは、凄まじいものだった。
例えば。デビュー後の1年間における急激な進化に戸惑い、MY11における強烈なマイナーチェンジでは手放しで絶賛し、MY13では再びマニアックな方向へと深化を遂げた性能に驚嘆もした。それらをひっくるめて地道な試行錯誤であると、田村がひと言で片付けようとしているようにも聞こえるわけだが、結果的に、その試行錯誤が“揺るぎない基礎”になっているのだと、最後に彼自身もまた認めていることにこそ、われわれは注意を払うべきだろう。

要するに、“モノは素晴らしい”。日本の自動車産業が、否、モノ造りが生んだ最高の素材。それが、GT-R。そのネーミングに、ひと通りではない思いを抱く新シェフ=“田村宏志”は、果たして、MY14となるスタンダードモデルを、いったいどのように調理したのだろうか……。小さなサーキットとその周辺で行なわれた試乗会では、あくまで試食レベル。存分に味わってみるために、2014年1月、われわれは冬の京都へとMY14を走らせた。比較用に、程度のいい初期型のMY08(2008年モデル)も同行。
黒いボディカラーに、明るいオフホワイトのファッショナブルインテリア。新色がどうのこうのという以前に、相変わらず革巻きが似合わないんだよなぁ、と、6年前から諦めたっきりのインテリアを眺めつつ、すでに“懐かしい”という思いに近い感慨を抱いて、スタートボタンを押した。

【↓次ページに続く↓】

走り始めから分かった進化
世界一級のグランツーリズモへ

「ヴォンヴォオーオーオー」。これまた、記憶を呼び覚ますサウンド。
ダークメタルグレーのMY08の後について、ゆっくりと走り出す。使い慣れた東京都内の一般道を走ってみて、改めてGT-R“タムラ”の変化を知る。タイヤのひと転がし目から、明らかに違う。ステアリングフィールが、相当に軽やかだ。
速度を上げると徐々に締まりを増していくのは、最新モードのスポーツモデルに共通するテイスト。一般道の速度領域においては、多少路面が荒れていようとも、ハンドルとフロントアクスルが一体となってドライバーの邪魔をするような、そんなマナーはほとんどない。片道450kmの旅は、拍子抜けするほどフツーに始まったのだった。

首都高速を抜け、空いた東名高速道路をひた走る。直線路の続く新東名はツマラナイのだ。
“旧”東名を使って、美しい海山の風景を楽しみつつ、適度に曲がりくねった道程を走るのが、月に平均3度、東京〜京都をクルマで往復するボクの流儀である。
まずは、富士川SAまでMY14を駆ることにした。時々リードしながらも、流れに逆らうことなく、淡々としたクルージングに徹してみる。気付くのは、低回転域のさえずりから、たまの加速の吹き上がりまで、エキゾーストサウンドから雑味がほとんど消えていることだった。
澄んだ、とまではいえないまでも、耳に入る音にズレやブレがなく、一つ一つの音質もクリアに重なっているように聞こえてくる。特に、右足に力を込めた際のサウンドには伸びやかさがあって、MY13(2013年モデル)までのそれよりも、正確な音階を奏でているかのようだ。

流れに乗った速度域におけるエンジンフィールにも、滑らかさが加わった。そこからの加速も力感に溢れており、追い越しが非常にラク。これは、グランドツーリングカーを標榜するクルマにとって、ドライバーの疲れを最小限に抑える、最も大事な性能の一つだと思う。
そして、80km/hあたりのパワーステアリングからの反応とフィーリングも、以前に比べて随分とよくなった。程よい手応えを伴って、前足の動きがごく自然にドライバーへと伝わってくる。
両手から身体に伝わってくる感覚は、最新の欧州スポーツカーに近い。それ故、以前に比べると、幸か不幸かMY14は「R35GT-Rに乗っているぞ!」という感覚に乏しい。
フロントまわりから生じるちょっとした“しこり”のような違和感を身体に残すのが従来型までの常で、四輪駆動の重量級マシンを運転しているという気分にはなっても、快適なGTカーでクルージングしているという気持ちにはなれなかったものだが、それができるようになった。
これはかなりの、そして誰もが実感できる路線変更であり、MY14最大の個性であろう。

 

ひとしきりMY14のツアラーっぷりを楽しみ、MY08に乗り換えてみる。
まずは、パーキング内から途方もなく重いステアリングフィールに愕然とさせられた。MY14を転がした直後では、ノンパワステと言われて納得しそうな重さに感じる。そして、フロントアクスルの存在感が、エンジンも含めて、相当に大きく乗り手に伝わってくる。
こちらも、腕力にモノをいわせてコイツをねじ伏せてやろうじゃないか、という気分になっていく。そういう意味でのスパルタンさは、初期モデルの真骨頂である。

取材車両は、MY08半ばに小変更を受けた北米市場向けと同仕様だったから、初期モデルの中でも、最も前足に柔軟性があるタイプであったはず。なのに、これほどまでに”強情”なフロントまわりを抱え込んでいる。
それでも、京都までのクルージングは、これはこれで楽しいものだった。MY14に比べて、サウンドとトルクフィールに不満があったとはいえ、まわりの性能から比べれば、初期モデルもまだまだ絶対王者級。
適度にバラけたパワートレインのフィールや、僅かに緩いボディ特性もまた「これはこれで、R35らしくていいよな」というのがホンネだ。

 

そして、京都におけるホームコースのひとつ、比叡山ドライブウェイで2台を乗り比べてみた。
これはもう、圧倒的にMY14のほうが操りやすく、速い。ブレーキコントロールのしやすさ、旋回時の小ぶりで安定した動き、脱出時の分厚いトルクフィール……。一連の動きに、およそクセというものがなく、さほど汗を滲ませることなく、速いペースをキープできるのだ。
MY08で、それは不可能で汗をかく。両手両足の操作に、ひと筋縄ではいかない“何か”が宿っている。
克服すべき課題が、沢山待ち受けていて、それを楽しみにするような、ある種“マゾヒスチック”な感情が湧く。これはこれでユニークな乗り物。否、むしろ、世界中の何者にも似ない感覚として、積極的に肯定したい乗り味でもあった。

 

なるほど、水野GT-R(2013年モデル以前)は、スーパーカーの世界をそう解釈したわけだ。
ランボルギーニ、フェラーリ、マクラーレン、アストンマーティン……その中で一人ユニークなライドフィールを持つものだけが、輝きを放ち続けることができる、と。それが多少、いびつなものであってもだ。否、いびつであれば、あるほどに。

一方、田村GT-R(2014年モデル以降)は、誤解を恐れずに言うと、“スカイラインGT-R”への回帰路線である。世紀のグランドツーリングカーだったBNR34型スカイラインGT-R Mスペックの、それは正当深化だと思う。
どちらを好むかはあなた次第。ユニークなスーパーカーか、それとも、秀でた世界一級のグランツーリズモか。帰ってきたミスターGT-Rに、それが相応しい称賛かどうか、今度会ったら直接聞いてみたいものである。

【西川 淳氏によるR35型GT-R 2015年モデル(MY15)試乗記】

 

*この記事はGT-R Magazine 115号掲載文を再編集したものです

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