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ガルウイングドアだけで拍手喝采! 昭和の少年たちがスーパーカーの虜になったワケ

憧れのすべてがスーパーカーに詰まっていた

 世間はお盆休みが終わり慌ただしい中、20代の編集部員から1本の電話があった。「今週の原稿も首を長くしてお待ちしていますね。ところで、先ほど会社の目の前をロータス・ヨーロッパが走り去っていたのですが、1970年代の小学生がスーパーカーの虜になった理由はなぜでしょう」と聞いてきた。いくらクルマ好きとはいえ、20代の彼はスーパーカーブームをリアルに体験していないのは当然だが、”なぜ”と言われても……。

スーパーカーブームのピークは1977年の夏

 あの頃、小学生だったスーパーカーエイジの同級生の家にあったクルマは、日産サニー(B110型)とか、2代目もしくは3代目カローラだった。クルマは小さいし、武骨だし、エンジンだって1.2リッターのOHVが当たり前。単純なハナシ、子供の目には外車だったらなんでもカッコよく見えたのも事実。

 折しも日本には漫画が大流行。1975年から週刊少年ジャンプで連載された「サーキットの狼」をきっかけに、格段にカッコいいスーパーカーを知ってしまった以上、コンピュータゲームやスマホを知らない当時の子どもたちが夢中にならない理由がない。

 1964年に東海道新幹線が開通し、1969年にアポロ11号が月面着陸。速い乗り物、流線形のカタチに物心ついたときから魅せられていた70年代の少年たちが、希求し憧れたものが全部、スーパーカーには詰まっていたのだ。とくにインパクトが強かったのは、ポルシェ930ターボとランボルギーニ・カウンタックの2台だろう。

 ポルシェ930ターボは反則の固まりで、子供心にフェンダーを無理やり広げて、太いタイヤを履いてもいいの? ターボなんかでハイパワー化するのってアリなの? とじつに驚きの固まりだった。

 カウンタックもまた問答無用のカッコよさであった。スペック的にも1070mmの低い車高、4リッターV12気筒エンジンから発揮される375馬力(LP400)、ミッドシップというレイアウト、最高速度は300km/hという数字。何もかも国産の乗用車とは違い過ぎて、公道を走れる市販車だとは思えないほどだった。

ガキンチョを心酔させたスーパーカー

 親に泣き付いて連れていってもらったデパートの駐車場で行われたスーパーカーショーで、実車のカウンタックを見たときの衝撃は今でも覚えている。なんといっても、*ガルウイングのドア(シザーズドアと呼ばれているが、当時はガルウイングドアが定番の呼び方)が開いただけでも大歓声が巻き起こったのだから凄い。エンジンキーがひねられ、V12気筒エンジンが気難しそうにまわりはじめて目覚めたときには、悪ガキたちだって泣きそうな顔をしながら拍手をしていたのだ。

 子供時代に、モノにこれだけ感動する経験をした世代というのはなかなかないのでは? 他にもランボルギーニ・ミウラ、ロータス・ヨーロッパ、ランチャ・ストラトスなども人気があったモデル。ポルシェは別として、2シーターで背が低くてミッドシップならば何でもスーパーカーに見えたし、クルマの中を覗き込んで、スピードメーターに240km/h、250km/h、300km/hといった数字が刻まれていたら、それだけで「すげぇ~」となったものだ。

 そんなブームもあって数多くのプラモデルが発売されていたので、お気に入りの1台を作って細部を眺められたのもよかった。とくにリトラクタブルを採用した格別なクルマもあり、あの頃のガキンチョの目には、スーパーカーのリトラクタブルライトは、グラビアのセクシーモデルのウインクのように写っていたのかもしれない。

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