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ランタボやジェミニが大活躍! 1980年代の国内ラリーを盛り上げた市販車4モデル

クルマ好きにとって高性能の象徴だった

 いつの時代もモータースポーツで活躍するクルマの人気は高い。モータースポーツで使われるクルマは基本性能が高く、そこがクルマ好きの琴線を刺激するためだ。歴史的に振り返ると、やはりサーキットで活躍したクルマは、軒並み人気を集めていたが、身近な公道を走るラリーカーに注目が集まらないわけがない。

 なかでも自動車メーカーが難関だった排出ガス規制対策を完了した1970年代終盤からは、それまで抑えつけられていた量産車のエンジンパワーが解放。各社が性能競争を繰り広げ、人気はすこぶる高まった。

 じつは1970年代の日本のラリーマシンは、ナンバー付きの公道を走る車両ながら、エンジンを大幅に改造したチューニングカーによる争いが一般的なスタイルとなっていた。しかし、排出ガス規制の問題も含め、反社会的な車両で競技を行なうことは問題ということになり、ノーマルエンジン仕様でなければ認められない規則に改訂。このタイミングで現在につながる全日本ラリー選手権シリーズが発足している。 ノーマルのエンジンで戦わなければならない競技規定、となれば生産車の状態で高性能な車両が有利というのは言うまでもない。その先駆けとなったのがトヨタの「カローラ・レビン」と「スプリンター・トレノ(TE71型)」だった。

 厳しい排出ガス規制下でも、2T-G型エンジンでDOHCの火を消さなかったトヨタには、その姿勢を根強く支持するファンも多かったのも事実。4ドアセダン、3ドアハッチバック、2ドアハードトップの3タイプのボディが競技車として使われ、多くのトップラリーストがTE71型を選択して参戦。ノーマルとはいえ、2T-G型DOHCパワーは、70系カローラの素直なハンドリングと合わせ、他車を寄せ付けない強さを発揮。TE71勢の優勢は1980年シーズンの中盤まで続いた。

 

打倒TE71に野望を抱く、いすゞの新鋭と三菱の挑戦

 ところが、突如として圧倒的優勢のTE71勢にストップをかける強豪が出現。いすゞの新鋭「ジェミニZZ」である。2T-G型が1.6リッターだったことに対し、ジェミニZZのG181W型は1.8リッターのDOHCユニット。パワー、トルクで2T-G型を上回り、シーズン途中から、しかも金子繁夫選手の孤軍奮闘ながら、いきなり連勝を重ねてシリーズチャンピオンを獲得。「鮮烈ジェミニの速さ、強豪カローラ勢顔色なし」と驚異的な存在となっていた。

 ジェミニは、翌1981年もアドバンチームの山内伸弥選手が操ってタイトル獲得に成功したのである。 このジェミニZZから力でタイトルを奪取したのが三菱の「ランサーEXターボ(A175型)」だった。ジェミニZZと同じく1.8リッターエンジン(SOHC)だったが、ターボの装着によってパワー&トルクで優位に立つ。

 1982年、ランサーターボ(以下:ランタボ)は新鋭・神岡政夫選手の台頭によってタイトルを奪取。ランタボの優位は誰の目にも明らかで、翌年はインタークーラーを装着してさらにパワーアップ。もはや、その敵はランタボという状況を作り出していった。

 写真は大庭誠介選手の駆るランタボだが、アドバンチームの山内伸弥選手が1983年、1984年と2年連続で全日本ラリー選手権を制覇。向かうところ敵なしの強さを発揮した。

 

忘れてはいけないトヨタの小さな兵器

 一方、当時2クラス制だった全日本ラリー選手権は、1300cc以下のAクラスでトヨタの「スターレット(KP61型)」が独壇場を形成。FR方式最後のスターレットとなったKP61型は、当時の車両規則ではまだ駆動系の改造が許されていたので、クロスミッションの採用、ファイナルレシオの変更を施し抜群の走行性能を発揮した。

 手軽なはずの小排気量のAクラスだったが、競技バトルはビギナードライバーが介在する余地がないほどにプロフェッショナル化。1300cc以上のBクラスとは別の意味で激戦を展開していた。
*画像はスターレット1300SE ちょっと高めの車高、泥はね防止の大型マッドフラップ、夜間走行用の大型ドライビングランプやフォグランプの装着と当時のラリーカーは特徴的な外観を持ち、このスタイルが、クルマ好きにとって高性能車の象徴となった。

 実際、ラリーには参加しない、ラリーカーのスタイルを真似ただけの車両を街のいたるところで見ることができたのも懐かしい。いま振り返ると妙に懐かしい光景だった。

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