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セリカLBからアコードまで! 昭和に登場した名ハッチバック車を振り返る

若者向けのボディスタイルを強調

 ファミリーカーといえばミニバン、実用性重視のコンパクトカーならば2ボックス、フォーマルユースなら4ドアサルーンという、自動車のボディ形式は、用途、目的に応じて最適な”カタチ”が出来上がっている。

 こうしたいくつかあるボディ形式のうち、最近あまり見かけなくなったのが「クーペ(ボディ)」だ。正確に言えば、ルーフ後端をリアエンドまでなだらかに伸ばしたボディ形状のことで、大きなリアガラスとトランクリッドの組み合わせ、もしくは開閉式ハッチゲートによる2つの方式に分けられる。

 日本車を振り返れば、まず、なだらかに傾斜したリアガラスとトランクリッドによる『ファストバック形式』のボディが登場。1960年代の「いすゞ・ベレット1600GTファストバック(PR91G、1967年)」、「サニークーペ(KB10、1968年)」、「カローラスプリンター(KE15、1968年)」が先駆者であり、スプリンターの場合はリアのファストバック形状を『スイフトバック』とネーミングし、3ボックスセダン型の標準カローラとは異なるスタイリッシュなボディスタイルを強調して若者から人気を集めた。

 これらのファストバック方式とボディフォルムは同じながら、リアウインドをリアエンドまで伸ばして開閉式としたのが『ハッチバック方式』。独立したトランクルームは持たず、リアシート後方のスペースを荷室として活用する使い方で、荷の出し入れはリアゲートの開閉で行なう構造だ。

 最初に登場したのはホンダの「S600クーペ(AS285C、1965年)」/「S800クーペ(AS800C、1966年)」で、これに日産「フェアレディZ(S30、1969年)」が続く。しかし、いずれも販売台数の少ないスポーツカーであり、市場でブレイクしたのはトヨタのスペシャリティカーである「セリカLB(リフトバック、TA27/RA25、1973年)」だった。

 使い勝手のよい第3のドア「リアハッチゲート」と流麗なフォルムが人気を集め、リフトバックのネーミングと共に憧れのクルマとなったのだ。 このハッチバック方式によるセリカLBの成功は、当然ながら他社にも影響を与える。例えば、日産は第3世代の「B210サニー(1973年)」、「A10オースター(1977年)」、「S110シルビア(1977年)」などのスポーティモデルで3ドアハッチバック車を用意。

 三菱もランサーシリーズに3ドアハッチバックの「ランサーセレステ(A144/143/73、1975年)」を設定して若者のニーズに応えたが、セリカLBの勢いが強く、トヨタはその後アッパーセリカにあたる「セリカXX」を追加して市場をリードした。

セダンでは実現できない広い荷室空間を持つ

 一方、同じ3ドアハッチバックながら、スペースユーティリティに重きを置いたモデルも登場。シビックでFF2ボックスカーの先鞭をつけたホンダが、初代「SJアコード(1976年)」を3ドアハッチバックで企画した。他社のようなスポーツクーペでなく、2ドアセダン+リアハッチゲートよる車両コンセプトで、ハッチバッククーペより荷室スペースが広く、実用性も高かった。

 この延長線上で、4ドアセダン+リアハッチゲートのモデルも企画。バン/ワゴンのような完全な2ボックス形状ではなく、傾斜したリアゲートがバンを連想させる商用車臭を消していた。この5ドアハッチバックが持つ実用性とパーソナル色に着目したのがトヨタで、「150/160系コロナ(1983年)」にリリースした5ドアハッチバック(リフトバック)は、実売はともかく、内容的には非常によく出来たクルマだった。

 残念だったのは、当時の日本にこのクルマを許容するモータリゼーションの成熟度がなく、海外で評価が高かったことが印象的だった。実際、ヨーロッパで5ドアハッチバック車の需要は高かったのである。

 このコロナに代表される5ドアハッチバック形式は、傾斜したリアゲートが持つ軽快なボディフォルムと4ドアセダンでは実現できない広い荷室空間を持つことが大きな特徴。2ボックスワゴンに肉薄する実用性の高さが大きな魅力だった。

 余談だが、初代モデルから日本向けはスポーツワゴンとネーミングしていたスバルの「インプレッサ」だが、実際には5ドアハッチバックを狙ったモデル。ただ、販売政策上5ドアハッチバックのネーミングでは不利という判断が働き、”スポーツワゴン”の名称を使ういきさつがあった。

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