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スバル4WD伝説はここから始まった! ラリー界にも衝撃を与えた「レオーネ」とは

昭和からヨンクといえばスバルだった

 GC型/GD型インプレッサで、グループA規定下およびWRカー規定下のWRCで世界タイトルを勝ち取ったスバルの活躍は記憶に新しい。ソニックブルーのボディカラーに、メインスポンサーであるブリティシュ・アメリカン・タバコの主力商品、ステートエクスプレス555の黄色いロゴをあしらったカラーリングは、競技車両の鮮烈な走りと相乗効果を生み、ラリーファン、スバルファンに強烈な印象を残していた。
 今では「スバルといえば4WD、4WDといえばスバル」というほど強い商品イメージが出来上がっているSUBARUだが、四輪駆動車の歴史は古く、1972年までさかのぼる。

乗用車4駆の先駆けとなったスバル レオーネ

 もともとスバルの小型乗用車は、1966年に登場したスバル1000が発端となりff-1(1100cc)、1300G(1300cc)と発展し、1971年に第2世代のレオーネにバトンタッチする歩みを見せていた。

 レオーネは、独創的だったスバル1000系の基本メカニズムである縦置き水平対向エンジンやFFの駆動方式を土台に、汎用メカニズムの採用やデザイン面に工夫を凝らし、より幅広いユーザー層の獲得を目指した商品企画を基本にする車両だった。
 1972年、このレオーネに異色のモデルが追加された。前年、山岳作業車として東北電力のオーダーに応えた1300Gバン4WDをヒントに、レオーネエステートバンに4WD仕様車を加えたのである。

 当時、4WDと言えばジープに代表されるヘビーデューティモデルしか存在しなかったが、レオーネ4WDは、乗用車感覚で使える悪路走破力に優れたモデルを目指していた。なお、採用モデルがセダンではなく商用ユースのバンだったのは、まだ一般の乗用車で4WD方式に需要が生じる時代ではないと判断されたためだ。
 しかし、1975年になると4ドアセダンに4WDモデルが新設された。降雪地域で4WDの利点が認識され始めたのである。ちなみにスバルが採用した4WD方式は、セレクターによって2WDと4WDを切り替えるパートタイム方式で、この方式は1979年に切り替わる次世代レオーネにそのまま引き継がれることになる。

 この第2世代レオーネは4ドアセダン、2ドアハードトップ、エステートバンの車型に、スイングバックと名付けられた2BOXボディの3ドアハッチバック車が加えられていた。若者を対象としたモデルで、当時4WD路線を重要視し始めていたスバルは、このスイングバックにも4WDモデルを用意していた。

サファリ・ラリーでも大活躍 のちのちは世界のインプレッサへ4WD継承

 スバルは、このスイングバック1600の4WD車を使って1980年のサファリラリーに参戦。スバルの記念すべきWRC初参戦となったが、平林武/A・カーンが総合18位、グループ1クラス優勝という願ってもない好成績をスバルにもたらすことに成功。また、このスイングバック4WDは、WRC史上初の4WD車となっていた。

 以後、レオーネによるラリー活動は続き、競技コース全5000Kmの悪路で名高いサファリでは、83年、高岡祥郎/砂原茂雄が総合5位となるなど、車格が違うグループBのオペル・アスコナ400、日産240RS、アウディ・クワトロA1らの強豪を相手に素晴らしい成績を遂げている。だが、エンジンの動弁機構がOHV、4WDもパートタイム式と少々古いメカニズムが、他車との競合において不利な要素となっていた。

 1984年、レオーネは第3世代に進化。すでに4WDは既定路線となり、古さが指摘されていたエンジンもSOHC1800ccのEA82型を開発して搭載したが、まったくの新規仕様ではなかった。また、ターボ装着仕様も作られたが135psと他車と較べて非力であった。

 1986年、3ドアクーペRX- IIでセンターデフを持つフルタイム4WD車が登場した。いかなる走行状況下でも4WD方式による高い走破力と安定した車両挙動が得られ、乗用4WDとして扱いやすさを備えた駆動システムだった。レオーネ自体は実直なコンセプトのモデルだったが、性能数値上での比較では他車の後塵を拝していた。

 だが競技ともなればタフでもあるしドライビング性能も現れ、挑戦を続けていたサファリ・ラリーでは、86年にM・カークランドがグループAクラス優勝の総合7位、全日本ラリー選手権でもレオーネの綾部美津雄がチャンピオンに輝いている。
  スバルのWRC活動は、プロドライブ社を介した1990年のレガシィで再び本格化するが、レオーネの時代に培った4WD方式が先づはあったのだ。新生レガシィの世代になり近代メカニズムでスバルの4WDはさらに進化を遂げてゆく、それがインプレッサに引き継がれWRCタイトル獲得へとつながっていくことになるのだった。

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