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6年でわずか6000台! 「売れなかった」悲運の名車「アルシオーネSVX」の高すぎる完成度

スバルのアルシオーネは幻のフラッグシップか

 スバル(旧・富士重工)が、プレミアムクラスのラグジャリークーペをラインアップしていたことをご存じだろうか。1991年から1997年までの6年間販売された、3318ccの水平対向6気筒エンジンを積むアルシオーネSVXである。もちろんスバルならではのAWD、スタイリングもまたスペシャルなウインドウに取り囲まれ優麗なものだった。恐らく 二度とは現れないであろう歴史的なクルマを振り返ってみたい。

ブランド一新にすべてが注がれたクーペ

 アルシオーネSVXは、その車名からも分かるように、1985年に発売されたスバル初のスペシャリティクーペ、アルシオーネ(AX7/AX9、AX4)の後継モデルで、当時の新世代スバルの技術を結集して作られ1991年に放たれた車両だった。

 ちなみに初代のアルシオーネは、基本的には3代目のレオーネ(AA/AL/AG型)をベースにしたモデルで、レオーネのアンダーフロアに2ドアクーペボディを架装する手法で作られていたが、当時のスバルは技術革新が遅いと評価され、その分だけ、車両デザインも含め、シャシー性能、エンジン性能とも当時の水準に達していたとは言い難いモデルだった、という酷評もある。

 しかし1980年代後半のレオーネに見られるように、実直だがハードウェア、ソフトウェアともに時代に遅れをとっていたとも評されるスバルは大きく変貌する。それは1989年に初代レガシィ(BC/BF系)を登場させたときだった。動力性能、運動性能、ハンドリング性能などを根本から見直し、エンジン、シャシーの全面刷新が行われたのだ。

 当然ながら、この時代の車両だったアルシオーネも全面的に見直され、車名にSVXを加え、アルシオーネSVX(CXD系)として1991年に登場する運びとなってゆく。

 折しも、時代はバブル経済の真っ盛り。世の中にはより上級なものを目指す志向が蔓延し、アルシオーネSVXにも最新、最良のメカニズムが盛り込まれた。これはどのメーカーの車両にも共通して言えることだが、バブル期に商品企画が行われた車両は、量産車とは言いながらも非常に高級、上級な内容で作られる例がほとんどで、アルシオーネSVXもそうした車両の1台だった。

内外ともに斬新な熟成ユニットの集大成

 すべてが見直されたモデルでは、まず、そのボディフォルムの流麗な変化が目についた。3次元ガラスを多用し、ピラーを内側に収める処理によって、グラスエリアの広さを特徴とするボディデザインが新鮮だった。ジョルジェット・ジウジアーロ(イタル・デザイン)のデザインで、曲面を多用した流麗なフォルムはいすゞ・ピアッツァでも実証済みのものだった。

 エンジンは新開発の水平対向6気筒EG33型を搭載。初代アルシオーネも2.7L(ER27型)の水平対向6気筒を採用したが、こちらは1.8LのEA82型を6気筒化したもので、EA82型自体がOHVベースの古い設計だったため、ER27型も排気量に見合う性能とは言い難いものだった。

 しかし、EG33型は新世代4バルブDOHCのEJ型と同一思想による設計のエンジンで、その滑らかな回り方、出力/トルク値(240 ps/31.5kg-m)は、上質なスペシャリティクーペにふさわしいものだった。

 トランスミッションは4速ATのみ設定だったが、構造的な特徴を生かし4WD車ではVTD(可変トルク配分)方式を採用。通常、前後35対65で配分される駆動力を、VTDでは走行状態に応じて自動的(電子制御)に配分比を変化させるスバル独自の4WD制御方式である。

 サスペンションも前後ストラット(前マクファーソン式/後デュアルリンク式)とレオーネ時代から改められていたが、スバルの美点は、こうしたメカニズムの基本形式にあるのではなく、走り込みの結果、納得がいくまで熟成された仕上げのよさに尽きた。このことはスバルの転換点となったレガシィ、そして1991年発表のインプレッサにも共通することで、アルシオーネSVXもこうした熟成度の高い仕上がりの良さが身上となるモデルとして作られていた。

 アルシオーネSVXは、6年間の販売期間を通じて累計6000台弱が市販されたが、販売成績という意味では不発に近かった。ひとつには、スバルのブランド力が高級車市場で弱かったこと。また、実際に乗ってみなければ車両の出来のよさが理解できない、という点も商品力に対してマイナスに働いた。

 モデル末期には、廉価版の特別仕様車もいくつか登場したが、それでも販売成績の手助けにはならなかった。しかし、興味深いのは、実際に販売を中止したら人気となり、中古車市場で高値を呼ぶ不思議な現象が起きていたことだ。

 自動車としての出来は、文句なく第一級の仕上がりだったが、車両そのものの良し悪しではなく、その他の要素によって販売が左右される悲運の名車だった。

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