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新型プロトが公開されたフェアレディZ! あらためて振り返る「初代~3代目」の「名車度」が突き抜けていた

2020年9月16日に新型Zが「The NissanNext.com」でお披露目!

 次期型プロトモデルが2020年9月16日(日本時間)にThe NissanNext.comにてお披露目されることが公式にアナウンスされたフェアレディZ。Z35型と呼ばれるだろうこのクルマはすでにスカイラインに搭載される400psのVR30DDTTエンジンを採用するのが既定路線。

 そのため、車名はフェアレディZ 400Z。(アメリカではNISSAN 400Z。ちなみにアメリカにはフェアレディZの名前は存在しない)となることが有力視されている。その発表を前に歴代車両を前編、後篇に分けて振り返ることとしよう。

【初代・S30型】廉価で高性能なスポーツカーとして大ヒット!

 トラックシャーシに欧州風味のオープンボディをドッキング。これに高性能エンジンを搭載することでルックス、性能共にスポーツカーの面目を保っていたダットサン・フェアレディだが、シャシー性能は古典的で洗練されておらず、世代交代が進んでいた欧州のスポーツカーと向こうを張るには物足りないものであった。

 それに対抗するために生まれたのが、1969年に登場した初代フェアレディZ(S30型、以下S30Z)だ。開発に働きかけたのは当時、米国日産の社長であり、のちに「Zの父」「ミスターK」と呼ばれる片山豊氏(故人)。つまり、フェアレディZは北米で企画&プロデュースされて誕生した歴史を持つクルマだ。

 スタイリングはイギリスのスポーツカーを代表する名車、ジャガーEタイプをモチーフとし、軽量なモノコックボディを採用。足まわりは前後ストラットの四輪独立懸架となり、高いスタビリティを確保するなど、スポーツカーのポテンシャルを持つクルマとなった。ただ、ボンネット下に収まるエンジンはL型6気筒OHC。実用性、整備性が高く、手荒に扱っても壊れない信頼性を重視。パフォーマンス面は排気量アップを可能にする堅牢な作りで補うことを想定していた。

 ’69年に発売されたS30Zは130ps/17.5kg-mの2Lのみで、L型の他にスカイラインGT-Rに搭載されていたS20型DOHCエンジン(160ps/18kg-m)を搭載する高性能モデルが設定された。ベーシックモデルが90万円を大きく下回る価格で発売されたこともあり、日本でも好評をもって受け入れられた。

 主戦場である北米には日本よりも排気量の大きな2.4Lを搭載し、1970年から輸出を開始。3600ドル(当時は1ドル=360円)をわずかに切る価格は、米国生産のフォードマスタングやシボレーコルベットよりも3割以上安く、150ps/21kg-mのスペックは本格的スポーツカーであるポルシェ911Eに匹敵するものであった。廉価で高性能なスポーツカーはスタイリッシュなフォルムと相まって、アメリカで爆発的な大ヒットに。この大ブレイクがアメリカでのZブランド、しいては日産ブランドの浸透に大いに貢献した。

 その後、日本でも2.4Lエンジン搭載車が発売され、流麗なエアロキット(ロングノーズ、オーバーフェンダー)を纏った240ZGも登場するなど、人気も販売も大躍進。アメリカではさらに排気量の大きな2.6Lや2.8Lも登場し、当初の目論見どおり排気量アップでライバルたちとのパフォーマンス競争に対抗。すべてはミスターKの思い描いたシナリオは現実のものとなり、その人気は排ガス規制をものともせず、のべ10年近く生産。当時の日本車としては異例のロングセラーで、累計生産台数も約55万台(日本は約8万台)とスポーツカーとしては高いセールスを記録した。

【2代目・S130型】キープコンセプトだが、グランドツーリング志向に

 1978年に2代目へとモデルチェンジしたフェアレディZ(以下S130Z)。先代の爆発的ヒットを受けて、スタイリングはイメージを踏襲。エンジンは改良されキャリーオーバーとなるなどキープコンセプトが貫かれた。ただ、メインマーケットであるアメリカに主眼が置かれて開発が進められたため、先代のS30Zが持っていたスポーティな走りはやや薄まり、グランドツーリングカーの要素が強くなったのが一番の特徴だ。

 ロングノーズ&ショートデッキのプロポーションは同じながら、全長、全幅、全高のすべてを拡大。とくに全長が200mm以上も伸ばされていることからもGT色が強まっていることが見て取れる。エンジンは主力の2Lが排ガス規制の影響とボデイ拡大による重量増で、パフォーマンス低下が想定されたため、海外で用意されていたL型最大排気量である2.8L(145ps/23kg-m、後期型は155ps/23.5kg-m)を搭載することでスポーツカーとしての威信をなんとか保った。

 2代目でのトピックスは’80年に設定された国産車初のTバールーフ(セミオープン)と’82年10月のターボの追加だ。前者はアメリカのマッスルスポーツに用意されていたもので、ルーフトップの一部を取り外すことのできるセミオープン機構で、マンハッタンカラーと呼ばれた黒とシルバーの2トーン塗装と相まって、好評を博した。L20型ターボはセドリック、スカイラインに続く、3台目の搭載で2.8Lに迫る145ps/21kg-mを発揮。ライバルに対して見劣りしていた動力性能を強化した。

 また、国産車初の60偏平タイヤを装着したことも話題となった。ただ、前年にトヨタから登場した初代ソアラ/初代セリカXXがすでに170ps/24.5kg-mを発揮する5M-GEUを搭載していたため、スポーツカーとしての求心力回復とはならなかったが、5年の販売期間で累計販売台数が45万台を超えていたため、セールスとしては大成功だった。

【3代目・Z31型】直6からV6にスイッチ。ウェッジシェイプなスタイルも魅力

 1983年にデビューした3代目フェアレディZ(以下Z31)は、先代までの丸みを帯びた伸びやかなスタイリングからウェッジシェイプの効いた直線基調に刷新。突起物を減らしたボディはCd値を0.39から0.31まで飛躍的に向上させるなど、洗練されたスポーツカーに生まれ変わった。当時はエンジンを含めたマネージメントの電子制御化が進み、それにともなってパフォーマンスが大幅向上していた時代。それにともなってそれを受け止めるための高いシャシー性能も重要視されるようになり、クルマとしてのパッケージは飛躍的に向上した。

 エンジンは従来の直列6気筒SOHCの2L、2.8LからV型6気筒SOHCの2Lと3Lに変わり、パワー競争戦線で勝ち抜くために全車ターボ化。最上級の3Lターボを搭載する300ZXは230ps/34kg-mと国産最高馬力を誇った。サスペンション型式はストラット/セミトレとS130Zを踏襲したが、各部に大幅な手が入れられて熟成。ダンパーには減衰力を3段階に切り替える3ウェイアジャスタブルショックアブソーバーを装備し、スタビリティとハンドリングを両立させるなど日産のフラッグシップスポーツに相応しい性能を手に入れている。 1985年にはマルチバルブ化が著しいスポーツカーマーケットにおいて、2Lモデルの戦闘力を高めるべく、スカイラインに搭載された直6DOHCターボを投入。180ps/23kg-m(ネット)と十分な戦闘力を得たことで2Lモデルの販売増に貢献。また、直6とV6の2つのエンジンを選べる魅力的なモデルになった。

 1986年のマイナーチェンジでは、時代の流れに合わせてストレート基調から少し丸みを帯びたフロントフェイスにスキンチェンジ。DOHC化の流れに合わせて3LにもVG30DEエンジン(190ps/25.0kg-m・ネット)を追加するなど、精力的にスポーツカーとしての魅力をブラッシュアップし続けた。

 Z31は欧州車に肩を並べるべく、日産自動車開発陣がチャレンジし続けたスポーツカー。そしてその想いは次世代のZ32で花開くことになる。

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