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生き物のような「一体感」を得られた唯一のクルマ! 世界にわずか337台の名車「トヨタ2000GT」の衝撃

007のボンドカーとしても登場した日本の名車

 トヨタ2000GTは、いまでも心ときめかすスポーツカーである。1967年に発売された当時の私は、12歳で、中学1年生だった。

 振り返れば、この流麗な造形が5ナンバー車枠でつくりあげられていることに驚く。なおかつ、いまその現車を見ても、5ナンバー車だから小さく感じるということもない。流麗かつ引き締まって見えるとしても、けっして存在感を軽んじられるような外観ではないのである。どのような名車と並んでも、トヨタ2000GTは今日なお強い個性と美しさを発揮しながら、浮き立って見えるに違いない。

 時代を問わず、また世界を見渡しても、引けを取らない存在であるからこそ、英国の映画007のボンドカーとして選ばれることになったのだろう。なぜなら、その映画でボンドガールを演じた浜美枝の話によれば、英国を訪れた際には一流のホテルに宿泊し、ボンドガールにふさわしいスターとしての装いで外出するように言われたという。ちなみにそのホテルには、オードリー・ヘップバーンも訪れたとのことだ。

 実は、トヨタ2000GTに憧れる気持ちから、少年時代の私はトヨタファンであり、ことにレースではトヨタ7の活躍に胸をときめかせた。国内レースでは、プリンスや日産が技術の粋を活かし一流であるという評判がやはり高かった。

 もちろん、自動車メーカーとしてトヨタの存在は負けず劣らず大きなものであったが、レースや技術という側面では、二番手との印象があったのである。それでもトヨタがヤマハと共に、国産技術を駆使して築き上げたトヨタ7というレーシングマシンは、心に焼き付いて離れない。

 まだ年齢的に子供であったため運転免許証はなく、もちろん経済的にも高価なトヨタ2000GTを手に入れるほどの家庭でもなく、モーターショー会場のひな壇の上にあるのを眺める以外に接する機会はなかった。

クラリネットのような排気音に興奮!

 のちに、旧車となってからのトヨタ2000GTに試乗する機会を得た。雑誌や写真で見た、高級木材を使ったダッシュボードや、バケットタイプの運転席に座ったときの喜びもまた、生涯忘れることはないだろう。現役時代から年月を経た状況であるため、丁寧に運転する必要があり、速度感を失わせやすいサーキットでの試乗で無理は禁物だ。

 エンジンは直列6気筒のDOHC(ダブル・オーバー・ヘッド・カムシャフト)で、最高出力は150馬力である。これに5速マニュアルトランスミッションが組み合わされる。いまとなってはそれほどの大馬力ではないが、車両重量が1120kgと1トンをわずかにうわまわる程度の軽さであり、存分な走りが期待された。

 そしてなにより、徐々にアクセルペダルを踏みこんでエンジン回転数を上げていったときの排気音は、忘れがたい音色であった。ヤマハが関わったといわれる直列6気筒エンジンは、ほかのどのエンジンとも違う音を耳に届けた。ヤマハだからと意識し過ぎだといわれればそれまでだが、柔らかな音を発する木管楽器のクラリネットのような排気音に感じた。

 それは耳に快く、無暗に興奮させない。それでも、軽やかに回転を上げていきながら、振動の少ない直列6気筒エンジンの滑らかに速度を上げていく様に、流麗で美しい外観と調和した2000GTの麗しい運転感覚を味わうことができたのである。

 英国のジャガーEタイプなどで使われたXバックボーンフレームと、4輪独立懸架のダブルウィッシュボーン式サスペンションとによって、タイヤの接地性はよかったと記憶する。

 金属でつくられたクルマというより、あたかも馬を操るかのように、運転者とクルマとの対話のなかで景色が流れていった。操縦性がいいとか、加速が鋭いとかといった機械の優劣を意識させるのではなく、生き物が持つ躍動のなかに自分がいるという感触だ。

 そのような手ごたえを覚えさせるクルマは、トヨタ2000GTのほかにないのではないだろうか。それぞれのクルマやスポーツカーに、それぞれの持ち味があり、それぞれに魅力はある。だが、トヨタ2000GTのそれは、明らかにほかと違い、また機械だと思わせない何かが潜んでいるのである。

トヨタ2000GTは日本が世界に誇れるスポーツカー

 自然を制するのではなく、自然と共に生きようとしてきた日本人の肌触りなのかもしれない。そうしたことを含め、トヨタ2000GTはトヨタという自動車メーカーだけでなく、日本が世界に誇れるスポーツカーなのではないだろうか。

 ちなみに当時の車両価格は、238万円であった。それは、カローラが6台、クラウンが2台買える金額であったという。大学卒業の新入社員の初任給が2万6000円前後であったというので、その100倍近い額であった。販売台数は、わずか337台である。

 レースへも出場したが、それより国際記録に挑戦したスピードトライアルのほうが私の記憶に残る。72時間や、1万マイル(約1万6000km)、1万5000kmなどの長距離走行に挑み、いずれも平均速度は時速200kmを上回った。市販スポーツカーとして、信頼耐久性と速さの両立がなされたクルマであったことを知ることができる。

(取材協力:トヨタ2000GTオーナーズクラブ 瀬谷孝男さん)

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