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42年で「110万km走行」でも問題なし! メルセデス・ベンツの「衝撃オーナー」を直撃した

地球を27周分走行した愛車とオーナーの42年間

 写真はメルセデス・ベンツのディーゼル乗用車、1978年の300D(W123型)。初年度から今日までを数えれば42年と、貴重なモデルであることは間違いない。が、このクルマにはもっと凄い実績がある。それは走行距離だ。現在、なんと110万kmオーバー。正確には111万5914km(2020年8月現在)を刻んでいる。地球一周の距離は約4万kmなので、実に27周分も走ったことになる。2002年9月に100万kmを走破し、今も現役で乗られている車両だ(ディーゼル規制適用外の地域で車庫を所有)。

 オーナーは八木唯良さん。関西で外食事業、物販事業、卸・外商事業や文化事業(カルチャー教室)等、多岐亘り店舗展開する「阿み彦グループ」の代表だ。しかも創業は1814年と、200年以上も続く老舗の7代目当主。今回は八木さんご本人にこの300Dの購入動機や100万km走破の秘訣などを聞くことができたので、紹介させてもらおう。

1978年に店頭渡し価格573万円で新車購入

 八木さんがこのメルセデス・ベンツ300Dを購入されたのは、1978年11月。いまから約42年も前のこと。つまり、ワンオーナーでこれまでの距離を乗ってきたということ(若い頃はオースチンやヒルマン・ミンクスに乗っていた)。それまでは、メルセデス・ベンツ「280SEL(W108型)」に乗っていたが、渋滞時や夏にオーバーヒート気味という事もあり、次期購入車の条件は冷却系がしっかりしており、しかも毎日仕事で使うので燃費が良いディーゼルエンジンを搭載した300Dに決定した。

 この300Dのヤナセ大阪・店頭渡し現金価格は573万円(昭和53年3月3日当時)。ちなみに、当時のトヨタ・クラウン2600ロイヤルサルーン(最上級グレード)は約260万円だ。300Dに決定した背景には、安全で長距離を運転しても疲れなく、しかも耐久性のあるメルセデス・ベンツが絶対条件であったという。

 購入後すぐ、ドイツへ行った時にメルセデスのタクシードライバーに聞いたところ、「耐久性があるメルセデス・ベンツのディーゼルが一番」と言われたことも、買って良かったという自信になっているそうだ。よく海外から帰国した人が「ドイツに行ったらタクシーはみんなベンツのディーゼルだぜ!」と言う。タクシードライバーは一流のプロであり、車に「生活と命」が掛かっている。それならば「燃費が良く経済的で、維持費は少なく済み、耐久性が高く長持ちする。そして安全な車」を当然選ぶ。いわばプロの厳しい目で選んだ“本物”なのである。

 また、ボディカラーもドイツのタクシーと同じライトアイボリーを選択。実はこの色はメルセデス・ベンツが1960年から本国で行った知覚安全性の啓蒙活動で、視認度の高いボディカラーとして推奨していた色なのだ。この活動がきっかけとなり、1970年にはドイツ国内のタクシーの色が、それまでの黒からライトアイボリーに変わる法律が施行された。

110万km走破の秘訣とは

 日本中が好景気の頃、八木さんは毎日仕事で、関西のみならず東京の店舗にも大阪府茨木市から毎週のように高速道路を往復し、またたく間に走行距離が伸びた。当時、行きは軽油を65L満タンにして大阪から出発し、東京池袋の店舗近くで燃料計の赤ランプが点灯。帰りにも東京で満タンにして大阪まで戻るのだが、帰りはまだ20Lの余裕があったという。同じ道路の往復1100kmだが、行きと帰りで勾配や道路状況がどうも違ったようだ。

 現在でも普段は関西の各店舗を回ったり、家族旅行にも使用されている。燃費については、実走行で平均11km/Lくらいとのこと。

 ここまで乗り続けるのには、特別な手間と費用を掛けているのだろうとお聞きしたら、即答で「できるだけ毎日乗ること。乗らない日でもエンジンをかける。こまめにオイル量をチェックし、半年に1回はヤナセで診てもらい、調子の良くない部品は早めに交換しています。運転する時の注意点としては、高速道路では無駄にスピードを出さず80km/h巡航。人間の体温でいえばいつも36.5度を維持するようにしています」。

 さらに「この車はあたりが良かった事が一番。またエンジンもミッションも交換もせず今日まで乗り続けられています。毎日エンジンをかけて1kmくらい走っているのは、人間でいうジョギングですね」と語ってくれた。

 また、八木さんの300Dが走行100万kmの表彰されたことは、ヤナセの機関誌であるヤナセライフで掲載され、全国のメルセデス・ベンツオーナーからその秘訣の問い合わせがあったという。特に2002年に30万kmを達成された同じ300Dのオーナーさんが、直にその秘訣を聞きたいと遠方から八木さんの自宅まで訪問しに来たことも。八木さんはそのオーナーさんに「ボディとホイールのケアが重要。雨が降ったら翌日は必ず洗車します。そして、もちろん半年に1回はヤナセで点検しています」とアドバイス。とても満足して帰られたそうだ。

 42年を経過した取材時でもボディはキレイで艶があり、室内のシートが擦り切れていたりダッシュボードがひび割れているようなこともなく、本当によく手入れされている。特にシートが今もスターマーク入りのレース半カバーで覆われているのも印象的だ。この300Dは常時シャッター付きのガレージ内に保管されており、洗車道具を一式揃えてご自身でこまめに洗車。1年に1回はボディコーティングも施しているという。ご自宅が駅近くにあり、「電車の鉄粉が飛んでくるからね」と言われ、納得した。

各種記念カーバッジと感謝状

 車両のラジエーターグリルには10万km、20万km、30万km、50万km、100万kmの達成記念カーバッジとワンオーナー所有30年記念バッジが飾られ、別途保有の各距離が刻印されたピンバッジや各距離の達成表彰状等も見せていただいた。

  特に今まで筆者がお目に掛かる事が無かった、ダイムラー社から贈呈された紺のビロードケースに入る100万km記念バッジは特製の七宝焼きで、ピンバッジのスリーポインテッドスターの中央には燦然と輝くサファイアが埋め込まれていた。現在の100万km達成記念カーバッジとワンオーナー所有30年記念バッジは、ラジエーターグリルにも装着されている。

 また、ヤナセから永きに亘るご愛顧に対する錫の感謝状(銘板)と時計も大切にされていた。「車は道具、飾りものではなく毎日乗ること」が八木さんのポリシー。今回、八木さんからいろいろなお話を伺って、「毎日乗り、こまめに手入れすること」がいかに大切かよく解った。

 現在のクルマではなく、あえて手間のかかるこの300Dを所有する八木さんのこだわりは、「見えないところまで徹底的に仕上げる」という当時のメルセデス・ベンツから感じとれるオーバーエンジニアリング、オーバークオリティの精神に惚れ込んでいるからではないだろうか。

 例えば、モリブデン加工したピストンリングの採用。モリブデンは高価だが、ピストンリングのコーティング用材料に最適だ。その理由は硬質で耐久性と耐熱性があり、多孔質表面なのでオイルの持続性が良いためエンジンの寿命が伸び、オイル消費も少なくなる。

 また、独自の予燃焼室に備えられた特許のボールピンも、エンジン・ノイズを減少しスムーズな回転に役立っている。このボールピンは高価で耐熱性の高いニモニック(Nimonic=ニッケル・モリブデン合金)で造られているのだ。

 そしてドアロックは2重の構造に。1958年に特許を取得した「くさび型ピンロック」は、事故の衝撃でドアが開くことを防止すると同時に、救出の際には容易にドアを開けられるようになっている。左右上下から掛かる力にも強く、ドアを閉めた時に発するあの「ドスッ」という重厚な音も、当時のメルセデス・ベンツならではの雰囲気を感じさせてくれる。

 取材の最後に、購入時のヤナセ担当者より「メルセデス・ベンツのディーゼルは一生ものですよ」と言われ、「事実その通りになってきたね」と笑顔で語っていただきました。

 夏の暑い時期にもかかわらず快く取材にご対応いただき、さらに貴重な資料まで提供いただきましたオーナーの八木さまに心よりお礼申し上げます。

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