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「安かろう良かろう」のスズキ! 100年の歴史はアイディアと技術力のカタマリだった

コンパクトのスペシャリストで軽自動車のトップメーカー

 今年、創立100周年を迎えたスズキは先ごろ、トヨタからRAV4のOEM供給を受け、ヨーロッパで販売するプランを発表して注目を集めました。またGMにサブコンパクトカーを供給していたことでも知られていますが、国内での主要製品はやはり軽自動車です。今回は、1973年から2006年まで長期にわたってトップランナーとして軽自動車界を牽引。今もダイハツとともにツートップに君臨するスズキの歴史を振り返ってみました。

自動織機メーカーから2輪メーカーに

 スズキのルーツを遡っていくと、1909年に発足した鈴木式織機製作所にたどり着きます。古くから織物の産地として知られた遠州(遠江の国=現在の静岡県西部地方)は浜名郡天神町村(現在の浜松市中区)で操業していた鈴木式織機製作所ですが、織機という商品は耐用年数がとても長く、買換え需要が多くは望めないことから将来性に不安を持った創業者の鈴木道雄は、織機製作で培ってきた機械技術を生かして自動車産業への進出を検討するようになりました。

 戦前から外国車を使って研究を続けていましたが、本格的な活動は戦後から。先ずは1952年に自転車用の補助動力として2ストローク単気筒の36㏄エンジンを発売しています。

 翌年には2ストローク60㏄のエンジンを発売しましたが、これが好評を博しエンジンメーカーとしての地位を確立しました。こうなると次なる目標は完成車の生産販売です。そして54年の4月には早くも同社初の2輪車である4ストローク90㏄エンジンを搭載した「コレダ」を完成、上市しています。

 当時は原付(原動機付自転車)の排気量が4ストロークで90㏄以下、2ストロークでは60㏄以下とされていたために排気量の大きな4ストロークを選んでいましたが同年9月に法規が改正され原付は第1種が50㏄以下、第2種が51㏄~125㏄以下とされ4ストロークと2ストロークの区別が撤廃。となると、より高出力が発揮でき取扱も簡単、ということから55年には2ストロークのコレダSTを発売。

 以後、70年代に入って排気ガス規制が強化され、4ストローク(77年にはトヨタを通してダイハツからエンジン供給を受けたこともありました!)を手掛けるようになるまで、2ストロークの優位性を信じ、固執し続けていました。確かに、1970年代に夢が結集していた日本のジュニアフォーミュラカーレース、いわゆるジュニアたちのF1への登竜門であったFL500レースでも、スズキの2ストは強さを誇っていました。

軽自動車規格の発効により念願だった4輪業界に進出

 戦後の混乱が少しずつ収まってき始めた1949年、法規上で軽自動車というカテゴリーが誕生しました。しかしこれは2輪車を想定していたもので、翌50年になって全長3m×全幅1.3m×全高2mというサイズの軽自動車“枠”が登場。この時はエンジン排気量が4ストロークで300㏄以下、2ストロークで200㏄以下と決められていましたが、51年8月にはそれぞれ4ストロークで360㏄以下、2ストロークで240㏄以下へと排気量が拡大され、さらに54年には区別が撤廃され、軽自動車の排気量は4ストロークと2ストロークに関わりなく全て360㏄以下とされました。

 この流れの中でスズキは軽自動車で4輪進出を果たすことになりました。最初に登場したのは1955年の10月に発売が開始されたスズライトSFでした。

 フォルクス・ワーゲンのタイプ1(ビートル)やシトロエン2CV、ロイトなどを購入して研究、2ストロークエンジンを搭載し前輪駆動を採用した2ドア、という基本パッケージが決定しました。空冷2ストローク2気筒360㏄のエンジンは16馬力。サスペンションはコイルスプリングによる前後独立懸架を採用。

 ちなみに車名のSFはSuzuki Four wheel carの略でした。セダンに加えてライトバンやピックアップトラックもラインナップされていましたが、需要が多くなかったセダンとピックアップの生産を休止、57年からはライトバン一本に絞って生産が継続されています。

後継のスズライト・フロンテで軽乗用車市場に本格進出

 まだマーケットが確立されていなかったことで、スズライトSFのセダン(=乗用車)は短期間で生産を休止してしまいました。そして臥薪嘗胆、ライトバン一本に絞って根気強く営業を続けていったスズキは再び、乗用車マーケットに参入することになりました。

 まずはスズライトSFのライトバンを59年にフルモデルチェンジし2代目となるスズライトTLライトバンを登場させます。

 そして3年後にスズライト・フロンテ(タイプ名はTLA)がようやくデビュー。リアゲートを持つTLのボディ後半部分をデザインし直してトランクリッドをもつ2ドア・セダンに生まれ変わらせたのです。ちなみに、この時点でリアにトランクルームを持つ軽乗用車は、このスズライト・フロンテのみでした。

 そこからは毎年のようにマイナーチェンジが繰り返され熟成を重ねていきますが、販売台数を見るとライトバン(含むトラック)の20分の1から30分の1に過ぎませんでした。

 軽乗用車のマーケットは、まだまだ確立していなかった、ということでしょう。そしてその軽乗用車マーケットは、58年に登場したスバル360が拡大のきっかけを作り、67年に登場するホンダN360によって爆発的に拡大されることになるのですが、スズキもその一翼を担うべく、新世代の軽乗用車をリリースすることになります。

 それが67年に登場したスズキ・フロンテ360でした。360㏄の2ストロークエンジンは2気筒から3気筒に新設計され、そのエンジンをリアに搭載する、それまでの前輪駆動から駆動レイアウトまでを一新したフロンテ360は、発売と同時に大ヒット商品となり、軽自動車メーカーとしてのスズキのポジションを確立することになったのです。

アイデアに満ちた商品展開でムーブメントを巻き起こす

 フロンテで軽自動車メーカーとしてのポジションを確立したスズキですが、その後も様々な意味で大きなエポックとなる商品をリリースして来ました。ここでは3件ほどを取り上げて紹介しておきましょう。

 先ずは1979年に5代目フロンテ(SS30/40系)の姉妹車として登場した初代アルト。徹底的にコストを切り詰めて47万円の廉価な販売価格を実現したことにも驚かされますが、何よりも注目されたのは商用車となる4ナンバー車両と位置付けられていたこと。商用車なら税制の面で有利であることは、知識としては多くが知っていたにもかかわらず、それを逆手にとってセカンドカー市場を開拓したことです。そしてこのヒットにより軽のボンバン(ボンネット・バン)市場が確立されたのです。

 もう1台は93年に登場した初代のワゴンR(CT/CV系)。

 背を高くして室内の居住スペースを確保する。これは現在の大きなトレンドとなっている軽ハイトワゴン/スーパーハイトワゴンに繋がるもので30年近くの大きな流れを創ったことは歴史的に見ても大きなエポックです。

 もっともこの考えは、それより約20年も前にホンダがライフ・ステップバンでトライしていました。ただし時代が早すぎたのか、それとも全長3m×全幅1.3mと、ワゴンRの時代に比べてふた回りも厳しかったサイズ制限のせいなのかは不明ですが苦戦。一方ワゴンRは間違いなく大ヒット商品となり、その後各メーカーから後追いで同様なモデルが発表され、現在に続いています。

 最後に2輪車のケースも紹介しておきましょう。それは73年に発表されたロードスポーツのRE-5です。RE-5というネーミングからも分かるようにロータリーエンジン(RE)を搭載したもので、当時はホンダやヤマハ、あるいはカワサキなど他メーカーも研究開発を行っていましたが、実際に発売されたのは、スズキのRE-5のみでした。また国産モデルとしてだけでなく海外を見渡しても販売までこぎつけたのは片手で足りるほどで“激レア”なモデルであることは間違いありません。

 ところでRE-5がリリースされた当時、スズキでは4輪車のエンブレムも、おむすび型のようなREを連想させるデザインが使用されていました。果たして、4輪車への展開も考えていたのでしょうか。スズキの企業博物館である『スズキ歴史館』で訊ねてみましたが、はっきりとしたことは分からないとのことでした。果たして…!?

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