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軍用機メーカーが作り上げた技術の塊! 消滅した「サーブ」のオシャレさが衝撃的

製造業が盛んな北欧の地に生まれた名門サーブ

 穀物の自給率が高いことでも知られるスウェーデンですが、国土の8割が冷帯に属することから農地は国土の僅か6.5%に過ぎず、その関係からか伝統的に製造業が盛んでした。クルマに関してもヨーテボリに本拠を構えるボルボと、セーデルテリエに本拠を構えるスカニアは、それぞれ世界第2位と第3位のトラック・バスメーカーとして知られています。

 そして乗用車に関してもボルボの乗用車部門のボルボ・カーズと、航空機メーカーとして知られるサーブの乗用車部門であるサーブ・オートモビル、2つのメーカーが数多くの名車を生みだしてきました。今では残念ながら、ボルボは中国の吉利汽車(ジーリー)グループに買収され、一方のサーブも世界中の様々なメーカーや投資家との紆余曲折の末に、2016年にはブランドが廃止されています。そんなスウェーデンの由緒あるブランドのひとつ、サーブの歴史と、名車の数々を振り返ることにしましょう。

社名SAABはスウェーデン航空機会社の頭文字から

 サーブはスウェーデン軍向けの航空機製造を目的に設立された軍需産業で、Svenska Aeroplan AB(スウェーデン語でスウェーデン航空機会社の意)の頭文字を繋げてSAABの社名がつけられています。

 戦時中は、主にスウェーデン空軍向けの軍用機を生産していましたが、戦後は民需を見越して旅客機部門を充実させるとともに、1946年からは自動車産業にも進出、乗用車づくりを始めることになりました。

 68年にはトラックメーカーとして知られるスカニアと合併しサーブ・スカニアを名乗りますが、90年代にはスカニアと別れて単独のサーブ・オートモビルとして米国のトップメーカーだったゼネラル・モーターズ(GM)の出資を受けるようになりました。

 その後、GMの経営破綻を受けてケーニグセグやスパイカーなどへの身売り話も相次いだのですが、結果的に全てのプランで幸せな結末を迎えることはできず、2016年のブランド廃止を招くことになってしまいました。

航空機技術を注ぎこみ「雨滴型シルエット」で誕生したSAAB 92

 サーブが最初に手掛けたクルマは1949年の年末に生産が開始された92でした。戦後、軍用品の需要が少なくなることに備えて民需向けの商品へとシフトを進めていたサーブでは、90番台をそれぞれのプロジェクトに充てており、最初の90番はScandiaと呼ばれる24~40人乗りの中型旅客機、91番がSafieと呼ばれる2~4人乗りの小型単発機として開発が進められており、新たに始まるクルマのプロジェクトには92番が用意されました。

 彼らが参考にしたのは、当時ヨーロッパで小型車として評価も高く、また人気のあったDKWのF8。2サイクル2気筒エンジンをフロントに搭載して前輪を駆動する“DKW Front”の愛称で知られるモデルでした。

 駆動レイアウトはDKWに倣っていたSAAB 92でしたが、そのボディは対照的でした。そもそもF8は前後左右のフェンダーが独立した30年代スタイルの戦前モデルでしたが、SAAB 92はフェンダーがボディと一体化された戦後モデルとなっていました。軽量で高剛性なモノコックボディを採用し、さらにそのデザインは雨滴型シルエットとするなど、航空機の技術が多く用いられていました。サスペンションはDKWが横置きリーフスプリングなのに対してSAAB 92はトーションバーを用いた4輪独立懸架とより高度なものが採用されています。

 SAAB 92は、エンジンが3気筒になったSAAB 93やワゴンモデルのSAAB 95、そしてシリーズの集大成として、モデルライフの途中からフォード製のV4エンジンを搭載することになるSAAB 96まで発展。

 68年に第二世代となるSAAB 99が登場して以降もモデルライフを永らえ80年まで生産されるロングセラーとなりました。

 実は55年に登場したSAAB 93はエンジンを新開発の2ストローク3気筒にコンバートしただけでなくサスペンションもフロントが92と同じく独立懸架ながらダブルウィッシュボーンに変更。リアはリジッドアクスル(車軸懸架)とされていますが、前後ともにコイルスプリングで吊るスタイルに一新されています。

 それでも、この大きな変革でさえ、彼らにとってはマイナーチェンジの範疇に収まるもので、雨滴型のシルエットを持ったエクステリアには大きな変化は観てとれません。それだけデザインは完成されていたということなのでしょう。

 またSAAB 96をベースとした2座のライトウェイトスポーツカーとの位置づけでソネット(Sonett)が登場しています。

 欠番となっている94を社内呼称で使用されていたソネットⅠはオープン2シーターでしたが、こちらは量産化は実現せず、クーペボディを与えられたソネットⅡ/V4やソネットⅢが登場、主に北米市場で好評を博していました。それでも爆発的なヒットとなったダットサン240Zの敵と成り得るには至りませんでした。

民生用の“9”を共通項とする名車の数々

 92シリーズの後継モデルとして1968年にはSAAB 99が登場しています。SAAB独特の雰囲気を漂わせていましたが、92シリーズに比べると随分コンサバなデザインになっていました。そして少し大型化されたことと4ドアセダンがラインナップされていたことで、対米輸出が大きく躍進し、自動車メーカーとしてのサーブのポジションを確立させることになりました。

 技術的には92シリーズに搭載されていた2ストローク3気筒やフォード製のV4では、ますます厳しくなる排気ガス規制への対応が難しくなるという判断から、トライアンフ製の直4ユニットを搭載していましたが、72年からは自社で開発した直4エンジンにコンバートしてゆきます。

 さらに量販FFとしては初となるターボチャージャーを搭載するなど、先進技術の採用には積極的な姿勢を見せていました。サスペンションも92シリーズのそれを発展させたもので、フロントがダブルウィッシュボーン、リアがリジッドアクスルをコイルスプリングで吊る基本デザインを踏襲。リアにはパナールロッドが追加されていました。

 78年にはSAAB 900が登場しています。これもSAAB流に解釈すれば第二世代として登場したSAAB 99のフルモデルチェンジではなく安全性、特に北米で要求される対衝突安全のレギュレーションをクリアするための変更でした。

 具体的には、ボディ(特にフロントのオーバーハング)を延長して対処していました。エンジンには2ℓ直4ツインカムが設定されましたが、サスペンションはSAAB 99のものが継承されていました。SAAB 900は93年に新型の900に移行し、従来モデルをClassis 900、新型をNew 900と呼び分けるようになりました。

 ただこのNew 900からは、エクステリアデザインこそSAABらしさを残していましたが、メカニズム的にはGM傘下としてドイツのオペルとプラットフォームを共有するなど、オリジナリティは薄れてしまいました。

 その後84年には、フィアット(系列のアルファ・ロメオとランチアも含めて)との共同開発によるフラッグシップセダンのSAAB 9000が登場。さらに900の後継モデルが9-3に、また9000の後継が9-5に名を変えて生産されています。ネーミングに苦心の跡がうかがえますが、いずれも“9”を共通項とする名車の数々でした。

 個人的には、北欧の地に2つの個性的なクルマ・ブランドが発生して成長したことに興味があり、スウェーデンへの博物館探訪の旅を計画していましたが、コロナ禍のあおりを受けて果たせていません。それでもオランダで博物館巡りをした際に、小さいけれどサーブに特化した博物館を何件か取材しており、彼の地での人気の高さを窺い知ることができました。今回の写真の多くは、オランダの博物館で撮影したものですが、コロナ禍が終息したなら来年の夏には是非、スウェーデンを旅してみたいと思いを募らせている今日この頃です。

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