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「真一文字」「ハネ上げ」「カツオ節付き」! 旧車の「バンパー」が個性的すぎた

かつてはバンパーもクルマの存在感を示すためのパーツだった

 バンパーというのは「バンプするも」のという意味で、バンプとは衝撃吸収のこと。見ての通り、ボディの前後に付けて、ぶつけたときの衝撃を吸収するのが本来の機能だ。ヨーロッパに行ってビックリするのが、駐車のときにスペースを作るために前後のクルマを実際に押していること。まさにバンパーの正しい使い方と言っていい。ただし、押されるほうもサイドブレーキはかけないので、そこそこの力で動くとはいえ、我々日本人にとってはただ衝撃的でもある。

 日本人にとって、クルマは大切な財産ということもあろうが、とにかくバンパーですらキズや凹みが付くのは嫌だし、付いてしまったら補修するのが普通だ。厳密に言うと、バンパーになっていないわけで、デザイン上の個性を表現する重要なパーツだったりする。最近ではモノフォルムが主流になって、ボディと一体化が進んでいるが、その昔は鉄のバンパーがドンと鎮座していて、存在感があった。表面はもちろんキラキラ輝く、クロームメッキ仕上げで、そのクルマの個性を決める重要なパーツだったと言っても過言ではない。ということで、今回は鉄バンパーの歴史を形の視点で振り返ってみよう。

とにかく存在感のある「ゴージャス系」

 グロリア、セドリック、デボネアなど、国産車にも高級モデルが登場するようになった1960年代となると、バンパーも高級化。ベースはスチールバンパーでメッキ仕上げと相変わらずとはいえ、バンパー自体にうねりをもたせたり、凹凸を付けたりして、さらには穴が空いたりなど、流麗さをアピール。 さらに注目すべきは通称カツオ節とも呼ばれたオーバーライダーが装着されるようになったことで、このときからすでにぶつけるものではなくなっていたと言っていい。

シンプルな質実剛健「真一文字系」

 高級車はバンパー単体でも豪華になったとはいえ、1960年代から1970年代半ばまでの実用車は真一文字で、ただのバーみたいな感じのものだった。当時としてもかなり味気なかったが、今見るとシンプルで旧車らしいテイストが感じられるポイントだ。

イメージ先行の「変則系」

 ただのパイプを曲げたようなものもあった。フェローバギーは丸くしたもので、バモスホンダは同じような形の小さいのがふたつ付いていた。アウトドア感を演出ということか!?

周辺パーツとの融合も感がられた「跳ね上げ系」

 バンパーは真一文字が基本というところに出てきたのが、左右が跳ね上がっているタイプで、ライトのまわりの顔つきと一体化したものが登場した。1970年頃にあたりにスポーツカー、スペシャリティカーを中心に採用が広がった。 車種としてはダルマセリカ、ランサーセレステなどで、スポーティなイメージで売っていたファミリアにも採用されていた。真骨頂は1972年のマークIIで、あまりの跳ね上がりぶりに、にっこり顔というか怖い顔に見えて、個性ありすぎだった。

スポーツ系に採用されていた「分割系」

 法規的にも許されていたのが分割バンパー。真ん中はグリルで、左右にだけあるというタイプで、多くはないものの、トヨタ2000GTやベレットベレットGT-Rなど、スポーツモデルに採用されていた。 とくにトヨタ2000GTは、左右に小さなバーが付いているだけだったし、弟分のトヨタスポーツ800は逆に真ん中だけだった。

世代交代はもう目の前!?「樹脂パーツと融合系」

 スチールバンパーは見た目はいいものの、ボディに対して単体でネジ止めされていただけに、端の部分は飛び出ていてひっかけたりして危険ということで、取られたのが両端にゴムや樹脂のスペーサーを入れるという方法。1968年登場のハコスカのリヤにも採用されている。 すでに紹介したオーバーライダーもスチールの攻撃性を弱めるためのものだったが、次第に樹脂の部分、つまりカバーが増えていき、1980年ぐらいになると、左右や真ん中が黒い樹脂で、その間が少しだけクローム仕上げのスチールという状態も珍しくなかった。もちろんこれは安全性を考えてのこと。

「見た目黒でも中身スチール系」

 スチールの最後期。1980年前半となると、見た目は樹脂だけど、中身はスチールというのが主流になった。理由はもちろんデザイン性で、ただ造形技術がついてきていなかったというのがある。つまり鉄は芯ということ。見た目は樹脂でソフトな感じとはいえ、形は従来のスチールバンパーに近いものがほとんどだった。その後、樹脂のみになっていき、現在では消滅している。今、もし鉄だけでバンパーを作っても安全基準をクリアできないのは確実だ。

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