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890kgの車体に600馬力の「怪物」! プロでも操りきれない「ランチア・デルタS4」の恐るべき走り

市販車ネーム「デルタ」は名ばかりのモンスター

 WRCで1983年から導入されたグループB。過激なモンスターマシンが暴れまくり、人気を博したカテゴリーだったが、イタリアの名門ランチアは当初は「ラリー037」で参戦したものの、アウディのクワトロなど、フルタイム4WDが勃興してきたことから、リヤミッドシップの後輪駆動では次第に戦えなくなってしまう。時代の趨勢だけに仕方がない面もあったが、指を加えて見ているわけにはいかなかった。

最終兵器たるツインチャージャー

 そこで作られたのが「デルタS4」だ。グループBの規定は非常にゆるく、ベース車両として認められるためには競技向けも含めて年間200台を作ればよかった。WRCで勝つためだけに誕生しただけに、市販車のデルタの名がつくとはいえ、シャーシも含めてまったく別物だった。

 エンジンは「ラリー037」同様にアバルトが手掛けたもので、1759ccの直4をリヤミッドに縦置きしつつ、スーパーチャージャーとターボの二段過給を採用している。低回転をスーパーチャージャーが担当して、回転が上がってくるとターボに切り替わることで、ターボラグを解消するのが目的だった。 また、小排気量としたのは車両規定によって、車重の規定が有利になるためで、890kgしかなかったとされている。急造だったのも影響してか、デザインについてはフロントは当時のランチアのラリー車らしい顔つきだが、リヤまわりは寸詰まりでお世辞にもかっこいいとはいえないものだった。

無冠のWRC帝王「アレン」と「S4」と

「ラリー037」に代わって、WRCに実戦投入されたのは1985年のこと。最終戦のRACラリーに参戦して、いきなり1位・2位に入ってデビューウインを飾る。1986年に入っても好調だったが、第5戦のツール・ド・コルスでコースアウトして崖下へと転落、炎上。

 ドライバーのトイボネンとナビが死亡するという事故を起こしてしまったことから、過激化するグループBが問題視され、1986年内でのグループB中止が決定されてしまう。

 その後も勝利を重ね、マニュファクチャラーとドライバー(マルク・アレン)の両部門を制覇したものの、第11戦のラリー・サンレモでのプジョーの規定違反についての裁定が覆って、両タイトルとも剥奪されてしまう。ランチアが無冠に終わったのは歴代通して「デルタS4」のみで、マルク・アレンが無冠の帝王と呼ばれたのもこの一件が関係している。

 890kgしかない車体に、最終的に600馬力は出ていたとされるエンジンを積んでいただけに、プロドライバーでもコントロールが難しかったのは事実。カテゴリーがなくなってしまうほどの事故を起こしたこともあって、S4の進化は続かず、インテグラーレにその道を譲り、WRCからは姿を消してしまった。

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