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シビックの灯は消えない? アメリカでの新型公開で「日本導入」を歴代モデルから考える

21世紀到来と共に登場した7代目あたりから大転換したシビック市場

 ホンダの新型シビックのプロトタイプが、2020年11月に北米で公開された。現行シビックも北米中心に市場導入され、2年遅れて日本市場へも投入された経緯がある。シビックとアコードは、いまや北米での主力車種であり、北米中心の新車開発は動かしがたい状況が続く。 そこで今回、歴代シビックの中で特に印象的かつターニングポイントとなったモデルを振り返りつつ、新しい11代目シビック国内販売への期待やそれに伴う課題を考えてみる。

「ホンダがいま創るべきクルマ」として誕生した初代モデル

 ホンダ・シビックは1972年(昭和47年)に誕生した。ホンダとしてはその前にホンダ1300という3ボックス姿の4ドアセダンの登録車を売り出し、続いてクーペも出した。

 日産サニーやトヨタ・カローラに対抗する車種といえ、競合2車との違いは、空冷の直列4気筒エンジンと前輪駆動の組み合わせだった。しかしその販売は、想像以上に苦戦した。そこから起死回生を賭けて開発されたのがシビックである。

 開発の根幹となったのは「今、ホンダがどういうクルマを創らなければいけないか」という絶対価値である。競合他車に比べどれだけ優れているか、といった比較によるよりよいクルマではなく、それ以上でもそれ以下でもない、ホンダならではの価値の創造だ。

 そこから生まれたのが「ユーティリティ・ミニマム、マン・マキシマム」の思想であり、具体的には「2ボックスの車体」と「前輪駆動」であった。また、平面の寸法として5平方メートルという枠を決めて開発が進められた。背景にあったのは、2輪メーカーから出発したホンダの販売店は店舗が小さく、その店に収められる車体であることが求められたからである。それら明確な思想と、販売店の事情を含めた制約から生まれたのが、初代シビックの寸法と造形だ。

 加えて、当時社会問題となった公害への対処も、根本から課題解決すべきという本田宗一郎の思想を基に、CVCC(複合渦流調整燃焼燃焼方式)が開発されたのである。これによって、ホンダは世界で最初に排出ガス規制を達成した。

 まさにホンダの独創を形にしたのが初代シビックであり、衝撃的なクルマの誕生となり、市場に受け入れられたのである。ホンダが、一気に4輪乗用車メーカーとして地位を築いた記念すべきクルマなのだ。

 先に英国のミニが似たような姿で存在したが、シビックは日本の誇りといえる輝きに満ちていた。が、そのCVCCエンジン搭載のシビックを運転したとき、私は愕然とした。加速は鈍く、アクセル操作に対する応答が悪く、アクセルを戻してもエンジンがしばらく回転を落とせず、まったく思い通りに運転できなかったのである。

 排出ガスによる大気汚染対策はこれほど大ごとであり、かつ対策が難しく、クルマという存在そのものを否定してしまうのではないかと思わされたほどであった。その衝撃は今も忘れない。もちろん、ここから改良が進み、また触媒を使った排出ガスの後処理技術が普及することでエンジンは活気を取り戻し、80年代のターボチャージャーによる過給と、DOHCによる高性能エンジン花盛りの時代を迎える。だが、70年代前半は生みの苦しみを味わわされた時代であったのだ。

 とはいえホンダもただ手をこまぬいていたわけではない。初代登場から2年後の74年には、高性能仕様のシビックRSを追加した。エンジン出力の向上を示すようにタイヤは径が拡大され、フロントフェンダーのホイールアーチはタイヤの大径化にあわせて一部切り取られ、それだけでも精悍に見せた。 猛然と加速するそのエンジンは文字通り力強かったが、当時の前輪駆動車は前輪に加えられた力をそのまま地面へ伝え、ハンドルを切っても前へ進む駆動力が強すぎてアンダーステアを出し、ハンドル操作も重く、とても操れるとは思えない荒々しさがあった。しかしそうしたシビックでレースを戦う選手があり、彼らの運転技量の高さは想像を絶し、憧れたものである。

 シビックといえば、何より初代であり、その思い出は悲喜こもごも忘れられるものではない。

今なお人気の「ロングルーフ化」した3代目と「VTEC」エンジン搭載の4代目

 次にシビックで驚かされたのは、2ボックスという基本的な形式は変わらないものの、車高を低く見せ、なおかつ客室の広さを外観からも明らかにした、ロングルーフの3代目である。80年代に入ったこともあり、DOHCエンジン搭載車が加わり、レースでも活躍した。トルクがありながら高回転まで回るDOHCエンジンは、世界一のエンジンメーカーであるホンダの面目躍如たる性能を体感させた。

 その延長であった4代目では、ついにVTEC(バリアブル・バルブタイミング・アンド・リフト・エレクトロニック・コントロール)エンジンが搭載される。 これは、インテグラで先に採用された可変バルブタイミング・リフト機構であり、低回転でのトルクと高回転での高出力を両立させるため、吸排気のバルブタイミングとバルブリフト量を可変とする機構である。これも世界初の試みであり、当時まだ世界のどの自動車メーカーも可変バルブを実用化できておらず、CVCC以来のホンダのエンジン技術の高さを世界に知らしめた機構であった。

 VTECエンジンをアクセル全開で試すと、回転の途中からエンジンの音色が一段と高鳴り、力を絞り出すような唸りとともに一気にレッドゾーンまで針を飛ばす。大排気量エンジンの大トルクの加速を、馬に背中を蹴られたようだと形容されたが、VTECの高回転域は、ひと思いに天へ駈け昇るような高揚を覚えさせたのである。それは、どのような高性能エンジンでも体感したことのない異次元の世界であった。

 このVTECは可変バルブ機構を活用することで、低燃費にも効果を発揮し、単に出力を高めるだけでなく、エンジンの力を存分に引き出す技術であったのだ。

「北米偏重」というよりも日本人の心から離れてしまった7代目以降

 それまでのシビックの価値を大きく転換させたのは7代目である。オデッセイの成功でミニバンの価値が浸透したあと、2000年に登場した7代目シビックは、ミニバンのような平らな床構造により、室内空間を乗用車の常識からミニバン的な価値へ転換させたのであった。しかし、その価値は十分理解されないまま、ほぼ同時に発表されたフィットに人々の目は向いた。

 7代目シビックは小型車の新しい世界を拓いたが、初代のRS以来スポーティさも併せ持ったシビックの概念は、持ち合わせなかったからである。しかし、ワゴンのように背が高くない5ナンバーの乗用車でありながら、後席でも足元が広々として窮屈な思いにさせない室内空間の創造は、忘れることができない。

 7代目で販売面で躓いたシビックは、北米主体の商品企画を採り入れ、8代目から3ナンバー車になっていく。そして、日本人の心から潮が引くように去っていった。

 一方、北米におけるシビックへの期待は常に衰えることを知らない。そもそも、米国へ進出し、スーパーカブで人々を驚かせて以来、ホンダがまぎれもない賢いブランドなのである。シビック、インテグラ、アコードそれぞれに顧客があり、彼らはそれぞれに満足し、ホンダ車を順にステップアップしていくという考えはない。

 シビックを愛好する人は常に新しいシビックを求め、愛用し続けるのである。また米国では、4ドアセダンへの需要がまだ残されている。4ドアセダンがクルマの基本なのだ。今回、新型シビックのプロトタイプが4ドアセダンで発表されたことも、それを示している。なおかつ、現行がクーペのような姿であったのに対し、再びトランクリッドの存在を明らかにするような造形に変った。4ドア車に対する米国人の思考をそこに見ることができる。

 日本人は、江戸時代から流行を追うことが好きであり、それは今も変わらない。4ドアセダンが売れないのではなく、SUV(スポーツ多目的車)が流行っているだけのことであり、4ドアセダンを流行らせれば再び日本人もシビックを選ぶ時が来るだろう。あるいは、そもそも2ボックス車で誕生したシビックの思い出に浸る消費者には、セダンは受け入れがたいかもしれない。

 北米で先に公開されたシビックを国内で販売するとしても、4ドアセダンの価値を明確に訴求し、これからの時流であるといった関心を呼び覚まし、買いたくなる導入の仕方をしなければ、シビックの名前を思い出す人は国内に少ないかもしれない。

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