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「立体ウサギ」に「大阪城」! 驚きの「エンブレム」を装着した国産旧車6選

クルマの存在感をより引き立たせる、エンブレムに纏わるエピソード

 『いつかはクラウン』のキャッチコピーで知られるクラウンは、初代モデルが1955年(昭和30年)に登場した、国内で最も長い歴史を誇るクルマ(ブランド)です。初代モデルには車名の由来となった王冠(Crown=クラウン)のエンブレムが装着されていましたが、2代目からはデザイン化されたものに変更されフロントグリルへ、代々のモデルで少しずつ手が加えられながら現行の15代目へと継承されてきました。つまり国内で最も長い歴史を持ったエンブレムなんですね。そんなクルマのエンブレムに関するトリビアを紹介していきましょう。

トヨタ初の量産乗用車には“TOYODA”エンブレム

 トヨタが1936年に完成させた初の量産乗用車はトヨダAA型。当時はまだ豊田自動織機の自動車部で、トヨタではなくトヨダと発音してました。翌37年の1月には自動織機からトヨタ自動車工業株式会社として分離独立していて、車名もトヨダからトヨタへと変更されています。

 そんなAA型はボンネットのノーズにマスコットを装着していましたがそのデザインは漢字の豊田をデザインしたものでした。マスコットの下にはTOYODAの文字が入ったエンブレムもありましたが、マスコット本体にアルファベットやかなを使用していたら、僅か数か月でエンブレムだけでなくマスコット本体も“設変”が必要になるところでした。

 ちなみにトヨタが創立50周年記念事業の一環としてトヨタ博物館を設立する際、記念碑となるAA型を収蔵展示すべく行方を捜しましたが、国内では発見することができず、レーシングカーや特装車の製作で知られるトヨタテクノクラフト(現トヨタカスタマイジング&デベロップメント)で復元製作することになりました。ところが、AA型と思われるクルマが、後にシベリアで発見され、オランダのローマン博物館に収蔵されていることが判明。トヨタ博物館の学芸員が現地に赴いて調査分析したところ、紛れもない本物のAA型であることが証明されることになりました。

日産の速さは“ウサギ”から

 日産の源流である快進社は、1914年に完成した自動車に、支援者だった田健治郎、青山禄郎、竹内明太郎の頭文字(DenとAoyama、Takeuchi)を繋げ、逃げ足の速いうさぎ(脱兎)をもじって脱兎号(DAT CAR)と名付けました。そして実用自動車製造と合併、ダット自動車製造に社名を変更した後に完成した試作車にDATの息子(DATSON)と命名したところ、SONは日本語の損に繋がって縁起が悪いとの声もあって英語では同音の太陽(SUN)に変更したのは有名なエピソードですが、座間の日産ヘリテージコレクションに収蔵されている初期のダットサン乗用車のノーズには、跳ねるウサギをイメージさせるマスコットが装着されています。

 ちなみにダット自動車製造は自動車製造株式会社を経て1934年には日産自動車株式会社に社名を変更しています。その頃には跳ねるウサギのマスコットは、イメージ的に抽象されたデザインとなり、DATSUNの文字もNISSANに変わっていきました。トヨタのTOYODAからTOYOTAへの移行も同じですが、デザインを変えずに文字だけを変更。デザインの細部に拘りを見せる現代と違い、長閑で大らかだった時代を感じさせるエピソードです。

ホンダの“ウィングマーク”

 自動車メーカーとしてだけでなく世界でトップの2輪メーカーとしても知られるホンダですが、クルマのエンブレムはホンダのHをあしらったものを使用し、オートバイに関しては“ウィングマーク”と呼ばれる鳥の羽をイメージしたエンブレムを使い分けています。

 歴史的にみればウィングマークのほうが先に登場し、後からHマークが誕生した格好ですが、実はまだ最初の4輪車である軽トラックのT360が世に出る前に開発が進んでいたF1マシンのステアリングには、まだ誕生していなかったHマークではなくウィングマークが装着されていました。

 ただしT360の市販が開始された後に実戦デビューを果たしたRA271のノーズにはHマークのエンブレムが装着されていました。

 ちなみに、ホンダN360では第一期F1マシンのHマークと似たようなデザインのエンブレムが採用されていましたが、ホンダZやホンダ1300ではスリムで縦長に変化していました。

マツダにはロータリー象徴“▽”プラス“〇”も

 世界で唯一、ロータリーエンジン(RE)の量産化を果たしたマツダ(当時は東洋工業)はR360クーペがデビューして以降〇の中に小文字のmがデザインされたエンブレム、通称“マルエム”マークを使用していました。

 ただし世界初の量産2ローターのREを搭載したコスモスポーツでは“マルエム”マークがREを象徴するローターをかたどった▽の中に収められている、特別なエンブレムが使用されていました。

 これはコスモスポーツに続いて発売されたファミリア・ロータリークーペなどにも継承されています。

REバイクの関わりか?スズキにもあった“▽”

 ところが、これは以前にも紹介しましたが、国内メーカーで唯一、REを搭載したバイクをリリース(輸出専用)したスズキの不思議です。

 スズキは、バイクのRE-5だけでなくクルマのエンブレムにも、ローターをかたどった▽の中にスズキのSをデザインしたエンブレムを使用していたことがあるのですが、これは、あまり知られていません。

 浜松にあるスズキ歴史館で訊ねたこともありましたが、それに関してははっきりした資料が残っていないとのこと。

 フロンテ・ロータリーが存在していたら…。クルマ好きにとっては、そう考えただけでもワクワクします。次の初夢のテーマに取っておくことにしましょうか。

大阪発の象徴、ダイハツの大阪城エンブレム

 一方、一風変わったエンブレムといえば、やはりクラシックな時代のダイハツです。ダイハツは、1907年に大阪で設立された発動機製造株式会社を源流としていて、やがて似たような名前の同業他社が誕生してくるようになったとき、大阪の発動機製造、を略して大発とし、転じてダイハツと社名を変更しています。戦前から3輪の普通トラックを製造してきましたが、戦後は3輪軽トラックのミゼットが大ヒット。自動車メーカーとしての基盤を確立させています。

 そんなダイハツは戦後大小の3輪トラックで欧文のDaihatsuやカタカナのダイハツをデザインしたエンブレムを使用していましたが、3輪の普通トラックでは大阪城をモチーフにしたエンブレムも使用していました。エンブレムのサイズは小さいのですが、実物を見るとその存在感は圧倒的です。

 ところで、現在ではトヨタを筆頭にダイハツ、SUBARU、そして日野の4メーカーが社名の頭文字(SUBARUでは六連星)を楕円サークルで囲んだエンブレムを採用しています。これはトヨタ・グループ各社(SUBARUをそう呼ぶのが相応しいかは別にして)が、OEM商品を生産する際に、エンブレムを交換し易いから、というのも理由の一つになっているんじゃないか。などと穿った見方をしながら、お正月を過ごしてしまいました。

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