イタリア代表として万博に出展されたスポーツカー
古今東西、様々なプロトタイプを紹介するこのシリーズ。4回目となる今回は、前回のランボルギーニ・エスパーダに続いてイタリアを代表するブランドの一つ、アルファロメオのモントリオールを紹介します。
1910年の創業以来、数多くの高性能車を開発生産してきた同社は、世界恐慌に端を発する経営難から33年には事実上国営化されてしまいます。ただ国営化された後も、国民の足となる大衆車ではなく、アルファロメオの名に相応しいスポーツカーや高性能モデルを生産していたことは、イタリアの国民性とイタリア政府の懐の深さを象徴しています。
そんなアルファロメオは戦後まで国営化が続いていましたが、1967年にカナダのモントリオールで開催された万国博覧会に、イタリア政府が出展したコンセプトカーを手掛けています。これが今回のストーリーで主人公となる4座スポーツ、モントリオールのプロトタイプとなり3年後、市販に漕ぎつけたのです。
流麗なエクステリアとは裏腹にチープなメカニズムだったプロトタイプ
ドイツがクルマを発明してフランスが工業化し、それを最も楽しんでいるのはイタリア、とは言い得て妙なフレーズですが、67年にカナダで開催された万国博覧会に、イタリア政府が自信をもって出展したスポーツカーがモントリオール・プロトタイプで、アルファロメオ社内ではMontreal“Expo”と呼ばれています。
デザインを担当したのはマルチェロ・ガンディーニがチーフデザイナーを務めていたカロッツェリア・ベルトーネで、流麗なライント面で構成された美しいクーペボディは、ベネチアンブラインドのような“まつ毛”を配したヘッドライト周りの処理と、ドア直後の太いピラーに設けられたルーバーが大きな特徴となっていました。
それはともかく、エクステリアデザインはとても魅力的でしたが、それに比べるとメカニズム的には少しチープなものとなっていました。すなわち、ジュリア・スプリントGT系のシャシーに、ジュリアの1.57Lの直4ツインカム・エンジンを搭載していたのです。もちろん、このパッケージを否定するわけではありませんが、ポルシェ911やフェラーリ・ディーノ206をライバルと見た場合、特に1.57Lの直4ツインカムというエンジンスペックは、どうしても物足りなさが残ってしまいます。
ただし、モントリオールの万国博覧会が開催されていた当時、Montreal“Expo”は文字通り、博覧会に出展するためのスタディモデルと考えられていましたから、エクステリアが素晴らしければそれでよし、とでも言うのでしょうか、メカニズム的に「スペックがどうのこうの……」と問題視する声は余り聞かれなかったようです。
新しい酒を旧い革袋に入れて市販に漕ぎつける
しかし、大方の予想に反してアルファロメオは、モントリオールの市販化を進めていきました。見直されるべきはメカニズム、特にエンジンのスペックでした。そして実際“まつ毛”を配したヘッドライト周りの処理と、ドア直後の太いピラーに設けられたルーバー、さらにはドアウィンドウまで細部が見直されましたが、エクステリアデザインは基本、Montreal“Expo”の正常進化に留まっています。より現実的になったと言った方が分かりやすいかもしれません。
その一方で、メカニズム関連は大きく見直されています。最大の変更点はエンジンでした。多くの販売台数を見込めないスポーツカーのために、全く新規のエンジンを開発する余裕(時間的にも資金的にも)がなかったからなのか、あるいはレーシングカーのイメージを強調しようとした結果からなのか、おそらくその両方でしょうが、市販型モントリオールのパワーユニットには、67年にデビューしたレーシングカー、スポーツ・プロトタイプ(グループ6)のティーポ33で使用されていた2Lツインカムの90度V8ユニットをベースに、ボアとストロークを伸ばして2.6Lまで排気量を引き上げた新エンジンが用意されることになりました。
レース用のティーポ33は240馬力で、それを流用した市販レーシングスポーツのティーポ33クーペ(クーペ33ストラダーレ……25台生産してグループ5のホモロゲーション取得を目指していたとも噂されていました)でも230馬力を絞り出していましたが、市販型モントリオールのそれは、200馬力と大人しめのチューニングを施されていました。
シャシーに関してはMontreal“Expo”から大きな変更はありませんでしたが、高速化に対応して4輪ディスクブレーキは全てベンチレーテッドタイプに変更され、ローターも大型化されていました。まさに新しい酒を入れるために、旧い革袋もちゃんと見直されていたんですね。