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全日本ラリーでは「無冠の帝王」だった? 超人気車「AE86」が現役時代勝てなかった理由とは

国内ラリーでも人気のモデルだったはずが……

 発売から40年近くが経過するのに中古車価格が高騰するなど根強い人気を誇るAE86。某漫画の影響とはいえ1.6L 4バルブDOHCエンジンを搭載した軽量コンパクトなFR車というパッケージは、2021年の現在でも確かに魅力的である。AE86が現役当時も、今と同じような魅力で多くの走り屋を育てたクルマであったことは間違いない。国内のラリーシーンでも最大勢力を誇るベストセラーカーであった。しかし、意外なことにあれだけ多くの名手が乗っていたにも関わらず、全日本ラリー選手権シリーズのチャンピオンに輝いたことは一度もなく、引退していった不遇の歴史を持っている。

初代TE27はラリーでも大人気だった!

 さて、その理由を国内ラリーの歴史のから紐解いてみよう。1972年、もともとは1.4Lクラスのボディに1.6L 2バルブDOHC&ソレックスツインキャブの2T-Gを搭載した初代TE27型レビン/トレノがデビュー。国内ラリーシーンはTE27が主力車種となった。1974年にはTE37/47型レビン/トレノにモデルチェンジするも、多くのトップドライバーは相変わらずTE27をチョイスしていた。結局TE27の時代は1970年代の末まで続き、国内ラリーはレビン/トレノという図式を確立した。

 ちなみにこの当時の国内ラリーは改造範囲が広く、エンジンはフルチューンがOKで、2T-Gの排気量も1750㏄に拡大するのが主流だった。シャーシ面でもクロスミッションへの変更が許され、サスペンションもリンクの追加など大幅な改造が許されていたのだ。

 1970年代と言えば、暴走族が大きな社会問題となっていた時代。当然、違法改造車は取締りの対象となっていた。ところが、JAFの公認イベントに出場するラリー車はフルチューンの違法改造車だった。これがある新聞記事がキッカケで問題となり、1979年からJAF公認ラリーに出場する車両のエンジンはエアクリーナの入り口からマフラーの出口までは一切改造が許されないフルノーマルとなったのだ。

 1979年、現在の全日本ラリー選手権シリーズの前身となる全日本ラリードライバー選手権シリーズが開催された。この年のチャンピオンカーはなんと、初代三菱ミラージュ1600GTだった。排ガス対策直後の2T-GEUを搭載したTE51/61型レビン/トレノは不評で、チョイスするドライバーも非常に少なかった。

王者目前でライバルが現れたTE71

 しかし、この年にはTE71型がデビュー。排ガス対策もひと段落して2T-GEUも本来の元気を取り戻したと言われていた。リヤサスペンションも前時代的なリーフスプリングから5リンクコイルスプリングのリジッドタイプに進化し、トラクション性能や乗りやすさも大幅に向上した。ちなみにTE71ではレビン/トレノの名前は3ドアハッチのみに与えられ、2ドアHTや4ドアセダンの2T-GEU搭載車にはGTのエンブレムを装着した。

 そして翌1980年から全日本ラリー選手権シリーズがスタート。多くのトップラリーストがTE71セダンで帰ってきた。ラリーには2ドアHTや4ドアセダンがボディ剛性の高さで好まれた。とくにカローラの4ドアセダンGTは4灯式ヘッドライトを採用していたので、夜のステージでも明るさも確保できる上、バランスの良い操縦性から多くのラリーストが好んで使用した。

 1980年シーズン前半、誰もがTE71がチャンピオンになると確信していた。ところがシリーズ中盤に思いもかけないライバルが登場した。PF60型ジェミニZZ-Rである。1.8L 2バルブDOHCを搭載したコンパクトなFR車だ。200㏄の排気量差を活かし、パワフルな走りでラリーシーンをリード。全日本戦には2台のエントリーだったが多勢のTE71軍団を相手にあっさりとチャンピオンを決めてしまった。

 翌1981年の全日本ラリー選手権もジェミニZZ-Rが席巻し2年連続チャンピオン。1982年になると、三菱から1.8L SOHCながらもターボで武装したランサーターボ(FR車)がデビューし、ジェミニZZ-Rの連覇を止めてチャンピオンに輝いた。さらに1983年もランサーターボの2連覇。そしてこの年の5月、ついにAE86がデビューし、TE71は無冠のままラリーフィールドから姿を消すことになった。

ラリーでは2ドアが主流だったAE86

 ニューカマーのAE86はエンジンを新世代のパワフルかつ軽量・コンパクトな1.6L 4バルブDOHCとした。しかもフロントミッドシップに近い位置に搭載するなどパッケージ自体も進化を見せた。一方、シャーシはTE71のキャリーオーバーのようなものだった。フロントはストラット式、リヤは5リンクコイルのリジッドタイプと先代と同じ。ただし、リヤのラテラルロッドの取り付け位置がほぼ水平になり左右にロールした際の操縦性の変化を小さなものにした。またステアリングギヤも、ようやく前時代的なボールナット式から近代的なラック&ピニオンになった。

 サーキットではレビン/トレノの3ドアハッチが重宝されたが、ラリーステージでは2ドアのGTが主流だった。理由はリヤブレーキがドラム式で、サイドターンやブレーキングドリフトなど、リヤタイヤをロックさせやすく、多彩なワザを使えることから好まれたのだ。

 1983年シーズン、AE86にとってはデビューイヤーだが暫定仕様の年。本格的なシーズンは1984年からだった。しかし、ライバルのランサーターボもインタークーラーを装着しパワーアップしてきた。結局、この年もランサーターボが制して3連覇を達成した。

1.6L NAと3Lターボが同じクラスに!?

 翌1985年、全日本ラリーにNISMOがZ31型フェアレディZ300ZXを投入。当初、狭い国内ラリーのコースには大柄なZは不向きと見られていたが、意外にも高い操縦性と圧倒的なパワーを活かして、やすやすとチャンピオンを奪取してしまった。そもそも、3.0Lターボ車と1.6L NA車が同じクラスで戦うことに違和感を覚えるが、当時のレギュレーションでは同じクラスだったのだ。

 そして1986年。この年再び日本のラリー界に激震が走った。エンジンはノーマルだったが、実はシャーシの改造範囲が広いままだったのだ。サスペンションにしても3リンクリジッドを5リンクリジッドに改造したり、AE86でもリヤサスペンションを等長リンクに改造することもできた。もちろん、クロスミッションも搭載可能だった。実態としてはりっぱな違法改造。これが再び問題になったのである。そこで1986年シーズンから、シャーシ面の改造も大幅に規制されたのだ。ロールバーや4点式フルハーネスも禁止(フルハーネスはSSの入り口で装着は可能だった)。バケットシートとステアリング交換も禁止され、純正もしくはオプションまでとされた。サスペンションはスプリングの交換や車高調も禁止。純正スプリングに純正形状のダンパーのみ交換が許された。またホイールも純正もしくはオプションまでとされ、一時的ではあったもののラリータイヤの装着も禁止されたのだ。そして速さに直結するクロスミッションも当然のごとく禁止となった。

 このレギュレーションの改定により、危険なクルマでラリーはしたくないと、有力チームが全日本ラリーからの撤退を表明するなど最悪のシーズンとなった。一方、1985年10月にはマツダからファミリア4WDターボ(1.6L)が登場した。 

 1986年の全日本ラリーでは多くのAE86ドライバーもファミリア4WDターボにスイッチ。いよいよ国内ラリーシーンも4WDターボの時代が幕を開けた。ちなみにこの年のチャンピオンカーは、やはりフルタイム4WDのスバル・レオーネ・クーペRX-Ⅱ(1.8Lターボ)だった。少数派のクルマがタイトルを獲得することになった。

 そして、この年を境に圧倒的台数を誇ったAE86は先代のTE71同様に一度もタイトルを獲得することなく全日本ラリーから姿を消していったのである。

クロスミッション禁止が大きな痛手に

 ちなみに筆者は、AE86がデビューした頃にディーラーへ試乗しに行った経験がある。その時の印象は「意外と線の細いエンジンだな」というものだった。高回転までモーターのようにストレスなく吹き上がるのだが、中低速のトルクが細く感じたのだ。その点では前世代の2T-GEUのほうが骨太でパンチがあるように思った。ちなみに当時はジェミニZZ-Rに乗っていたから、余計にか細く感じられたのではないか。

 後に、中古のフルラリー仕様のAE86に乗り換えたが、そのクルマには3速クロス+スーパーシフトというフルクロスミッションが搭載されていた。このため、以前の試乗で感じたものとは異なり、峠道でも常にパワーバンドをキープできるのでかなり速いという印象だった。しかし、前記のように1986年の車両規定の改定でクロスミッションからノーマルミッションに戻したところ、驚くほど遅いクルマになってしまった。こうしたことからも、クロスミッションが使えなくなり戦闘力が大幅に低下したことも、AE86が国内ラリーから姿を消した理由のひとつではないだろうか。

 最後にAE86を擁護するとすれば、ラリー会場で多数派を占めていたことも無冠の理由のひとつではないだろうか。つまり、レギュレーション違反の領域までインチキ改造をすれば、同じAE86ユーザーから「あのクルマはおかしい。ハチロクがあんなに速いはずがない」と指をさされることは間違いない。しかし少数派で、しかも同一チームからのエントリーであれば、比較のしようがないためレギュレーション違反の改造をしても発覚しにくい利点がある。多数派が勝ちにくいジンクスは、後のファミリア4WDターボやギャランVR-4にも言えることだろう。

 全日本クラスではタイトルを奪取できなかったAE86だが、その下の地方選や県シリーズなどアマチュアの参加するラリーでは勝てるクルマとして高い人気を誇っていた。パーツも豊富でコストパフォーマンスも高く、乗りやすい。4WDターボ時代が到来するまでは、圧倒的なシェアを誇ったラリーカーだった。

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