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クルマ好き「永遠のアイドル」! なぜあの頃少年は「カウンタック」に恋焦がれたのか

いつの時代にも忘れることができないスーパースター

 池沢早人師氏による漫画「サーキットの狼」の爆発的人気をきっかけとして巻き起こったスーパーカーブームは、ランボルギーニ・カウンタック LP400をアイドルとして推移していった。150台ほどデリバリーされたといわれるカウンタック LP400は、一大ムーブメントの推進力となり、その後、本当にスーパーカーを買ってしまう熱心な自動車趣味人をたくさん生み出した。

 皆さんが生まれて初めて見たスーパーカーは、どのクルマだっただろうか? それは生写真やスーパーカーカードなどで見たということではなく、本物を見ることができた車種は何でしたか?

百貨店で開催された小さなスーパーカーショーで出会ったカウンタック

 1971年に生まれた筆者・高桑が一番最初に本物を見ることができたスーパーカーは、ランボルギーニ・カウンタック LP400であった。今回、往時に撮影した紙焼き写真で紹介しているブルーのカウンタック LP400がそれだ。家族でよく行っていた吉川百貨店(かつて東京都町田市にあった)の駐車場で開催された小さなスーパーカーショーにて披露されたクルマだ。

 横断幕に「夢の車 ランボルギーニ・カウンタック LP400 特別展示会」と書かれていることからも、往時の熱狂ぶりを窺い知れる。スーパーカーブーム全盛時は、演歌歌手のリサイタルや相撲の地方巡業などと同じようなノリで、全国各地にて大小さまざまなスーパーカーショーが開催されていた。

 戦後生まれの我が父親は北海道出身だが、仕事で内地に出てきてからは富士スピードウェイなどでレースを観戦していたそうで、510型の日産ブルーバードを愛用する根っからのクルマ好きであった。そういったこともあり、吉川百貨店にカウンタック LP400が展示されるという情報をどこからともなく入手し、わざわざ筆者と弟を連れて行ってくれたのだ。

 1951年にオープンした吉川百貨店には、毎週土曜日に家族全員で行っていたように記憶している。だが、もはや戦後生まれの父親も戦中生まれの母親もカウンタック LP400を見たのが何曜日であったのかまでは憶えていない。

 もっと言うと何年に実施されたイベントなのかも憶えていないが、一緒に展示されたマツダ・コスモLが1977年にデビューしたので、おそらく同年のイベントであると言って間違いないだろう。

 ということで、筆者は6歳だったが、吉川百貨店でショッピング後に最上階のレストランに行き、クリームソーダを飲ませてもらうのが楽しみだったことなどをよく憶えている。

デザインとエンジン音に心奪われた

 そして、そのことよりも鮮明に記憶しているのが、吉川百貨店でのスーパーカーショーのときに聴いたカウンタック LP400のエンジン音だ。トランスポーターのなかで始動した際のエンジン音がまるで雷のようで、運転席側のスイングアップドアを跳ね上げつつ、スロープをバックで降りてきたときの姿も神々しくて本当に驚いてしまった。

 既述したように、往時は全国各地で大小さまざまなスーパーカーショーが開催されていた。そのため、筆者のようにその場でカウンタック LP400の実車を見たことでさらに心酔してしまい、永遠のスーパーカー少年となった人がたくさんいると思う。

 カウンタック LP400のデリバリー数は150台ほどといわれているが、スーパーカーブーム全盛時にはショーなどで本物を見られる機会が多く、それ故にランボルギーニ・ミウラの後継モデルでマルチェロ・ガンディーニがデザインしたウェッジシェイプのスーパーカーがみんなのアイドルとなったのだ。

スーパーカーはカウンタックしか知らなかった

 本稿を書くにあたり、往時も現在もクルマに詳しくない、とある同世代の男性にインタビューしてみたのだ。彼は「スーパーカーブームのときって、幼稚園児ぐらいの年齢だったから、ミウラもイオタもよくわからなかったなぁ。まあ、いまも、そのあたりのことはよくわかっていないんですけど……」。

「でも、そんなボクですら、子どもながらにカウンタックのことは知っていたね。正直に告白すると、スーパーカーはカウンタックしか知らなかった。ドアが上に開くぞ! スゲェ~ぞ、このクルマ! って思っていたことを憶えているね」と熱くアツく語ってくれた。

日本人はカウンタックが大好き

 以前、トヨタMR-Sをベースとしたカウンタック LP500を紹介する『Auto Messe Web』の記事のなかで、オーナーのコメントとして「自動車趣味人ではない普通の方々は、面白いことにディアブロもアヴェンタドールも全部カウンタックだと思っているんですよね。日本人はカウンタックが大好き。それに尽きると思います。ぼくの周りの人たちも、みんなカウンタックが大好き」と書かせてもらったが、もはやカウンタックはスーパーカーと同義語ということなのだ。

 SNSなどが存在していない時代にスーパーカー消しゴムの改造方法が全国共通だったのは、カプセルトイの手動式自動販売機が店頭に置かれていた駄菓子屋が媒体となって、街から街へと伝わっていったからだと解釈している。子どもたちの間で“ドアが上に開くカウンタック LP400ってスゲェ~ぞ!”というウワサも駄菓子屋を通じて浸透していったのである。 そういったこともあり、すっかりインスパイアされてしまったある者は、その後、実際にカウンタック LP400をはじめとするスーパーカーのオーナーとなり、またある者はオーナーになるという夢を抱き続け、筆者のように大量のスーパーカーグッズをコレクションしてしまったのであった。 最後にカウンタックのヒストリーを改めて記しておくと、プロトタイプのカウンタック LP500が一般公開されたのは1971年のジュネーブ・ショーでのことだった。そう、今年でちょうど50年なのだ。筆者も1971年生まれなので、キング・オブ・スーパーカーとして知られるカウンタックと同じ歳である。 みんなのアイドルで、ランボルギーニの未来を切り拓き、筆者が自動車関連の原稿を書くという現職に就くきっかけとなったカウンタック LP400は、いつの時代にも忘れることができないスーパースターだ。

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