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「技術の日産」を体現した名車「ブルーバード」! 消滅せざるを得なかった「苦しい事情」とは

セドリックやサニーとともに、日産の経営基盤を確立した3本柱のブルーバード

“技術の日産”を標榜してきた日産自動車のラインアップの中で、旧プリンス自動車の流れを汲むスカイラインやグロリアに次いで長い歴史を持っているモデルがブルーバードです。 直接の先代モデルは1957年に登場したダットサン210型ですが、そのダットサンをブルーバードの源流とするならば、まだ戦前だった1930年に、日産の前身となったダット自動車製造で生産された小型乗用車が開祖となります。

 当初はダットの息子でダットソンのネーミングでしたが、ソンは損に通じるということで太陽のサンに代えてダットサンとなったという経緯がありました。そう考えるならばブルーバードは80年を超える長い歴史があるということになります。今回はその中で、ブルーバードが辿った半世紀を超える長い歴史を、本流だけではなく支流も含めて振り返ります。

ブルーバードを名乗る前からモータースポーツに挑戦

 初めてブルーバードを名乗ったモデルは、1959年に登場した初代ダットサン・ブルーバードでした。型式は310系で、その点からも1955年から1959年にかけて生産販売されていたダットサン乗用車(110型系と210型系)の直系とされています。 このダットサン乗用車は、ダットサン・トラックと共通の梯子型フレームに前後リジッド式のサスペンションを組み付けるなど、シャーシはまだ旧式でしたが、ボディが完全なプレス鋼板製となっていて、当時としてはモダンなスタイリングが大きな特徴となっていました。またエンジンをサイドバルブの860ccからプッシュロッドの988ccに変更して1957年に登場した210型系は、1958年のオーストラリア・モービルガス・トライアルに参戦してクラス優勝を飾るなどモータースポーツに参戦する魁ともなっています。 そのダットサン乗用車の後継となる初代ブルーバードは、1959年の8月に登場しています。低床式とした梯子型フレームとセミモノコックを組み合わせて軽量高剛性を高いレベルで両立させたフレームに、前輪をダブルウイッシュボーン+コイルの独立懸架としたサスペンションを組付けてシャーシを一新。エンジンはプッシュロッドの988ccを継承していましたが、後に対米輸出に対処するべく1189cc版も追加設定されています。また1963年には、結果的にはリタイアに終わってしまいましたが、サファリ・ラリーにも参戦を果たしています。

SSやSSSグレードが登場しサファリでも大活躍

 ブルーバードは1963年に2代目となる410型系に移行しています。日産初のフルモノコック・フレームを採用したことが大きな特徴で、4ドアセダンに加えて1965年には2ドアセダンも追加されています。 エンジンはともにプッシュロッドの直4で988cc/45psのC型と1189cc/55psのE型を310型系から踏襲していましたが、デビュー1年後の1964年にはE型をツインキャブで65psまでパワーアップしたSSを追加設定。1965年には1595cc/90psのR型を搭載したSSSもラインアップに加わっています。デビュー翌年からサファリ・ラリーに参戦を続け、3年目となる1966年には4台出走したうちの1台がクラス優勝を飾っています。 1967年の8月にブルーバードは2回目のフルモデルチェンジを受けて、3代目となる510型系に移行しました。フロントにマクファーソン・ストラット式、リヤにはセミトレーリングアーム式として、サスペンションを日産初の4輪独立懸架としたことが大きな特徴。またエンジンもOHC直4のL型に交換されL13とL16を搭載していました。 当初は4ドア/2ドアセダンのみでしたが、デビューから1年後にはライバルであるコロナのハードトップに対応する形で2ドアクーペも追加されています。

 さらに1970年には1770ccのL18型を搭載した1800SSSも追加設定されると同時に、下位グレードがL13からL14(1428cc/85ps)に移行しています。 モータースポーツに関しては、やはりラリーでの活躍が目立ちます。サファリデビューとなった1969年に総合3位につけると、翌1970年の第18回大会ではエドガー・ヘルマン/ハンス・シュラー組が総合優勝を飾り、ジョギンダ・シン/ケン・ランヤード組が2位で続き見事な1-2位独占。さらにクラス優勝とチーム優勝もさらい日産の独演会となりました。翌1971年からは主戦マシンがフェアレディZとなりブルーバードは勇退しています。

サイズ拡大で車格アップし6気筒モデルも登場

 1971年の8月に3度目のフルモデルチェンジを受けて、ブルーバードは4代目の610型系に移行します。シャーシの基本設計は、マクファーソンストラット/セミトレーリングアームの4輪独立懸架にディスク/ドラムのブレーキを備えていて、先代の510型系のそれを踏襲していました。ですが、全長が120mm延長されて全幅も40mm拡幅、車重も90kg増加して車格がアップし、車名もブルーバードUとサブネームが追加されていました。

 またデビュー2年後には、ホイールベースを55mm延長して直6エンジンを搭載した2000GTシリーズが追加設定されています。モータースポーツに関しては直4エンジンを搭載した1800SSSがラリーに参戦し、73年のサファリではダットサン240Zに続いて2、4位に入賞、日産のチーム優勝にひと役買っていました。

 しかし510型系直系の後継となるバイオレット(初代モデルの710型系)が、やがて主戦マシンとなっていきます。 一方、ブルーバードUは1976年にモデルチェンジを受けて5代目の810型系へと移行していきます。4ドアセダンと2ドアハードトップの2車型で、直4搭載のベースモデルに加えて直6搭載モデルロングホイールベース版もラインアップするのは先代と同様。一部の廉価グレードを除き、マクファーソンストラットとトレーリングアームによる4輪独立懸架も踏襲していました。  ちなみに、廉価グレードのリーフリジッドは1年後のマイナーチェンジで、リジッドは変わらないものの4リンク+コイルに変更されることになりました。

原点回帰で人気復活 そして前輪駆動へと変貌

 時代に翻弄されるように迷走していたブルーバードは、1979年の11月に5度目のフルモデルチェンジを受けて6代目の910型系に移行します。2ドアハードトップに加えて4ドアハードトップもラインアップに加えられましたが、その一方で4代目の610型系で登場した、直6搭載のロングホイールベース仕様を廃止。直4モデルのみの潔いバリエーションとなったことが大きな特徴でした。

 その直4エンジンにはデビュー半年後にターボが追加設定され、さらにモデル中期にはZ系からCA系に移行。大ヒットとなった3代目/510型系に似た、直線的でクリーンなスタイリングとなったことが最大のトピックで、ベストセラーに返り咲いています。

 モータースポーツに関してはスペシャルシャシーに2L直4のレース専用エンジンを搭載しグループ5に則った、いわゆるスーパーシルエットカーが登場。富士GCシリーズのサポートレースなどで活躍していました。 そして1983年には大きな変革のときを迎えることになります。それまで後輪駆動のパッケージを継承してきたブルーバードが、6度目のフルモデルチェンジで登場した7代目でシャーシを一新。サスペンションも4輪ストラットを採用していましたが、何よりも直4エンジンをフロントに横置き搭載して前輪を駆動するFWDパッケージで生まれ変わったのです。型式名も先代までの3桁の数字で表されるものからU11型系へと一新されていました。 ボディ車型は4ドアセダンと4ドアハードトップの2タイプで、いずれもエクステリアデザインは先代モデル、6代目の910型系に似た直線的でクリーンなスタイリングでまとめられていました。なお、デビュー1年後にはV6エンジンを横置き搭載した上級シリーズ、ブルーバードマキシマが誕生しています。

4輪駆動をラインナップしブルーバードマキシマが単独車種として独立

 1987年の9月に7度目のフルモデルチェンジを受けて、ブルーバードは8代目のU12系に移行しました。4ドアセダンと4ドアハードトップの2車型で4輪ストラットのサスペンションも先代と同様でした。ですが、当初はエンジンも先代から踏襲したCA系を搭載していましたが、後期モデルでは新設計のSR系にコンバートされていました。 大きなエポックとなったのが、センターデフを持ったフルタイム4WDシステムを組み込んだATTESAシリーズがラインアップされたこと。そしてラリー参加のためのスポーツモデル(JAF競技用ベース車両)としてSSS-Rが設定されたことも見逃せません。CA18DETをベースに最高出力を185psに引き上げたCA18DET-Rを搭載し、クロスレシオのギヤを組み込んだミッションや、ロールバーも装備されていたSSS-Rは翌1988年の全日本ラリー選手権に参戦し、綾部美津夫選手がチャンピオンに輝いています。 1989年のマイナーチェンジでCA系からSR系に移行した際に、SSS-RもCA18DET-RからSR20DETに換装されていますが、これはベースモデル(標準車)と共通のスペックとなっていました。 また、1991年にはオーストラリア製のステーションワゴン、ブルーバード・オーズィーが追加設定されています。なお、先代の後期に登場したブルーバードマキシマ(U11系)は、本体のモデルチェンジの後も継続して生産され、1988年にマキシマとして独立しています。

シャシーをめまぐるしく変更しながら5ナンバーフルサイズに

 直4エンジンを搭載したモデルのみとなったブルーバードは、1991年の9月に8度目のフルモデルチェンジを受け、9代目のU13系に移行します。先代のU12系と同様に4ドアセダンと4ドアハードトップの2車型でしたが、ハードトップがピラーレスからピラードハードトップに変更され、プレスドアのセダンに対してサッシレスのハードトップはイメージ的にも大きな違いを演出していました。 シャーシではリヤサスペンションが一般的なストラット式からロアアームをパラレルリンクとしたものに変更されていました。またデビューから2年後には、主力エンジンのSR系と同じ直4ながら、輸出モデルに採用されていた2.4LのKA24DEを搭載したモデルが追加投入され、ブルーバードとして初となる3ナンバー・モデルが誕生したのも見逃せません。

 さら1996年には9度目のモデルチェンジを受けて10代目となるU14系に移行しています。最大のニュースはプリメーラ(2代目のP11型系)とフロアパンを供したことで、結果的に前後サスペンションもマルチリンク式とマルチリンクビーム式(2輪駆動。4輪駆動はストラット式)に変更されていました。同時に全長とホイールベースも、それぞれ20mmずつ短縮され、若干ながらダウンサイジングを果たしていますが、全長は4565mm、全幅は1695mmと、引き続き5ナンバー・フルサイズであったことには変わりありませんでした。 4ドアセダンの1車型となりましたが、エンジンはそれまでのSR系に加え可変バルブタイミング・リフト機構を組み込んだ、最高出力190psのSR20VEを搭載した2.0 SSS-Zや、リーンバーン式のQG18DEなどが投入されていきました。ただしこうした技術的なトライも、今から振り返ってみると、迷走だったと言うべきかもしれません。2000年の8月には車格がひとつ下のサニー(9代目にして最終モデルとなったB15型系)とフロアパンを共有するブルーバード・シルフィ(G10型系)が登場。U14型系は生産終了となってしまったのですから。

サニー改めシルフィも本流とはならず! そしてブルーバードが消滅

 10代目のU14型系が2001年に生産終了となった後は、2000年に登場していたブルーバードシルフィがブルーバードの名跡を継ぐことになりました。フロアパンはサニーと共通でしたが、ブルーバードを名乗ることから1.3L~1.8Lのエンジンを搭載していたサニーに対して1.5L~2Lへとエンジンを1クラス上方にシフト。上級グレードには2L直噴式のQR20DD型が用意されていました。 ダウンサイジングと新型エンジンによって環境性能が引き上げられていたのは大きな特長でした。ですが、Dセグメントをプリメーラに譲ってCセグメントにコンバートしたはずが、「従来のブルーバードファンにはコンパクト過ぎるのでは?」との想い(不安?)もあったのでしょうか、フルモデルチェンジで2代目(ブルーバードとして数えれば12代目となるG11型系)では再びサイズアップ。ブルーバードの最終モデルとなったU14型系よりも全長/ホイールベースともに長くなってしまいました。 何よりも顕著だったのは、G10型系の時代にはエンブレム(カーバッジ)で、ブルーバードのロゴを大きくしてみたり、反対にシルフィの方を大きくしてみたりを繰り返して、まさに迷走が始まっていた感があります。

 モデルチェンジのたびにボディを肥大化させ、エンジンの排気量を拡大していく。やがて空白となったポジションに、新たな(車名の)モデルを投入する。世界中のメーカーが、いまだにこの悪弊を断ち切れないでいるのですが、セドリックとともに日産の屋台骨を支えてきた3本柱のふたつ、サニーとブルーバードが混乱の末に消滅していった(消滅させざるを得なかった)ことは、日産の苦悩の深さを表しているようにも思われます。

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