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セリカはWRCでも大活躍! トヨタ栄光の4WDスポーツ「歴代GT-FOUR」を振り返る

今も脈々と受け継がれるトヨタAWDスポーツの系譜

 2020年に登場したGRヤリス。トヨタ久々の4WDスポーツであることはもちろん、その性能の高さからクルマ好きの間で話題のモデルとなりました。そんなGRヤリスに採用された4WDシステムの名前は「GR-FOUR」。その名を聞いて、かつてのトヨタ4WDスポーツに与えられたグレード名「GT-FOUR」を思い出した人も多いのではないでしょうか。今回はそんなGR-FOURの先祖と言える、GT-FOURたちを振り返っていきます。

4代目セリカ(ST165)

 1985年に登場した4代目セリカ。従来のFRからFFへと変更を受け、それまでの角ばったデザインから「流面形」をアピールしたデザインとなり、一気に新世代へと進化したフルモデルチェンジでした。

 そんな4代目セリカへ、1986年に追加されたグレードが「GT-FOUR」(ST165)でした。セリカのトップグレードとして発表されたGT-FOURはトヨタ初のスポーツ4WDであり、以降トヨタのスポーツ4WDに代々与えられた伝統的なグレード名となります。

 水冷インタークーラー付き2Lターボの3S-GTEは185psを発生し、そのパワーをフルタイム4WDで路面に伝達。当時の5ナンバークラスの日本車としてはスペックがトップクラスであるのはもちろん、与えられたメカニズムも最新鋭のものでした。 販売台数5000台以上というグループAのホモロゲ―ションの関係から、WRCへの参戦は1988年まで待つことになります。それまでトヨタは繋ぎとして、ラリーマシンに仕立てるには大きく重いFRの70スープラでWRCを戦っていました。

 トヨタ初のスポーツ4WDであるセリカGT-FOURは、WRCの現場で実践投入が待ち遠しかったマシンと言えたでしょう。ランチアを始め強力なライバルを相手に苦戦を強いられますが、1989年にオーストラリアで初優勝を飾ると、翌1990年にはカルロス・サインツがドライバーズタイトルを獲得しました。

 そしてもうひとつ、忘れてはいけないのがスクリーンでの活躍です。1987年に公開された映画「私をスキーに連れてって」に、原田貴和子さん演じる佐藤真理子と高橋ひとみさん演じる羽田ヒロコの愛車として登場。邦画には珍しい雪道での派手なカーアクションはもちろん、「4駆は雪に強い」という彼女たちのセリフが、セリカの劇中での活躍を印象付けるものとなりました。

5代目セリカ(ST185)

 1989年にセリカが5代目へと進化すると同時に、GT-FOURも登場しました。セラミックタービンと空冷インタークーラーが採用され、先代モデルよりも40psのパワーアップとレスポンス向上を実現。また日本車初のトルセンLSDも装備され性能とコントロール性の両方が進化しています。 WRCでの勝利を目的としたホモロゲ―ショングレード「GT-FOUR RC」も限定販売されました。「RC」はラリーコンペティションを意味しています。ホモロゲーション取得のための限定グレードということもあり、その販売台数は全世界で5000台(日本1800台)でした。

 通常のGT-FOURとRCの違いとしては、水冷インタークーラーやメタルタービン、エキゾーストシステムの採用により10psのパワーアップしたエンジン、冷却を考えられた専用ボンネットなどが挙げられます。 ST185セリカでの特出すべき点はWRCでの活躍。1992年からWRCへの参戦を開始。ここからトヨタのラリー黄金期を築きます。1992年から1994年はドライバーズタイトルを3連覇で獲得。1993年には日本車初のマニュファクチャラーズタイトルも獲得、これは6連覇していたランチアを抑えての勝利でした。翌1994年もドライバーズタイトルとマニュファクチャラーズタイトルの2冠を達成しました。

6代目セリカ(ST205)

 1993年に6代目セリカが登場。それまで用いていたリトラクタブルヘッドライトから丸目4灯のヘッドライトに変わったのがエクステリアでの大きな変化と言えます。GT-FOURは1994年に登場(ST205)。

 それと同時に先代モデルにおけるRCと同様のホモロゲ―ショングレード「WRC仕様車」が全世界で2500台、国内で2100台限定販売されました。 熟成が進んだ3S-GTEエンジンは先代から30psアップの255psを発生、インタークーラーも標準モデルで水冷式を装備。また大型の専用ブレーキが装備されるとともに、スポーツ走行で使えるABSと評判の高かったスポーツABSがオプション設定されました。通常のGT-FOURとWRC仕様車の違いは、専用大型リヤスポイラー、フードエアスクープなどの外装面での違いが中心となっていました。

 WRCには1994年の途中から参戦を開始。しかしながら1995年シーズン途中で車両規定違反が見つかり、トヨタはしばらくWRCを遠ざかることに。1998年にWRCに復帰しますが、ベースマシンをカローラへと変更したため、ST205セリカでのWRC活動は2シーズン足らずで終えてしまいます。

3代目カルディナ

 1999年に6代目セリカの生産が終了し、7代目へと移行。7代目はFFのみのグレード展開となりGT-FOURの名も途絶えてしまいました。しかし、2002年に登場した3代目カルディナでその名は復活します。

 トランスミッションは4速ATのみの展開でしたが、260psを発生する3S-GTEエンジンに、リヤにトルセンLSDを装備した(GT-FOUR Nエディション)フルタイム4WDを組み合わせたそのパッケージは、GT-FOURを名乗るのにふさわしいものでした。 ニュルブルクリンクを走りこんで開発したというその走行性能への評価は高く、一説には80スープラよりも同サーキットでのラップタイムが速かったとも言われています。モータースポーツでの活躍はありませんでしたが、GT-FOURの名に恥じない熱い走りを実現したモデルでした。

 映画での活躍、ラリーでの快挙など多くのエピソードがあるGT-FOUR。その伝統を受け継いだと言えるGR-FOURはこれからどんなエピソードを残していくのか、これから各シーンでの活躍が楽しみと言えます。

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