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「いいクルマ=売れる」とは限らない! モデルチェンジして大失敗しちゃったクルマ3選

販売台数に山あり谷ありは常だが 

 今回のテーマは、モデルチェンジで失敗したクルマ。ここでいう“失敗”とは販売台数減のことだが、モデルチェンジによる販売台数減には大きく分けてふたつの理由があると考えられる。

 ひとつは、コンセプトの空回りだ。従来モデルのコンセプトやパッケージングがユーザーから好評だったのに、フルモデルチェンジによるクルマ作りの変化に原因があって販売を減らしてしまうパターン。言うなれば、クルマが変わり過ぎてそっぽを向かれたパターンである。

 もうひとつは、市場の変化だ。クルマ自体は大きく変わっていないのに、市場自体が変わって好まれるクルマに変化が生じた……つまりクルマが取り巻く環境に置いていかれたパターン。

 モデルチェンジの失敗は、そのどちらかに理由があることが多い。長いクルマの歴史に、販売台数山あり谷ありは常だが、モデルチェンジのあり方が象徴的だったものをいくつか振り返ってみよう。

クーペ市場冷え込みの煽りをもろに食らった

日産6代目シルビア

 頂点からどん底を味わったクルマといえば、なんといっても日産シルビアだろう。1988年5月に発売された5代目のS13型は、わずか3万台ほどしか日本で販売されなかった4代目(S12型)から一転。5年間で約30万台が販売される大ヒット作となった。 1993年にはフルモデルチェンジで次のS14型にバトンタッチしたが……こちらは大失敗。5年ほどのライフで、わずか9万台弱しか売れなかった。 売れなかった理由は「デザイン」とか「3ナンバー化されたから」などクルマに原因がある説が語られることが多いが、最大の理由は時代の流行がクーペではなくなったからだろう。

 1990年前後は世の中がバブルで浮かれていて、実用性よりもカッコよく美しいクルマが好まれた。S13シルビアはその波にうまく乗れたが、S14の時代になると世の中の好みが変化し、クーペが「多くの人が普通に乗るクルマ」ではなくなってしまったのだ。ちなみに1999年に登場したS15型の販売台数は約4万台弱と、S14型よりもさらに少ない(※編集部注:販売期間も短い)。 S15型はデザインの評価が高く、車体も5ナンバーである。それなのに売れなかったことをみれば、「デザイン」や「3ナンバーサイズ」がS14の不振の理由ではなかったことが理解できる。

正常進化するもユーザーの嗜好感覚に合わず

ホンダ3代目ステップワゴン

 初代デビューは1996年。同乗翌年の1997年には登録車の年間販売ランキング5位に入るなど、世の中から支持されたのがホンダ・ステップワゴンだ。その後2003年まで初代、2代目は販売ランキングの上位につけていた。 だが、モデル末期の2004年を経て、2005年にフルモデルチェンジした3代目から販売台数が減ってしまった。

 その理由はどこにあるのか? それは、ホンダ独自の低床設計だった。床を低く設計するとことで室内高はしっかり確保しつつも、天井が低いプロポーションを獲得。低い床は乗り降りがしやすく、重心が低いからハンドリングもよかった。クルマの理想を求めた、機械としてはまさに正常進化だったといえる。 しかし、市場はそう判断しなかった。ユーザーにはそのコンセプトが理解されず、「背が低いから室内が狭い」と思われて敬遠されてしまったのだ。全長が短くなったのも失敗だった。

 開発陣が考慮していた理想の空間とはいえ、ときにユーザーの気持ちから少しのズレが生じてしまう、なかなか理解できない、コンセプトの空回りである。クルマとしてはとてもいい出来だっただけに、なんとも残念としか言いようがない。そして、次のモデルチェンジでは「背が高く、大きく見えるスタイル」へと生まれ変わったのは言うまでもないだろう。

世の中のニーズと合致しなくなった

トヨタ2代目ウイッシュ 

 2003年のデビュー以来快進撃を続け、2009年のフルモデルチェンジまでに約52万台の初代モデルを販売したトヨタ・ウイッシュ。 しかしバトンを受け継いだ2代目は、8年半という長い販売期間にもかかわらず約23万台しか売れなかった。台数でいえば、失敗である。 初代デビュー時は年間約16万台と驚くほど売れたのに比べると、生産終了の前年となる2016年の販売台数はわずか1万752台。1/15程度に過ぎないのだから、まさに盛者必衰である。

 とはいえ、販売が振るわなくなった原因はクルマ自体ではなく市場の変化だ。2003年ごろはミニバンにおいて多様化を迎えていたピークで、背の低いタイプも強い人気があった。しかしその後、ミニバン市場は背が高くて室内が広いモデルに人気が集中。広さの時代を迎え、ウイッシュは世の中のニーズに合致しなくなっていったのである。 余談だが、2代目モデルの開発主査は一時期、多田哲哉氏が務めていた。多田氏といえば86やスープラといったスポーツカーのイメージが強いが、その前はウィッシュや初代ラクティスなどファミリーモデルの開発もまとめていたのだ。

 フルモデルチェンジを境にクルマの人気が落ちた場合、フルモデルチェンジで変更された“何か”が原因とされることが多い。しかし、状況を冷静にみるとそうではなく市場の変化によるケースも少なくないのである。

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