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クラウンのV8をぶち込んだ魔改造「コンテッサ」! 今なお現存する幻の「デル・ダンディ・ツーリング」とは

モータースポーツでも活躍していたコンテッサ

 今ではトヨタグループの一員として大型トラックやバスの専門メーカーとなっている日野自動車ですが、かつては乗用車も生産していました。またグループ6の純レーシングカーを製作してレースに参戦するなど、モータースポーツでも活躍。そんな日野を代表する乗用車がコンテッサ1300です。

 イタリアの巨匠、ジョバンニ・ミケロッティがデザインした端正な4ドアセダンと流麗な2ドアクーペがあり、本場のコンクールデレガンスで何度も表彰された秀逸なデザインが大きな特徴でした。そのコンテッサ・クーペにクラウン8の2.6LV8エンジンを搭載し、和製コブラを目指したデル・ダンディ・ツーリングを振り返ってみました。

当時の技術的トレンドだったリヤエンジンで正常進化

 デル・ダンディ・ツーリングを振り返る前に、まずはベースとなった日野コンテッサから見ていきましょう。明治の末期から大正、そして昭和初期にかけて鉄道車両や自動車、航空機を手掛けていた東京瓦斯電気工業を祖とし、いすゞ自動車とも同門に当たる日野自動車は戦後、ディーゼル機関の技術を活かして超大型のトレーラートラックや大型トラック・バスの製造を手掛けていました。1953年にはフランスのルノーから技術供与を受けて、ルノー4CVのノックダウン生産を始めています。

 1961年には自社開発のコンテッサ900を発売。そして1964年にはミケロッティにデザインを委託したコンテッサ1300を発表しています。ルノー4CVから継承されたリヤエンジン・パッケージを採用していて、フロントにラジエーターはないのですが、やはりミケロッティの手によるトライアンフ2000にも通じるデザインモチーフが感じられます。シャシーはルノー4CVやコンテッサ600のそれを正常進化させたもので、フロントがダブルウィッシュボーン、リヤがスイングアクスルの4輪独立懸架が奢られていました。

 新たに開発されたエンジンはOHVの直4で、ボア×ストロークが71.0mm×79.0mmとロングストロークで、1251ccの排気量を持ったGR100型が搭載されていました。特徴的だったのはOHVながらダブル・ロッカーアームを使用しバルブ配置をクロスフロー式としていたことで、エンジニアの意気込みが感じられます。

 1964年の9月に4ドアセダンが登場し、翌1965年の4月にクーペが追加されています。クーペが登場するに際してはセダンに搭載されていたシングルキャブ/55ps仕様からツインキャブ/65ps仕様にチューニングが施されていました。そしてその半年後には、クーペ用の65ps仕様エンジンをセダンに搭載した1300Sも登場しています。さらに1966年ごろにはレース用として、ボディパネルの板厚を変えて軽量化を追求した20台のコンテッサLが製作されています。このなかの1台がデル・ダンディ・ツーリングへと発展していったのです。

V8エンジンにコンバートして突然変異

 デル・ダンディ・ツーリングを製作したのは、デル・レーシングの名でチューニングやレーシングフォーミュラの製作を手掛けていた塩沢商工でした。1964年に行われた第2回日本グランプリでは、デル・レーシングが日野自動車からエンジンなどのサポートを受けて製作したデル・コンテッサが、立原義次選手のドライブで総合6位に食い込んでいます。

 そんな塩沢商工は、国内における日野自動車のワークス格で、コンテッサLも4台が供給され、そのうちの1台がデル・ダンディ・ツーリングにコンバートされることになったようです。大排気量のエンジンに交換してスポーツカーを仕立てるというのは、古今東西、さまざまなトライがありました。

 イギリスのACカーズが、ブリストルからエンジン供給が中止されることになったエース用に、イギリスフォードからゼファー用の2.6L直6エンジンを供給されるようにおぜん立てをしていました。アメリカのチューナーであり、やがてコンプリートカーのメーカーに名乗りを挙げるシェルビーが、米国の本家フォードが新開発した4.26L V8エンジンを搭載することを考えて企画したACコブラなどはその好例です。

 デル・ダンディ・ツーリングも同様に、1.3L直4のGR100型エンジンが搭載されているエンジンルームに、2.6L V12エンジンを移植したのです。

 もちろん直4からV8へのコンバートでエンジン自体のサイズアップも見逃せませんが、排気量が倍増したことで発生する熱量も増大。冷却系の容量をアップさせる必要があって、とくにラジエーター類は大きなものに交換されていたそうです。

 ただし、現状では直4のオリジナルエンジンに戻されていて、保有しているPRINCE GARAGEかとりの香取 孝さんによると「ミッションが壊れていて直すよりヒューランドに特注するほうが早いけれど、コストもばかにならない。ということで載せ替えられたようです」とのこと。

 幅広のV8からスリムな直4に乗せ換えられたことと、ラジエーターも小振りなものに交換されていることで、エンジンルームはゆったりとして隙間が目立つほど。ボディのリヤサイドに設けられたエアアウトレットも手持無沙汰のようでした。

 外観ではそのエアアウトレットが最大の特徴ですが、その前方、リヤのホイールアーチにはステンレス製のオーバーフェンダーを装着。控えめではあるけれどもしっかりと自己主張していました。

 また前後のバンパーも特製で、二段重ねとなった左右のテールランプに挟まれたリヤのグリルもメッシュ製のものに交換されているなど、オリジナリティに溢れたルックスが見てとれます。

 インテリアでは、これも軽量化が目的だったようですが、2脚のフロントシートが小振りなバケットシートを装着。ブランドは確認できませんでしたが、コルビューの小さなバケットシートのように見受けられましたものに交換されていました。

 ダッシュボードなどはオリジナルのままでしたが、ミケロッティがデザインしたエクステリアと同様にイタリアンテイストに溢れたもので、今でも全く古さを感じさせない仕上がりを保っていました。個体が残っていて、その開発者とも連絡が取れるとのことで、より深く掘り下げたリポートは、また別の機会に取り上げたいと思っています。

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