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バカッ速チューニングの元祖! アメ車文化の「ホットロッド」って何?

ハリウッド映画でよく見かける「ホットロッド」のカルチャーとは

 アメリカの自動車文化を語る上で欠かせないキーワードが「ホットロッド(HOT ROD)」だろう。ところが言葉は知っていてもその定義や歴史を知っている人は少ないはず。そこで「そもそもホットロッドって何?」を深掘りしてみよう。

独り歩きしている「ホットロッド」という言葉

 自動車好きなら「ホットロッド」という言葉自体は聞いたことがある人も多いはず。多くの人は漠然と「アメリカのカスタムカーのジャンルのひとつ」という認識はあるものの、具体的に説明できる人はほとんどいないだろう。

 身近なところでは、横浜の「ムーンアイズ(MOONEYES)」が主催し、毎年末に開催される「横浜ホットロッドカスタムショー」というイベントがある。ところが「ホットロッド」と名前が付いているものの、現在では多くのジャンルのカスタム車両が集まり、どの車両がホットロッドなのかがよく判らないというのが現状だ。

 そこで今回はホットロッドのルーツをひも解いてみるとともに、その後の歴史や現在を調べてみることにしよう。もちろん諸説あり、ひとつには絞れないが、歴史を調べてみることで、アメリカの自動車文化の奥深さも知ることができるはずだ。

ホットロッドの誕生は1930年代後半の南カリフォルニア

「ホットロッド」という単語が登場するのは、1930年代後半の南カリフォルニアであるというのが通説だ。市販車をベースに速く走るための改造を施した車両でスピードを競ったのがルーツ。より軽量な「ロードスター」(オープンカーのこと)をベースに改造した車両「ホット・ロードスター(HOT ROADSTER)」が語源であるという説や、ライバルより速く走るために高回転になったエンジン内部の「コネクティングロッド」が焼けるように熱くなるという表現から「HOT ROD」という言葉が生まれたという説などが有力だ。

 発生当時はある程度裕福な自動車好きが主体であった「ホットロッド」文化は、第二次世界大戦後に大きく変化を遂げる。戦地から引き上げてきた復員兵たちが、すでに10年近く型落ちとなり安価で入手しやすかった1930年代のフォードなどの車両をベースに、軽量化のためフェンダーなどを外し、最新のエンジンを搭載した改造車を作りスピードを競うようになる。

 軍隊経験で航空機技術などを取得していた彼らのなかには、速く走るためのパーツを作り出す者も出現し、街なかで1/4マイルをいかに早く駆け抜けるかを競うイリーガルな「ドラッグレース」も行われるようになった。さらにスピードが100マイル(160km/h)に到達すると、より平坦な砂漠地帯の塩湖の湖面を利用して、レースを行うようになっていく。

厳しい取り締まりを避けストリートからレース場へ

 ホットロッドのカルチャーは、徐々にそのレベルが上がっていくとともに、街なかでのレースは危険な行為として厳しく取り締まられるようになる。ところがここでカルチャーが潰えてしまわないのがアメリカの自動車大国たる所以だ。

 まずは1937年、塩湖で最高速を競うスピードトライアルは、「SCTA(Southern California Timing Association)」という競技組織が発足し、地元のカークラブを中心に活動を開始。戦後すぐにレギュレーションなどが細かく定められ、レース競技へと昇華していく。

 一方1/4マイルをスピードを競うストリートでのイリーガルなドラッグレースも、1951年に「NHRA(National Hot Rod Association)」が発足。全米でドラッグレースがモータースポーツとして合法的に存続することとなったのだ。これによってホットロッドは市民権を得て、より広い世代に知られるようになるとともに、アメリカの自動車文化を語る上で欠かすことのできない要素となっていく。

ナンバー付きにこだわりストリートに残ったHOT RODも

 もちろんレース場にステージを移すことを拒んだ者もいた。彼らはあえてナンバー付のストリートカーでスピードを競うことにこだわり、頑なにイリーガルなドラッグレースを繰り広げていた。1950年代後半から60年代になると、アメリカの自動車はその好景気に圧されて巨大化し、豪華絢爛を極めるようになる。そんな豪華な最新の自動車に、見た目はポンコツな改造車がストリートのシグナルレースで後塵を浴びせる様子に、多くのスピードフリークたちが憧れたのだ。

 この時代のカスタムカー事情は、ジョージ・ルーカス監督で無名時代のハリソンフォードが黄色い1932年型フォードのホットロッドに乗るボブを演じ、1962年当時のカリフォルニアを描いた映画「アメリカン・グラフィティ」に詳しいので、見たことのない人はぜひ参考にしてほしい。

スピードよりも容姿を競うようになったホットロッド派生系たち

 ここまで見てきたように、狭義での「ホットロッド」は1930年代の車両をベースに、速く走るための改造が施された車両を指す。ところが無用なものを外し、極限までスピードを追求したホットロッドのスタイルに、美を見いだす人も現れ、ホットロッドのスタイリングをモチーフにカスタムカー・ビルダーが製作したショーカーが数多く誕生するようになる。のちにビレットホイール製造で日本でもその名前が知られるようになる「BOYD(ボイド)」も、カーショー用のホットロッド製作を手がけたショップのひとつだ。

 カーショーを目的にドレスアップされた車両は本来の「ホットロッド」の定義に反する面も多いのだが、時代とともに定義は拡大解釈されるようになり、さまざまな派生系が誕生する。本来速く走るために誕生したホットロッドを街乗りで快適に乗るために、より現代的なサスペンションなどの最新装備やエアコンなどの快適装備を装備した「ストリートロッド(STREET ROD)」と呼ばれるスタイルもそんな派生系のひとつ。

 合わせてベース車両も1930年代の車両に限らず、1950年代ごろまでの幅広い車種をベースとする車両も「ホットロッド」と呼ばれるようになっていった。こうして本来の意味からはかけ離れてしまったものの、ホットロッドという言葉は半世紀を経過した今でも残っているのだ。

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