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かわいいクルマって何もの? 朝ドラ「カムカムエヴリバディ」で突如脚光を浴びた「VWカルマンギア」とは

「ビートル」を元にイタリアデザインのボディを与えられた名車

 1月13日に放送されたNHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」第51話にて、トミー(早乙女太一)、るい(深津絵里)、大月錠一郎(オダギリジョー)、ベリー(市川実日子)の4人が海へドライブしたシーンで乗っていたピンクのオープンカーが話題になっている。

 そのクルマ、「フォルクスワーゲン・カルマンギア・カブリオレ」とはどんなモデルなのか、詳しく解説しよう。

オープンカーの名門「カルマン」社が企画

 まず、「フォルクスワーゲン・カルマンギア」(Volkswagen Karmann Ghia)という車名には3つの会社が含まれている。「ビートル」でお馴染みのフォルクスワーゲンは説明するまでもないだろう。「カルマン」社は1901年に創業した、自動車のボディ製造と組み立てのスペシャリスト(コーチビルダーとかカロッツェリアと呼ばれる)で、ドイツのオスナブリュック市を拠点としていた。

 第二次大戦後、西ドイツ復興とともに「ビートル」の量産体制が拡大していくなか、そのオープンカー仕様「ビートル・カブリオレ」の生産を1949年からカルマン社が請け負うことになった。

 VWの公式コーチビルダーとして関係を強化したカルマン社は、「生活水準の向上とともにVWオーナーはさらに上質なモデルを求めるにちがいない」と考え、ビートルのシャシーとエンジンをベースにしたスポーツモデルというアイデアを、1951年にVW社長ハインリッヒ・ノルトホフに提案。このころすでに北米市場を意識していたノルトホフはこの案に乗っかって、パーツ供給を確約したのだった。

 この時期に社長に就任したヴィルヘルム・カルマン・ジュニアは、自車でもいくつかのプロトタイプを試したあと、1953年春、友人のイタリア人デザイナー、ルイジ・セグレにデザインを依頼した。イタリア・トリノの伝統あるデザインスタジオ「カロッツェリア・ギア」のオーナーになったばかりのセグレは、この年の10月に流麗なクーペボディのプロトタイプを完成させた。

 こうしてVW、カルマン、ギアと3社のコラボレーションによって生み出された「フォルクスワーゲン・カルマンギア」は1955年8月に発売された。狙い通り、ビートルでは物足りなかった、手軽でスポーティなクルマを求めていた層に受け入れられ、とくに北米市場では高い人気を誇ることとなった。

朝ドラ出演車はレアな1958年式「カルマンギア・カブリオレ」

 カルマン社ではクーペボディに続いてオープンカー仕様の準備に取りかかった。当時ベルリンのコーチビルダー「ロメッチュ」社で高級車を手がけていたデザイナー、ヨハネス・ビースコウが1956年にカルマン社に入社してその開発に携わり、1957年に「カルマンギア・カブリオレ」も発売された。

「カムカムエヴリバディ」に登場したカルマンギア・カブリオレは最初期の1958年式。ピンクっぽいボディカラーは当時の純正色ではないので、わざわざ日本に輸入してから塗り直すほど、お金に余裕があったんだろう、と思っておこう。なお当時は「ヤナセ」がVWの正規輸入販売を手掛けていた。

 参考までにここでお見せする写真はほぼ同時期、1959年式の個体で純正カラーだ。

 ビートルをベースにしたカルマンギア(タイプ14)は幾度かのマイナーチェンジを受けながら1974年まで生産され、総生産台数はクーペが36万2601台、カブリオレが8万881台。

 現在の日本でも数百台のカルマンギアが生息しているのだが、カブリオレは長い時間とともにサビで劣化してしまうことも多く、クーペに比べると現存台数は極端に少ない。まして1950年代の初期型カブリオレは超レアな存在で、いまでは売りに出ると500~600万円、あるいはそれ以上になることも少なくない。

 ちなみにビートルベースのカルマンギアのほかに、VW「タイプ3」をベースにした通称「タイプ3カルマンギア」も1961年に発売され、こちらは1969年までに4万2505台が製造されている。こちらはクーペのみで、カブリオレはプロトタイプが17台だけ製作されたが市販化には至っていない。

アグネス・ラムやタランティーノにも愛された

 1970年代に一世を風靡したハワイ出身のアイドル、アグネス・ラムがカルマンギアに乗っていたことは、少し上の世代では割とよく知られている話。そして彼女がかつてハワイで乗り回していたカルマンギアは、じつは今、日本にあるのだ。

 日本の熱心なアグネス・ラムのファンがハワイでオークションに出た個体を入手して、乗るのももったいないと、倉庫で鑑賞用として大事に保管されていたそうで、10数年前にふたたび売りに出て、現在も熱心な愛好家の手元にいるそうだ。

 また、映画監督クエンティン・タランティーノの作品にも、しばしばカルマンギアが登場している。「キル・ビル2」ではユマ・サーマンが1972年式カルマンギア・カブリオレを運転して最後の決戦に向かっているし、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」ではブラッド・ピットが1964式カルマンギア・カブリオレを運転している。

 なんでも、タランティーノの父親がこのクルマに乗っていた思い出が作品に反映されているのだそうだ。

 というわけで、ドラマの1960年代前半といえば、まだまだ「輸入車」そのものが高級品で、「ビートル」はお医者さんや弁護士のクルマという存在だった時代。そんななかでカルマンギア・カブリオレを(好みの色にペイントしたうえで)乗り回しているトミー青年は、よっぽどのボンボンだということになりそうだ。

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