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「デュエットクルーザー」に「サイバー・スポーツ」! 若者を熱狂させた「ホンダCR-X」の魅力とは

眺めているだけでも心弾むくらいピュアだった

 初代CR−Xの正式名は“バラードスポーツCRーX”だった。というのも当時、初代プレリュードで発足した若向けの販売チャネル、ベルノ店の取り扱い車種としてバラードがあり、そのバリエーションとしてCR-Xが設定されたため。

 とはいえ(今となっては些細なことだが)、じつはCR−Xの発表・発売は1983年6月のことで、あのワンダーシビックの兄弟車として設定されたセダンの登場より3カ月だけだが早かった。バラードのセダンにはCRーXと同じセミリトラクタブル・ヘッドライトが採用され、ただならぬセダン感を打ち出していたのだが、登場順でいうと、何とひと足先に登場したCRーXにその前座を務めさせていたことになる。

 ところでいつもながらの私事だが、ちょうどCRーXが登場したころの筆者はまだ駆け出しの編集者で、あるとき、伊豆方面かどこかでホンダS800やフェアレディSR311などのオーナーが集まるというミーティングの取材に行くことになった。そこに、発表されてホヤホヤの初代CRーXの広報車を借りて乗りつけていったのである。もちろん温故知新といったテーマを掲げての取材ではあったが、今にして思えば、オーナーの方々が大事に乗っておられた主役より目立ってどうする、あのときもっと謙虚なクルマで向かうべきではなかったのか……そんな気もする。

 取材対象の旧車は当然ながらどのクルマも魅力的で興味深かったが、それ以上に、取材対象の大先輩に混じってのワインディングでの移動中、CR−Xの意のままに身軽でゴキゲンな走りにすっかり夢中になっていたことを思い出す。

ホンダ自身“FFライトウエイトスポーツ”と名乗っていた

 ワンダーシビックのホイールベースをさらに180mmも切り詰めて2+2(後席はヘルメットやバッグの置き場所同然の“1マイル以下シート”だったが)とし、初代のスペックに当たると車重は760〜825kgと、とにかく軽量。ホンダ自身“FFライトウエイトスポーツ”と名乗っていた。

 見るからに「(当時の)現代版アルファロメオ・ジュニアZだ」と思わせられる、裁ち落としたテールの短く(3675mmしかなかった)幅広い(1625mm)スタイリングは、眺めているだけでも心弾むくらいピュアだった。

 近年ではのちにスバル・インプレッサWRXタイプRA STI VersionIIIも採用した、ユニークなルーフベンチレーション(CRーXは取り回して前席上に吹き出し口を設けていた)、電動アウタースライド・サンルーフなどこだわりの装備も用意された。足を前に投げ出すように座るドライビングポジションはスポーティで、360×370mmの小径ステアリングホイールには、5mmのセンターオフセットがつけられていた。

 エンジンは、キャブレター仕様の1.3LとPGM-FI仕様の12バルブの1.5Lを設定。さらに1984年10月には、新開発の1.6L、ZC型DOHCエンジン搭載のSiを追加。このモデルはボンネットの膨らみがあることでも区別できた。

 またCR-X PRO.と銘打ったパーツが当時の無限からリリースされ、フルキットのブリスターフェンダーは、じつに洗練された仕上がりだった。なお、1985年のマイナーチェンジでセミリトラクタブルヘッドライトは廃止された。

エクストラウインドウを採用した2代目CR-X

 そして1987年9月になると、CRーXは“サイバー・スポーツ”と謳った2代目へと進化。初代はポップなイメージのカタログだったが、2代目では黒一色の表紙で、グッとクールなイメージで攻めてきたのが印象的だった。

 2代目は初代に対しホイールベースが+100mmとされたほか、トレッドは前/後で+50mm/40mm拡大。スタイリングは初代のイメージを踏襲しながらよりスムースなフォルムへと進化し、裁ち落としのテールエンドには、新しくエクストラウインドウと呼ばれる、スタイリングと後方視界を両立させるドット印刷が施されたウインドウが追加された。

 アウタースライドサンルーフのほかに、ルーフのほぼ全面をガラスとしたグラストップも加えられた。搭載エンジンはデュアルキャブの1.5Lと、初代同様の1.6L・DOHCのZC型(ネット値で130ps/14.7kg−m)を設定。サスペンションは4輪ダブルウイッシュボーンを採用し、俊敏性、なめらかさ、乗り心地をバランスさせていた。

オープンとクーペを符合させたスタイリングが特徴的だったデルソル

 ところでご記憶の方も多いと思うが、CRーXは1992年2月に登場した3代目で、デルソルという名のオープンとクーペの2通りのスタイルを1台で実現させたクルマへと生まれ変わった。当時の広報資料には“スペックを至上とし、操る人を緊張させるようなスポーツではなく、乗る人の心をどこまでも解放に導くような、おおらかなスポーツ”とある。善し悪しの言及は置いておくが、それまでの方向性を180度転換させる、その意味でひと頃のホンダらしいクルマではあった。

 もっとも注目されたのは“トランストップ”と呼ぶ電動開閉式のハードトップだ。ルーフ両サイドのロックを外しスイッチ操作を行うと、後方でせり上がったトランクリッドのなかからフォーク状のスライド機構がルーフを迎えに来て掴むと後退。その後ルーフがトランクに格納されるという、相当に凝ったメカニズムのものだった。

 ほかに手で脱着させるマニュアル式も用意されており、“太陽のスポーツ”“2ウェイ・パラダイス”と、肩ひじ張らないコンセプトでわが道を行ったクルマだった。防塵性・防滴性を考え、オーディオはフタ付きというコダワリも見逃せなかった。

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