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デイトナの愛称は本名より有名! 当然億超えの「フェラーリ365GTB/4」とは

レースでも活躍したフェラーリ・デイトナ

 スポーツカーレースの最高峰とされているのは、6月にフランスで行われるル・マン24時間レースです。そのル・マンや、ツーリングカーが主役のスパ-フランコルシャン24時間レースとともに、世界三大耐久レース、あるいは世界三大24時間レースとされているのが、1月にアメリカ・フロリダ州デイトナで開催されるデイトナ24時間レースです。

 とくにレースに詳しくはなくても、フェラーリ・デイトナのネーミングを聞いたことのある人は少なくないでしょう。そうフェラーリ365GTB/4の愛称となっている“デイトナ”は、デイトナ24時間から引用されたネーミングだったのです。今回はデイトナ24時間と、フェラーリ365GT/4を振り返ります。

フォードの物量作戦に敗れたフェラーリはデイトナで見事なリベンジを果たす

 話は60年ほど遡ります。モータースポーツによってブランドイメージを確立しようとしたフォードは、ル・マン24時間などのスポーツカーレースで活躍しているフェラーリの買収を計画しました。双方の合意も得られ、いざ契約締結というところまで漕ぎつけたものの、最終段階にきてエンツォ・フェラーリが翻意し、交渉は決裂することになりました。

 原因については諸説ありますが、フォードとしては大メーカーとしての面子が丸潰れ。それなら、と自前のチームでル・マンに挑み、フェラーリと全面対決することになりました。こうして誕生したレーシングカーがフォードGT40でした。ただ、デビューイヤーの1964年と翌1965年は力及ばず、フェラーリに6連勝を与えてしまいました。

 1966年にはブラッシュアップした最新鋭のフォードGTマークIIを8台、バックアップ用にGT40を5台、計13台のエントリーという大物量作戦を展開。ヘンリー・フォード二世の悲願だったル・マン初優勝を、表彰台独占という完璧な勝利で飾り、フェラーリを圧倒することになりました。

 フェラーリにとっては屈辱以外の何物でもありませんでしたが、この雪辱を果たすことになったのが、1967年のデイトナ24時間レースでした。スポーツカーレースの世界選手権で天下を欲しいままにしていたフェラーリでしたが、1966年から始まったデイトナ24時間レースでは、記念すべき初代ウィナーを宿敵フォードに持ち去られていました。

 そこで1967年のデイトナ24時間には必勝態勢で臨むことになり、前年の12月には事前テストも行う周到さでした。用意されたマシンは、330P4と前年用の330P3に新開発のP4用エンジンを搭載した330P3/P4。そしてプライベートチーム用には412Pが用意されてエントリー。

 決勝ではロレンツォ・バンディーニ/クリス・エイモン組の330 P3/P4、マイク・パークス/スカルフィオッティ組の330 P4、ペドロ・ロドリゲス/ジャン・ギシェ組(ルイジ・キネッティNARTチーム)の412Pという順でチェッカーを受ける予定でした。ですが実際には、名ジャーナリストとして知られ、レースチームのディレクターを務めていたフランコ・リーニのアイデアから、3台がバンクを並走しながらフィニッシュラインを横切るという演出がなされたのです。

 いわゆる“デイトナ・フィニッシュ”が演じられ、宿敵フォードのホームゲームたるデイトナ24時間で、ライバルを打ち負かして圧勝したフェラーリの「強さ」と「完璧な勝利」を最大限にアピールすることになりました。

 ちなみに、前年のル・マンで1-2-3位を独占したフォードのフィニッシュシーンは3台が一団となってゴールラインを横切っていますが、センセーショナルさではフェラーリのデイトナ・フィニッシュには及ぶべくもありません。

 そしてそれ以降、世界各地のレースで、チームメイトが並走してゴールラインを横切ることを「デイトナフィニッシュ」と呼ぶようになりました。日本国内のレースでは1967年に行われた富士24時間レースで総合1-2を飾ったトヨタ2000GTが、GT Iクラス優勝のトヨタスポーツ800を挟んで3台並走のままゴールラインを横切っています。このシーンを、当時のメディアがデイトナフィニッシュと呼んでいたかはわかりませんが、ル・マンフィニッシュとか富士フィニッシュでなかっただろうことは明らかです。

レース結果を新車のプロモーションに活用

 250シリーズから275シリーズを経て、1968年に登場したV12エンジンを搭載するフェラーリのフラッグシップモデルが365GTB/4でした。250=3L、275=3.3Lと同様に、365も1気筒当りの(大体の)排気量を示す3桁の数字がシリーズのネーミング。正確には81.0mmφ×71.0mm×12気筒で4390㏄となっています。

 ちなみに、GTBのGTはグランドツーリングで、Bはベルリネッタ(クーペ)を示しており、オープンボディのスパイダーはGTS。最後に付く/4はツインカム(V型だから正確には4カム)を意味しています。まだトップレンジが275シリーズだった1966年に、フェラーリの市販モデルとしては初めてツインカムが採用されたときに275から275/4へと発展して以降、トップモデルのネーミングに使用されてきました。

 365GTB/4のV12エンジンは4390㏄の排気量から352psを捻り出していていました。このパワフルなV12エンジンをフロントに搭載した365GTB/4は、最高速が280km/h(カタログ値)に伸び、来るスーパーカー対決にも備えは十分でした。そしてこの365GTB/4の愛称がデイトナでした。

 そう、デビュー前年のデイトナ24時間でフェラーリが、1-2-3が並走する見事な“デイトナフィニッシュ”を飾ったことに因んでのネーミングでした。考えてみれば、レース結果を新車のPRに活用、それももっともスマートに展開したことでは史上最高のプロモーションでした。

今でも非常に高価格で取引されている

 エクステリア・デザインに関しては、ロングノーズに続くショートキャビンの後端を、スロープダウンさせながらスパッと切り落とす、スポーツカーの文法通りの基本シルエットは、前身となった275GTB/4と同様でした。

 ピニンファリーナのチーフデザイナーだったレオナルド・フィオラヴァンティが手掛けた365GTB/4のボディデザインは、充分にモダンで革新的ですらありました。空力に配慮して4灯式ヘッドライトをノーズに埋め込んでプレクシグラスのパネルで覆っていたのが特徴的です。

 残念ながら後期モデルでは主要マーケットである北米の安全基準に合致させるために、コンサバなリトラクタブル式ヘッドライトに変更されていました。

 ル・マン24時間レースのGTクラスで1972年から3年連続クラス優勝を達成するなど、レースでの輝かしい活躍もあります。自動車雑誌での評価はとても高く、それが原因で現在でも非常に高価格で取引されているようです。

 2017年には岐阜県の民家の納屋で眠っていた個体が見つかり、サザビーズの競売では180万7000ユーロ(邦貨換算で約2億3000万円)の高値で落札、とのニュースが流れたことも記憶に残っています。

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