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日本でも意外と走っているロシア版ジムニー! 「ラーダ・ニーヴァ」が「生きた化石」と呼ばれるワケ

1977年から現在までずっと生産されている超ロングセラー

 おそらくは、日本国内でもっとも多く存在するロシア製のクルマが「ラーダ・ニーヴァ」。いま流行りのSUVで、モノコックボディを持っていることでヤワなクロスオーバーと勘違いするかもしれませんが、シベリアで鍛えられたオフロード性能は半端ない。今回はロシア版ジムニーとも言うべきラーダ・ニーヴァをクローズアップします。

旧ソ連時代にフィアットの協力で設立された「ヴァース」

 ラーダ・ニーヴァはロシア最大の自動車メーカー、「アフトヴァース」(露:АвтоВАЗ/ヴァース自動車の意)で製造。アフトヴァースは今世紀に入りゼネラルモータース(GM)と合弁会社を設立して「シボレー・ニーヴァ」を生産していましたが、現在ではルノー・日産が経営権を取得しています。

 その源流は旧ソビエト連邦崩壊以前の1966年に、フィアットの支援によって建てられた「ヴァース」(VAZ=Volzhsky Avtomobilny Zavod/ヴォルガ自動車工場の意)でした。ちなみに「ラーダ」(露:ЛАДА)と「ニーヴァ」(露:Нива)はそれぞれ北欧のヴァイキングが使った帆船、耕作地を意味していて、そのキャラクターを印象付けます。

フィアット124のソ連版「ヴァース2101」が源流

 フィアットの支援によって誕生したヴァースは当初、「フィアット124」のライセンス生産から車両製造を始めています。当時の連邦政府は1966年から70年の第8次「5か年計画」において乗用車の大量生産を開始することを決定。当時はイタリア共産党の勢力も強く、親ソ政策を展開していたイタリア政府の後押しもあってヴァースが誕生したのですが、ライセンス生産されたフィアット124=「ヴァース2101」が誕生したのは、5か年計画の最終年度となる1970年でした。

 主力車種のひとつであったフィアット1300/1500の後継モデルとして開発、満を持して発売した5年後にはもうソ連でのライセンス生産が始まったというわけです。その辺りにも、連邦政府とイタリア政府の友好関係、そしてフィアットの意気込みが垣間見えてきます。

 ちなみにイタリア本国では1974年に生産を終え、後継の「131」にバトンタッチすることになる「124」ですが、それ以降も海外でのライセンス生産は継続され、ヴァースでの「2101」生産はフェイスリフトを繰り返しながら2012年まで続けられました。

コンパクトボディに本格4駆で悪路走破性が半端ない

 ということでヴァースの起源を説明してきましたが、いよいよ本題のラーダ・ニーヴァに移ることにしましょう。1977年に登場したラーダ・ニーヴァは、上記のヴァース2101をベースに、ということはフィアット124をベースに、3ドア/5ドア・ワゴンボディを開発。これに独自に設計したサスペンションや4輪駆動システムを組み込んでいます。

 ボディはモノコックフレームを持ちフロントサスペンションが独立懸架、リヤは「ジープ」などのクロカン4WDと同様のリジッド式ながら、リーフスプリングではなくコイルスプリングを使用した5リンク式。またフロントブレーキはサーボ付きのディスクが奢られていました。

 意外と言ったら失礼ですが、70年代のロシア製のクルマとしては随分とモダナイズされたスペックでまとめられています。エンジンは当初、72psを発生する1.6L直4 SOHCのみでしたが、現在ではGM製の1.7L/83psも選ぶことができるようになっています。

 ボディは全長×全幅×全高が3740mm×1680mm×1640mm、ホイールベースが2200mm(いずれも3ドア。5ドアは全長が4240mm、ホイールベースが2700mm)となっています。そしてコンパクトなだけに車両重量も3ドアで1285kg、5ドアで1350kgと、軽自動車のジムニーをベースにしたジムニー・シエラに比べると200kgほど重いものの、車格的には軽量に仕上がっているので、パフォーマンス的にはまずまず充分なものがあると思われます。

 注目すべきは、そのオフロード走破性です。組み込まれた4輪駆動システムはセンターとフロント、そしてセンターと3つのデフを持ったフルタイム式で、トランスファーにはハイ&ローのふたつのレンジが組み込まれ、またセンターデフをロックする機構が組み込まれています。最低地上高は235mmもあり、水深510mmまでの走破(通行)が可能となっています。

ちょっとレトロなロングセラー車として愛されている

 かつて三菱のトップ・プレステージカー、1964年に発売された初代「デボネア」が、フェイスリフトやマイナーチェンジを繰り返しながら1986年までの22年間、モデルチェンジなく生産が続けられていたことで「走るシーラカンス」と揶揄されたことがありました。このラーダ・ニーヴァも、1977年に発売されたモデルが、モデルチェンジすることなく生産され続け、「生きた化石」と愛情をもって呼ばれることがあるようです。

 その一方でアフトヴァースがGMと合弁で設立した「GM-アフトヴァース」では、1998年にデビューした「アフトヴァース2123」をフェイスリフトして「シボレー・ニーヴァ」として販売。GMとの契約が解消されたあとは「ラーダ・ニーヴァ・トラベル」と名を変えて生産を継続していましたが、2021年にはトヨタのRAV4似の新型にマイナーチェンジされています。

 つまりこちらもフルモデルチェンジもなく長いモデルライフ、それこそ会社の存在状況が変わっても、生産が続けられているのは驚くべきことと言ってよいでしょう。しかも「アフトヴァース2123」~「シボレー・ニーヴァ」~「ラーダ・ニーヴァ・トラベル」の場合は大規模なマイナーチェンジがあり、2度の車名変更もあありました。ですが、「本家」のラーダ・ニーヴァの場合はフェイスリフトもごくわずかで、まさに百年一日のごとく、現在も生産が続けられているのです。基本性能をしっかりと確保していたことが大きいのですが、これはもう驚くしかないですね。

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