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バカ売れジムニー誕生秘話! ご先祖「ホープ自動車」の「ホープスター」って何もの?

いまや世界中で熱い人気を誇るスズキ・ジムニー

 コロナ禍の影響やロシアのウクライナ侵攻のあおりを受け、国内でも新車の納入が随分と遅れているようですが、なかでもその影響が大きいとされているのが「スズキ・ジムニー」です。今回は、国内独自の軽自動車という枠のなかでも、本格的なクロスカントリー車を具現化してきたスズキ・ジムニーをその誕生から振り返ります。

ジムニーの原点は、ホープ自動車が製作した「ホープスター」

 それまで「フロンテ」を筆頭に、軽自動車や小型自動車の乗用モデルを生産してきたスズキ(当時は鈴木自動車工業)が1970年の4月にリリースした、軽規格のクロカン4駆(クロスカントリー4輪駆動、の略。本格的なオフロード4輪駆動車)がスズキ・ジムニーでした。優れた実用車を多く作り続けてきたスズキにしてみれば、ある意味「異端児」でしたが、当時スズキ東京の社長で、のちに社長や会長、CEOやCOOなどを歴任、現在のスズキへと成長させてきた鈴木 修さんの直感で誕生。じつに半世紀を超えるヒット商品にまで成長しています。

 スズキ・ジムニーの、原型になったとされているのは「ホープスターON360」です。これは、軽自動車規格の3輪トラックでは先駆けとしてマーケットを開拓したものの、ダイハツ工業やマツダ(当時は東洋工業)などの大手メーカーの進出によって急速に市場を奪われてしまい、軽自動車規格の4輪トラックへと移行して営業を続けてきた「ホープ自動車」が、その後一度は撤退していた自動車生産の復帰を期して開発した軽自動車規格の4輪駆動車です。

 しかし完成させたとは言うものの、当時のホープ自動車には自社でエンジンを開発するだけの「体力」はなく、三菱自動車(当時は新三菱重工業。三菱重工業を経て現在の三菱自動車に)からエンジン供与を受けていました。そのために量産することなどは到底不可能で、ホープ自動車は、この「ON360」の製造権を売りに出すことになりました。

 最初に話を持ち込んだのは、エンジン供給元だった三菱でしたが、こちらはあっさりと断られてしまいます。次に持ち込んだ先が、プロトタイプ用にエンジンを何基か供給していたスズキ、より具体的に言うなら鈴木 修さんが社長を務めていたスズキ東京でした。ON360のアイデアを発案したホープの小野定良社長と、当時のスズキ東京の鈴木社長がかねてより親交があったことから、この申し出が実現。鈴木社長の直感から商品化を決定することになりました。

 当時のスズキの技術者は、このプロジェクトに否定的でしたが、技術者ではなかった鈴木社長の(軽自動車規格の)4輪駆動車に対する興味から決定したようです。のちにスズキ本社のトップに立つと、軽自動車のボンネットバン、いわゆる「ボンバン」を商用車登録のまま乗用車として使用するコンセプトを導入し、47万円の低価格で登場させた初代「アルト」の開発に携わります。また、全高を高くかさ上げしたアップライト・パッケージを採用することで軽自動車の弱点だった室内の狭さを克服した軽自動車の革命児ともされる「ワゴンR」などの開発を主導したことも、スズキの経営を安定させることになる鈴木社長の面目躍如たるエピソードです。

「異端児」は全世界にファンを増やし、唯一無二の存在に昇華

 ホープスターON360をベースに開発されたスズキ・ジムニーの初代モデルがデビューしたのは1970年の4月でした。ホープスターは軽自動車と成りは小さいながら、クロカン4駆の王者とも言われる「ジープ」と同様に、強固なラダーフレームに前後はリーフスプリングで吊ったリジッドアクスル、16インチホイールを採用。さらに、パワー取り出し装置(PTO)が組み込めるような2速のトランスファーなど、本格的なクロカン4駆と呼ぶにふさわしいスペックや装備で構成されていました。

 その一方で三菱「ミニカ」用のエンジンを搭載していたことや、各所に熟成不十分なポイントも散見されていました。そこでスズキでは、基本的なコンセプトは継承しながらも、スズキ製のエンジンに乗せ換えるとともに、各部を熟成して量産に移ることになりました。

 用意されたエンジンは軽トラックのキャリーに搭載されていた空冷2ストローク直列2気筒のFB型でした。最高出力は25psでしたが、車両重量も600kgに抑えられていて、まずまず不満の出ないパフォーマンスを発揮していました。そしてここから改良と熟成を繰り返してジムニーは日々進化していきます。

 事細かな進化に関して、それをすべて列記していくだけで一冊の本が出来上がるほどなので、ここでは概略のみに留めますが、初代モデルでは当初の空冷のFB型エンジンから72年には水冷のL50エンジン(最高出力28ps)に換装。さらに変更された軽自動車規格に則って76年には、L50エンジンに1気筒足した排気量539ccのLJ50エンジンに再換装されています。またエンジンがサイズアップしたために、ボンネット形状も前方に膨らみのあるものに交換されています。

4世代・半世紀以上も改良と熟成を重ねる名車

 ジムニーの2代目モデルは1981年に登場しています。ラダーフレームにリーフで吊った前後リジッドアクスルという基本構成とLJ50エンジンはキャリーオーバーされていましたが、5年後には、それまでの2サイクルエンジンに替わって電子制御燃料噴射+ターボの4サイクルエンジン、543ccのF5A型を搭載するモデルが登場。最高出力は42psに跳ね上がっていました。さらに90年には再度の軽自動車規格変更があり、排気量を657ccに引き上げたF6A型に換装しています。こちらは当初55psだった最高出力は、95年に登場した第二世代の最終モデルでは64psにまで引き上げられていました。

 さらに1998年には第三世代に移行していますが、こちらの最大の変更点はエンジンではなくボディ。それまでの各モデルには、パノラミックルーフを含めたメタルトップとソフトトップの2タイプが用意されていましたが、第三先代のJB23系は5ナンバーのワゴンモデルのみとされました。ちなみにエンジンはF5A/F6Aと同様の水冷4サイクル直列3気筒ターボでしたが、新世代のK6A型に換装。パワーは自主規制値の64psと変わりありませんが、最大トルクは少し引き上げられていました。

 そして2018年には現行モデル、第四世代のJB64系が登場しています。4つの世代でモデルライフが半世紀を超えたジムニーは、文字通り改良と熟成を繰り返しながら、世界で唯一無二の存在にまで昇華していきました。

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