サイトアイコン AUTO MESSE WEB(オートメッセウェブ)

「リジェJS2」「インターセプター」「バゲーラ」! クルマ好きでも知らないスーパーカー6選

いまあらためて見ると魅力的なモデルばかり

 スーパーカーと言えばランボルギーニとフェラーリのトップ2にマセラティやポルシェなどが有名で、今でもよく知られた存在ですが、もちろんほかにも多くのクルマがスーパーカーとして騒がれた時代がありました。今回はそんな、記憶の彼方に去っていった、マニアックなクルマたちを振り返ってみました。

フランス勢はF1GPにも関わりのある個性派3台をノミネート

 スーパーカー=イタリアン・エキゾチックとのイメージが強いのですが、同じラテン民族のフランスでも、スーパーカーは誕生していました。今回紹介する3台はその好例で、しかも3台それぞれにF1GPと関りのある個性派です。

ルノー・アルピーヌA310

 まずはルノー・アルピーヌから。アルピーヌと言えばラリーで活躍したA110が思い起こされますが、今回紹介するのはその兄貴分たるA310です。A110がライトウェイトな硬派のスポーツカーを目指していたのとは対照的に、A310は豪華なグランツーリスモを目指していました。

 そのために太い鋼管を主構造として前後にスチール製のサブフレームを組んだバックボーン・フレームの後端に直4エンジンを縦置きに搭載するというパッケージングや、そのフレームにFRPで成形されたボディを架装するという手法は同じでした。

 ですがリヤサスペンションをA110のスウィングアクスルとトレーリングリンクを組み合わせてコイルスプリングで吊る形式から、前後ともにダブルウィッシュボーン式に変更。まるでストラット式のように直立して、丈の高いコイルスプリング/ダンパーユニットで吊るスタイルにブラッシュアップ。

 搭載されるエンジンも、当初はA110の1600仕様と同じくルノー16用をベースとした直4エンジンを搭載していましたが、後にプジョーがルノーやボルボと共同開発した3L V6、通称“PRVエンジン”に換装され、最終的にはそのターボ版も搭載されていました。

 初期モデルの、6連のライトをアクリル樹脂でカバーした前衛的なルックスは、イタリアン・エキゾチックに通じるものがありましたが、V6を搭載した後期モデルでは、4灯式の平凡な姿に変身していました。

マトラ・シムカ・バゲーラ

 フランス代表の2番バッターはマトラ・シムカ・バゲーラです。マトラは元々航空機産業に携わっていましたが、スポーツカーのスペシャリストにFRPの素材を供給した縁で自動車産業に進出。シムカはフィアットのライセンス生産で始まったフランスのメーカーで、マトラにはエンジンを供給していました。そんな両社のジョイントで誕生したモデルがバゲーラでした。

 側面図で見る限り、バゲーラはごく普通のコンパクトでスタイリッシュなクーペでしたが、正面に回るとその幅広さに驚かされます。全幅1735mmという数字自体は、それほど驚くに値しないのですが、それに対して全長は3975mmと4mを切っているので、相対的に幅広い印象が強調されることになります。

 そして前ヒンジの“普通な”ドアを開けると3人が横並びに座るフロントシートが現れるのです。セミセパレートシートとでも表現したらいいのでしょうか、シートバックは2名分が別体となっていながら、シートクッションは2名分が一体となっている、アレです。

 でもその左横にドライバー用のシングルシートが取り付けられているのは、いかにも奇妙な眺めでした。ただし、手回り品を置くスペースには困りませんでしたし、ミッドに積まれたエンジンの後方にはしっかりとしたトランクスペースも確保されていましたから、普段使いにも適したスーパーカーでした。

 オリジナルでは1.3Lの直4OHVエンジンで、この点では些かなりともエキゾチックでもエモーショナルでもありませんでした。しかし、後にプロトタイプでは直4エンジンを2列、並列に並べそれぞれのクランクをギヤなりチェーンなりで接続させる“U型”エンジンをトライしています。残念ながら量産には至りませんでしたが、これが唯一エキセントリックなエピソードでした。

リジェJS2

 フランス勢の最後を飾るのはリジェJS2です。リジェと言えば背の高いエアインテークで“ティーポット”と呼ばれたF1マシンのリジェJS5を思い浮かべる旧来からのファンも少なくないと思いますが、そのネーミングからも分かるようにJS2はJS5の兄貴分にあたります。

 1969年のパリサロンでリジェJS1としてデビューしたときにはコスワースDFVをミッドシップに搭載する“いかにも”なスーパーカーでした。ですが、1973年にはエンジンを、マセラティ・メラクやシトロエンSMに搭載されていた3L V6のツインカム(4カム)ユニットに換装したJS2に移行。

 1973年からは3年連続してル・マン24時間レースにも出走しています。ふたたびDFVに換装した1975年のル・マンでは、堂々の総合2位入賞を果たしています。何よりフランスらしいエスプリの利いたスーパーカーでした。

英国製はクラシカルなスポーツクーペとグランツーリスモ

 英国製のスーパーカーと言えばロータスのエスプリなどが有名ですが、ここで紹介するマニアックなモデルは1台ずつのクラシカルなスポーツクーペとグランツーリスモ。

マーコス3000GT

 まずはクラシカルなスポーツクーペ、マーコス3000GTから。マーコスは戦後の1959年に設立されたメーカー(というよりもイギリスに多いレーシングカービルダー)で、当初はレーシングカーを製作していましたが1963年にはロードゴーイングカーとなるマーコス・スパイダーを発表。

 ウッドン・フレームと呼ばれるベニヤ板で成形したモノコックにFRPのアウターパネルを架装したパッケージが特徴的でしたが、スタイルが不評で、営業的には苦戦していました。しかし、翌1964年に発表したマーコス1800GTはロングノーズとショートデッキで短いキャビンを挟み込む、スリークで古典的なスポーツカールックが好評で、以後、北米輸出を中心に大きく販売を伸ばすことになりました。

 そして1968年に登場した、まさに真打とも言うべきモデルがマーコス3000GTでした。フォードの高級車、ゾディアック用で最高出力が146psの3L V6エンジンを搭載していましたが、車重も800kg台と軽量で、本格的スポーツカーとして好評を博していました。軽量なウッドン・フレームは大きな特徴でしたが、製作に手が掛かって生産性は芳しくなく、翌1969年には一般的な鋼管製のスペースフレームに変更するなど大きく手が加えられています。

ジェンセン・インターセプター

 英国製のもう1台はジェンセンの3代目インターセプターです。1934年にコーチビルダーとして創業し、おもに大衆車向けのカスタムボディを製作していましたが、やがて戦後になると自らの名を冠したモデルを製作することになりました。

 その第1号が1950年に登場したインターセプターでした。これは初代モデルですが、今回紹介するのは1966年に登場した3代目です。初代モデルからブラッシュアップが続けられたシャシーに、クライスラー製の6.2L V8を搭載。

 カロッツェリアトゥーリングによって設計されたボディは当初、ジョバンニ・ミケロッティなども在籍していたイタリアのコーチビルダー、ヴィニャーレで製作されていましたが、後にはジェンセン自らが製作を行うようになりました。

 パッケージ的にはフロントエンジンの後輪駆動で、サスペンションもフロントはダブルウィッシュボーン、リヤはパナールロッドが追加されたリーフリジッドと、とてもコンベンショナルな基本設計となっていました。335psの馬力よりもむしろ、6.2Lの大排気量V8が捻り出す58.7kgmの大トルクを活かす、スポーツカーというよりもグランツーリングを楽しむ1台だったようです。

ドイツからも1台を紹介

オペル1900GT

 今回紹介する6台の、大トリを務めるのはゲルマンな1台、オペルの1900GTです。ここまでに紹介したなかにも、はたしてこれがスーパーカーか、と意見が分かれるモデルもあったかと思いますが、オペル1900GTも意見の分かれる1台になるかと思われます。

 まずその出自ですが、オペルのコンパクトモデル、カデットB(戦後の2代目)のシャシーをベースに、流麗な2シーターの2ドアクーペボディを架装したもので、コンパクトモデルをベースに、といった辺りで意見が分かれてくるのではないでしょうか。

 ですが搭載するエンジンは、カデットのなかでもっともホットな1.9L直4で、最高出力も90psと、当時としてはなかなかホットなスペックでした。何よりもロングノーズにショートデッキというスポーツカーの“お約束”で、シルエットはそれだけでスーパーカーを名乗ることを許してしまうような魔力、いや魅力がありました。

 それにしても、クルマの無国籍化が言われて久しくなりましたが、今回紹介した6台は、それぞれ紛うことなきフランス車であり、イギリス車であり、そしてドイツ車です。じつはパワーがどうこうではなく、その辺りにも魅力があるなと感じた次第です。

モバイルバージョンを終了