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著名アーティストとのコラボで販売された45年前の「ファッショナブルビートル」! 幻の激レア個体が長崎で生き残っていた

華道家・安達瞳子がデザインしたファッショナブルビートル

1977年にビートル輸入25周年を記念して限定販売

「いいものだけを世界から」のキャッチコピーでおなじみ「ヤナセ」が、かつてフォルクスワーゲンの正規輸入を一手に引き受け、日本中に数多くの「ビートル」や「ワーゲンバス」を提供していたのはご存知のとおり。そのヤナセが1977年、ビートル輸入25周年を記念して6種類の「ファッショナブルビートル」を限定販売していたことは、今やほとんど忘れ去られていたのだが、なんと当時のオリジナル塗装をそのまま残した個体が長崎県で現存していた!

70年代後半から始まったクルマとアートのコラボ

 今でこそアーティストとコラボした限定車は多くのブランドが企画しているが、その走りと言えるのが、1975年からBMWが送り出してきた「アートカー」だ。同年に彫刻家アレクサンダー・カルダーがデザインした「3.0 CSL」が発表され、翌年はフランク・ステラ、さらに次の年はロイ・リキテンスタイン、1979年にはアンディ・ウォーホルと、名だたるアーティストたちが名を連ねている。

 日本でヤナセがフォルクスワーゲンの正規輸入販売を開始したのは1953年だが、前年の52年にVWの最高責任者ハインリヒ・ノルトホフが日本での販売ルートを求めて2台のビートルと2台のワーゲンバスとともに来日。それを見たヤナセの2代目社長・梁瀬次郎氏がVWの輸入を決意したのだった。

 それゆえヤナセでは52年をVW輸入元年としていたようで、1977年に「かぶと虫輸入25周年」としてさまざまな企画を展開。インポーターとして海外の最新事情に目を光らせていたヤナセだけに、上記のBMWの取り組みを知っていただろうことは想像に難くない。当時の日本としては珍しい試みである、アーティストとコラボした「ファッショナブルビートル」が企画されることとなった。

山本寛斎など6人のアーティストがビートルをデザイン

 ファッショナブルビートルのデザインを手がけたのは、デザイナーの山本寛斎、写真家の立木義浩、建築家の清家 清、イラストレーターの黒田征太郎、漫画家の小島 功、華道家の安達瞳子という、当時の先端をいく6人のアーティストたちだった。

 なおベース車両は1977年式の「タイプ1 1200LE」で、黒田征太郎・立木義浩・安達瞳子はボディペイントのみ特別仕様だ。山本寛斎仕様はボディカラー以外にインテリア内張りとシートカバーも特注で、ホイールは当時のオプションだった「かぶと虫ホイール」。清家 清仕様はボディカラーとシートカバー、それに特注のスノーガードが奢られていた。

 もっとも目立つカスタムだったのは「黄桜」のカッパシリーズでおなじみ、小島 功モデルで、ボンネットとボディサイドに美女の顔、シートカバーもセクシーな美女、フロアマットとマッドフラップまで専用仕様だった。

実際に何台売れたのかは不明、幻のビートル

 これらファッショナブルビートルは、6種類が各30台販売され、記念絵葉書や、「かぶと虫輸入25周年」でヤナセが製作した特別本「週刊ワーゲン」など、さまざまなメディアで宣伝された。

 ただ、77年上半期に発売されたファッショナブルビートルであるが、下記で紹介する安達瞳子モデルは翌1978年に登録されている。ヤナセの意気込みに反して売れ行きは鈍く、設定台数が完売しなかった可能性もある。ヤナセにも当時の販売記録は残っていないとのことで、実際の販売台数は不明だ。

 なお、10数年前に首都圏の旧車ショップに勤めていた某氏から、黒田征太郎モデルともう1種類のファッショナブルビートルを売った記憶があるとの証言を得ている。そのころですら超レア車で、以来イベントなどに現れることもなく、ファッショナブルビートルの実物を見たことがある人はほとんどいない、幻のクルマとなっていたのである。

新車当時のペイントを残す奇跡の個体が佐世保にいた!

 ところが今年4月6日(日)、和歌山市で開催されたクラシックVWのイベント「オレンジバグ」会場において、「佐世保55」ナンバーのファッショナブルビートルが出現した! 華道家の安達瞳子さんがデザインしたボディペイントが、多少の経年劣化はありつつも、そのまま残っているのである。

 長崎県から和歌山までこのビートルを運転して来た現オーナーの鹿山 正さんは、このファッショナブルビートルを昨年の秋に手に入れたばかり。もう1台、シングルナンバー「長崎5」を掲げる1967年式ビートルを所有しているVW愛好家であり、なかでもヤナセ好きが高じて、ヤナセ関連の貴重なグッズや紙物を収集しているヤナセ・コレクターでもある。この記事でお見せしている当時物の資料も、鹿山さんのコレクションの一部だ。

「前のオーナーさんがこれを新車で買ったのですが、佐世保で床屋さんをしていたのでイベントなどへ遠出することもなく、地元で釣りと買い物にしか乗っていなかったようです。長崎市に住んでいる私も最近までその存在を知りませんでした」

 佐世保の旧車乗りの間では幻のビートルとして少しウワサになっていたようで、声をかける人もいたらしい。そして40年以上も乗り続けた前オーナーさんが昨年の秋、高齢で免許を返納することとなり、ご縁がつながって鹿山さんがこのファッショナブルビートルを引き継いだという次第。

南天の実をイメージした非対称デザイン

 純正ボディカラー「ポーラホワイト」の上にランダムにちりばめられた赤い点は、南天の実のイメージ。

 このファッショナブルビートルをデザインした華道家・安達曈子さんは当時、こうコメントしている。「いけばなの魅力はアンバランスのバランスにあると思っています。この非対称の美しさを走らせたかったのです。赤い身は南天。難ヲ転ジル神木が護符に。」

 ボディ左側に描かれた「神木」がお守りになってくれたのか、40年以上も前のアートペイントをそのまま残して今なお元気に走るファッショナブルビートルは、まさに奇跡のような光景だ。

 ちなみにこの後、1978年にはドイツ本国でのビートル生産が終了するということで、ヤナセで500台の限定車「グローリービートル」を企画して即完売している。そのほんの少し前、このようにアーティストとのコラボレーションが存在したことは、ヤナセが日本で築き上げてきたワーゲン文化のひとつの到達点を示すといえるだろう。

 もしほかにも、日本のどこかで眠っているファッショナブルビートルがあれば、リペイントしてしまわず、なるべく後世に残していってほしい。

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