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すみませんが全部聞いたことありません! 「OTAS」「マルソネット」海外の博物館で出逢ったマニアでも知らないスポーツカー6選

マニアでもわからないスポーツカーを紹介

 筆者はもう10数年も海外の自動車博物館探訪を続けているのですが、それまでに見たことのないモデルを発見したときの喜びはもう格別です。見たことのない、にも2通りあって、まずは雑誌の記事では見たことがあるけれども、実際に見たことがないモデル。そしてもう一方の雑誌でも見たことにない、それこそ、その存在自体を知らなかったモデルに出会うと、もう望外の喜びです。今回は、そんなマニアでも分からないスポーツカーを紹介します。

60年代から70年代序盤の東西独とフランスの3台のライトウェイトスポーツ

 まずは、2010年に訪れたIFA自動車博物館で出逢った1台から。

メルクスRS1000

 真紅の低いボディにガルウィングドアを持つ2ドアクーペはメルクスのRS1000です。メルクスというのは旧東ドイツにあったメーカーで、やはり東ドイツにあった自動車メーカーEMW=アイゼナハ・モトーレン・ヴェルク。つまりは元BMWのアイゼナハ工場製のヴァルトブルグ353が搭載していたエンジンをドライバーシートの背後に搭載して後輪を駆動する、いわゆるミッドエンジンレイアウトを採用していました。

 ラダーフレームにFRP製のボディを架装。車両重量も690kgに抑えられていました。992ccの2ストローク3気筒エンジンの最高出力は68hp。国内で2ストローク3気筒といえば、三菱のコルト800やスズキのフロンテ800がありました。

 いずれも1960年代半ばのモデルで、1969年に発売されたメルクスRS1000とはほぼ同時期の誕生でしたが、800cc前後の排気量から41~45psのパワーでしたから992ccでメルクスRS1000の68psというのはわずかに高出力といった感じでしょうか。それでも、690kgの車重に対しては充分以上のパフォーマンスが期待できたと思われます。

 実際に、最高速度は165km/hと発表されていました。1969年から1979年までの11年間でわずか101台が生産されたのみとなっていますが、当時の東ドイツでは、ガルウイングとミッドエンジンは今から考える以上に魅力的に映ったと思います。

コールムス・シロッコ

 こちらは最近、といっても4年も前になるのですが、ドイツのオートヴィジョン博物館で出逢ったコールムス・シロッコです。コールムスはディエター・コールムスとルドルフ・トゥーナーがプロトタイプを開発した後にふたりが袂を分かち、コールムスはプロトタイプのリヤ部分をモディファイし、トゥーナーはプロトタイプの前半分をモディファイして別々のクルマにした、と伝えられています。

 手許にはその辺りを解説する資料がないので詳しい状況は分からないのですが、興味あるエピソードだと思います。で、オートヴィジョン博物館で出逢ったのは前者、プロトタイプのリヤ部分をモディファイしたコールムスのクルマ、シロッコです。

 この日の取材のメインはロータリーエンジン関連だったので、関係ないコーナーは立ち止まって写真を数カット撮るだけで足早に通り過ぎたので、詳しい展示パネルも撮っていませんでした。今思えば残念な限りですが、ネットでいろいろ調べたところ、先のエピソードも分かってきた、というところです。

 それはさておき、このコールムス・シロッコはチューブラーフレームに、NSU1200のコンポーネントを装着。リヤ部分に、65hpまでチューンアップされたNSU TTのエンジンを搭載しています。フロントウインドウには何と、ポルシェ904のパーツを転用していました。もう一度訪れる機会があれば、今度こそじっくりと観察してみたい1台です。

CG1200Sクーペ

 東西ドイツ製のライトウェイトスポーツに続いては、フランスのライトウェイトを紹介します。車名はCG。まるで某自動車雑誌のイニシャルのようですが、こちらはシャップ兄弟のCとジェラサンのGから名付けられたもの。同じフランスのDB(シャルル・ドゥーチェとルネ・ボネ)と似たような命名法です。

 彼らの会社、シャップ・フレール・エ・ジェラサン(シャップ兄弟とジェラサン)では、まだまだ初期だったころのアルピーヌ・ルノーのボディ制作を請け負っていましたが、1966年のパリ・サロンでは自らのオリジナルスポーツカーを出展しています。

 それがCG1000でした。シムカ1000のプラットフォーム……フロントがウィッシュボーンを横置きのリーフスプリングで吊ったフロントと、セミトレーリングアームをコイルスプリングで吊ったリヤのサスペンションもそのまま流用し、彼らが得意としているFRPボディを搭載していました。

 のちにエンジンをシムカ1200S用に載せ替えた、CG1200Sに発展していきます。黄色のカブリオレは1200Sで2012年にパリ郊外のアヴァンチュール・オートコレクション・ポワシーにて、白いボディに青いボンネットのクーペは15年にランス自動車博物館で撮影。雑誌で見たことはありましたが、フランスの自動車博物館で初めて出会いました。

70年代以降の、見知らぬスポーツカーも続々発見

 続いては2012年に訪れたロシュタイエ城自動車博物館で出逢った1台。

マルソネット1600GT

 ワインレッドのボディに太いCピラーとガラスハッチがお洒落な2ドアクーペはマルソネット1600GTです。マルソネットというのは戦後すぐの1946年に設立された、フランスのコーチビルダーでした。ただしコーチビルダーとはいっても、産業車両用の特殊ボディの製作が主たる業務でした。

 しかし1950年代後半からスポーツカーの生産にもトライするようになり、パリサロンには度々、プロトモデルを出展。当初はルノー4CVのシャシーにパナール・ディナのエンジンを載せ、FRP製のボディを架装していましたが、1966年にはチューブラーフレームにルノー8用のエンジンを搭載したMars 1へと発展していきました。

 そして1968年のパリサロンに登場したのが、今回紹介するマルソネット1600GTです。エンジンは、Mars 1ではルノー8用のユニットを前輪駆動に適合させるために苦労したことから、もともと前輪駆動だったルノー16TS用の1.6L直4ユニットが搭載されていました。

 最高出力は82hpに過ぎませんでしたがボディにFRPを多用するなど軽量化を追求し、車両重量が575kgに抑えられたことと、空力的なスタイリングのおかげで、最高速度は220km/hにも達していた、とされていました。

OTAS 820

 東西ドイツ、フランスに続いてはイタリアの“見知らぬ”スポーツカーを紹介しましょう。イタリアはピエモンテ州に本拠を構えるカロッツェリア・フランシス・ロンバルディの作品です。Grand Prixと大仰なサブネームがつけられていますが、コンパクトな2ドアクーペで、イタリアにはよくあるフィアットのフロアパンを使ったリヤエンジンのライトウェイトスポーツカーです。

 1968年のジュネーブ・ショーでお披露目されたときにはロンバルディ・グランプリと名乗っていましたが、販売ルートによっていくつかの別名があり、3年前にテネシー州のナッシュビルにあるレーン自動車博物館で出逢ったときには、OTAS 820のネームプレートを付けていました。

 OTAS(Officina Trasformazioni Automobili Sportive)は、フランシス・ロンバルディと、フィアットのチューニングカーで名を成したジャンニーニ・アウトモビリの創設者ドメニコの息子フランコ・ジャンニーニが立ち上げた会社。ジャンニーニがチューンした982ccエンジンを搭載する、ジャンニーニ1000グランプリを発売しています。

 博物館で出逢ったフィアット850のエンジンをそのまま搭載したOTAS820でしたが、この小排気量なら排気ガス対策で優遇が受けられることを考えての設定でした。エンジンだけでなくフィアット850のフロアパンをサスペンションごと使用し、オリジナルボディを架装したもので、低いノーズの先端にリトラクタブル式のヘッドライトを備えた、可愛らしいスーパースポーツでした。車両重量は630kgと軽く、37psと最高出力は低いままで、このデータには少し疑問も残りますが、最高速度は160km/hに達していたようです。

スバッロSV1

 最後の1台は7年前にオランダの国立自動車博物館、通称“ローマン・コレクション”で出逢った1台、スバッロ・チャレンジ1です。スバッロと言えば1974年にリリースされたBMW328レプリカが有名ですが、スバッロ自体も1973年のジュネーブ・ショーにはオリジナルのスバッロSV1を発表し、自動車メーカーとして名乗りを挙げています。

 そんなスバッロが85年に発表したモデルがチャレンジIでした。メルセデス・ベンツの5L V8エンジンをツインターボでチューンして最高出力は380ps。最高速は310km/hと発表されていますが、何よりも特徴的だったのはそのスタイリング。

 究極のウェッジシェイプを完成させるために、ノーズとフロントウインドウは段差なく連なっています。またサイドミラーは取り去られて抵抗係数0.26を実現し、その代わりに、カメラとスクリーンモニターを使って後方視界を確保。このクルマは、雑誌で見て知ってはいましたが、博物館で出逢ったのが最初でした。こんな初めての出逢いがあるから博物館詣では楽しいのです。

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