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いまや高級車も最初は無骨感全開の和製ジープ! ランクル300に至るまでの歴史とは

トヨタ・ランドクルーザーの歩みを振り返る

日本が誇る本格クロカン4駆「ランドクルーザー」

 近年はLEXUSブランドから兄弟車となる「LX」も登場するなど、高級化も印象的なトヨタの「ランドクルーザー」ですが、そもそもはスパルタンなパッケージングで、和製ジープの1台でした。今回はそんなランクルの「はじめて物語」です。

軍用から民生用にコンバートされて量販開始

 トヨタ・ランドクルーザー、愛称「ランクル」の祖とされているのは、戦後の1951年に登場した「トヨタ・ジープBJ型」です。これは前年に駐留米軍と警察予備隊(現・陸上自衛隊)から、4輪駆動車の車両供給要請を受けたことへのトヨタの返答でした。戦時中には旧帝国陸軍からのリクエストに応える格好で、四式小型貨物車となる4輪駆動システムを組み込んだ「AK10型」小型トラックを開発していた経緯があり、このときも自前の技術とパーツで4輪駆動小型トラックを開発することになりました。これがトヨタ・ジープBJ型でした。

 ベースとなったのは「SB型トラック」で、ラダーフレームに前後リーフ式のリジッドアクスルのサスペンションを組み込んだシャシーに、4tトラックなどで使用されていた3.4Lのプッシュロッド直6 OHVのB型ガソリンエンジンを搭載。トランスミッションなども大型トラック用を流用していました。

 そのためにBJ型は全長×全幅×全高がそれぞれ3973mm×1575mm×1900mmでホイールベースが2400mm。車輌重量は1425kgで、駐留米軍と警察予備隊が基準車としていた「ウィリス・ジープMB型」の3124mm×1451mm×1686mm、ホイールベース2032mm、998kgに比べると二回りも三回りも長くて広くて高いボディを持ち、当然のごとく1.4倍も重い「重量級」に仕上がっていました。それでもエンジンはMBの2.2Lのサイドバルブ直4エンジンの54psに比べると、BJのB型エンジンは85psを発揮していましたから、そのサイズから想像する以上のパフォーマンスを発揮していました。

 結果的に発注先は、それまでウィリス・ジープをライセンス生産していた新三菱重工(分社化後、現・三菱自動車工業)に決定。トヨタ・ジープBJは警察用車両としてごく少数が納車されるにとどまりました。そしてその後は民生用として、おもに電力会社や消防署などに向けて販売が続けられることになります。

20系から「ランドクルーザー」が正式名称に

 ジープBJは1955年の11月に最初のモデルチェンジを受け2代目ランドクルーザー、通称「20系」に移行しています。ちなみに、「BJ型」のネーミングはB型エンジンを搭載したジープ型モデル、を表していました。だからその後継でF型エンジンを搭載したランドクルーザーは「FJ型」、というわけです。

 また「ジープ」がウィルス・オーバーランド社の登録商標だったことで同社からクレームが……。それまでの愛称から正式名称へと「格上げ」されたランドクルーザーのネーミングは、クロスカントリー車として人気の高まっていたローバー社(英)の「ランドローバー」を駆逐するとの想いから、「ランドクルーザー(Land Cruiser。クルーザーは駆逐艦の意)」と名付けられたと伝えられています。

 それはともかく、20系は最初から民生用として開発されていました。それはいかにも軍用車然としていた外観が、より乗用車チックに変えられていたことからも明らかです。またボディのバリエーションが多くなったのも20系の特徴で、ホイールベースがショート(2285mm)とミドル(2430mm)、そして遅れて登場したロング(2650mm)の3種が用意されたほか、ソフトトップを備えたオープンモデルに加えてクローズドモデル、ピックアップなど多種多様なモデルがラインアップされていました。

シリーズを代表するロングセラーの40系が登場

 1960年には2度目のフルモデルチェンジを受けて「ランクル」3代目の「40系」に移行しました。20系の次が30系でなく40系となったのは、20系のワイドラインアップが充実しすぎたために30系も使用されていたからでした。ワイドで充実したラインアップはこの40系も同様で、3種のホイールベースでスタートして、後にフレームごと300mm延長したスーパーロング(2950mm)も登場しています。またボディタイプも、当初は幌タイプのみでしたが、すぐにバンやピックアップも加えられています。

 その一方でエンジンは当初、125psにパワーアップされたF型のみでしたが、こちらには後に、ディーゼルエンジンが加えられて大きな話題となりました。まずは輸出モデルに3.6L直6のH型ディーゼルエンジンを搭載した「HJ45」が登場。その翌年には国内モデル用に3L直4のB型ディーゼルエンジン搭載モデルの「BJ40/BJ43」が登場しています。おりしも国内では、第四次中東戦争によって第一次オイルショックが勃発していたために、3.9L直6エンジンの低燃費は問題視されるようになっていましたが、そんな危機感を一掃する明るい話題となりました。

70系を経てビッグファミリーに成長

 ジープBJと20系は、それぞれ5年間の短いスパンでモデルライフを終えて次代にバトンを渡してきましたが、3代目の40系は、四半世紀にも及ぶロングセラーとなりました。そして1984年には4代目となる「70系」が登場します。

 50系と60系が「飛び番」となっているのは、ロング系のモデルが事実上の別モデルとして登場したからで、50系は60系、80系、100系、200系と進化して、現行の300系へと進化していきます。また70系も「プラド」のサブネームを与えられたライト系とヘビー系に分化しながら90系、120系、150系へと進化していきました。その変遷を事細かに紹介していくにはスペースが足りません。

 ただし、どんどんと豪華に、そして大きく重くなっていくロング系を例にとっても、最新モデルではエンジンをV8の4663cc(ガソリン)/4608cc(ディーゼル)からV6の3444cc(ガソリン)/3345cc(ディーゼル)にコンバートしダウンサイジング。またボディなどの軽量化も徹底的に追究するなど、時代に適合した進化を遂げています。

 その一方で頑固なまでに変えていないポイントもあります。リヤサスペンションがリジッド式という基本スタイルはその好例です。これはクロスカントリー4WDにとっては肝とされる悪路走破性に関して、車軸式の方が有利とされているからです。もちろん、乗り心地を向上させるように改良は重ねてきましたが、譲れないところは決して譲らない。こうした技術者としての矜持こそが、「ランクル」が長く愛されてきた最大の理由かもしれません。

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