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クルマの新時代を作った偉大すぎる1台! 本格ハイブリッドを世に広めた初代プリウスの衝撃

1997年に登場した初代プリウス

「21世紀に間にあいました。」から気づけば四半世紀

「21世紀に間にあいました。」……そんなコピーを引っさげて初代「トヨタ・プリウス」が登場したのは、今からもう四半世紀も前、1997年のことだった。こう書くとずいぶん昔のようにも感じるが、じつにこの間に4世代のプリウスが登場し、時代背景も初代が登場した当時とはまったく様変わりをしている。

「ハイブリッド」という言葉がブームになる

 初代プリウスは、正式な登場の2年前、1995年9月のIAA(フランクフルトショー)にコンセプトモデルが参考出品されたのが初出だった。だがこのときには、車名こそプリウス(ラテン語で“~に先立って”の意味)を名乗ってはいたものの、1.5L直噴ガソリンエンジン+モーター+CVTのパワートレインを「ハイブリッド」とは言わず「トヨタEMS(Energy Management System)」と表現。10月の第31回東京モーターショーでも「環境に配慮した次世代車」として、ボディ色をあらためて(ブルー→イエロー)参考出品された。

 それから1997年10月14日発表/12月10日発売となり、現実のものとなった初代プリウスだったが、正式には「THS(トヨタ・ハイブリッド・システム)」の呼称が付けられた。「ハイブリッド」とはもちろんエンジンとモーターのふたつのパワーソースを混成でもつことをいうが、ちなみに以降、世の中でまったく異なるふたつの機能や効果を併せ持つような商品(あまりに事例が多すぎ咄嗟に具体例が思い出せないが……)で、ハイブリッドを名乗ったり謳ったりした例が続出した。ちょっとだけ確認したところ、流行語大賞は獲らなかったようだが……。

新時代の斬新なコンパクトセダンとしてアピール

 いずれにしても「燃費を従来のガソリン車に比べ2倍(10・15モード走行28km/L)に向上し、排出するCO2を半減して地球環境保全を図るとともに、排出ガス中のCO、HC、NOxも規制値の約1/10の低レベルとし、よりクリーンな排気を追求。またリサイクルのしやすさ、鉛など環境負荷物質の低減も追求」(以上、発表当時のニュースリリースより)した、量産初のハイブリッド乗用車だったことが最大の特徴だった。だが、最初のカタログをあらためて見てみると、意外にもハイブリッドシステム自体の説明が載っているのは、全32ページのカタログの後半、22ページ目から4ページ程度といったところ。

 では巻頭からは何が語られ、載っていたのかというと、まず「Prius Concept」としてデザイン、パッケージ、ハイブリッドシステムの3つのテーマが掲げられ、その対向ページに例の「21世紀に間にあいました」のコピーがある。さらにページをめくると、まずスタイル、インテリアデザイン、パッケージングの紹介へと入っていく、そんな構成になっていた。

 初のハイブリッドシステム搭載車というと、さぞ学校の物理の授業を受けているような堅苦しい内容で始まるのだろうなぁ……と、いま、あらためて新鮮な気持ちでカタログのページを開いたのだが、右脳的というか、新時代のコンパクトセダンとして斬新なクルマができたでしょ!? と、まずマイルドなところから訴求に入っている点に、トヨタが多くのユーザーへの馴染みやすさに配慮したことがうかがわれる。

パッケージングもフィーリングも優秀だった

 もちろん広く多くのユーザーにとって、初代プリウスの出来は上々だった。たぶん記憶が正しければ、初代プリウスが出た当時の筆者は、自分のクルマとして初代フィアット・プントを日常の足にしていた。あのG・ジウジアーロが手がけた、成田からの帰りに複数人数分のスーツケースも軽く呑み込んで走ってこられる秀逸なパッケージングが魅力の実用車の鑑のようなコンパクトカーだった。

 そんなクルマのオーナーだっただけに、初代プリウスは「どうなの?」と半ば上から目線くらいで接したのだったが、いやはやというべきだったか、目からウロコが落ちたのを記憶している。とくに洒落たセンスとソフトフィール塗装を用いるなどした、上質なフィニッシュレベルのインパネを中心とする室内空間の快適性の高さには、舌を巻いたことを思い出す。

 軽量化と空力のために樹脂カバーを採用したアルミホイール、アンダーフロアの平滑化、バンパー、内装材、防音材などのリサイクル素材の採用などもエコを重視した取り組みだった。

大ヒットには至らなかったが偉大な先駆者

 それと、当然ながらモータードライブが可能な、新時代を拓くドライブフィール、トヨタのコンパクトカーとしては懐の深い乗り味などもいいと思えた。「ああ、今、エネルギーが回生されている、燃費が上がった」とエネルギーモニターの標示やグラフを見ながら、TVゲーム感覚(筆者はまったくやらなかったが)で一喜一憂しながらのドライブも新鮮だった。ただし販売上は、たしか当初は爆発的な台数を売り上げた風ではなかったが、それは215万円(ナビパッケージ車で227万円)の価格設定は、当時のカローラIIが130万円程度だったことと較べて、一般的にはハードルがやや高めだったからかもしれない。

 初代プリウスでは広告宣伝に鉄腕アトムも起用され、21世紀、未来といった打ち出しにひと役買っていた。確かにアトムをリアルタイムでTVで見ていたような世代なら「そうかぁ、あのころの未来が現実のものとなったのかぁ」と感想を持ったことも確かだった。最新型プリウスの内・外観デザインの話は別として(とチクリと言いながら)、ハイブリッド車はいまや内燃機関をもつ低燃費車の代名詞だが、初代プリウスはこのジャンルのパイオニアであり、ハイブリッド車を代表するブランドとしてその後も進化、発展してきたのはご承知のとおりだ。

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