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いまじゃ考えられないライバル車への挑戦状! カタログでマジバトルを繰り広げたセリカ vs スカイライン

ライバル車を意識したキャッチコピーが秀逸だった

 昭和の時代のライバル車というと、今のようにとにかく電費や燃費や販売台数やADAS関連の機能で鎬(しのぎ)を削るのではなく、もっとクルマとしての魅力そのもので熱く競い合う……そんなムードだった。もちろんそうした昭和のライバル車には、いろいろなペアがあった。だがクルマ好きにとって、自動車雑誌などで“走り”という切り口でしばしば取り上げられるような好敵手同士は、やはり気になる存在だったはず。

スカイラインとセリカといえばアイドルのような存在

 そんな昭和のライバル車の代表例といえば、セリカとスカイラインが思い浮かぶ。厳密に言えばスカイラインは1957年のプリンス時代に登場した初代が最初であり、片やセリカは初代の登場は1970年のこと。従って年長者の敬意を表わすならスカイライン、セリカという順序になる。いずれにしろセリカが登場して以降、この時代のクルマ好きにとって、スカイラインとセリカといえばアイドルのような存在だった。

 で、時代考証的にいうと、初代セリカの登場を追って1972年にC110型4代目スカイライン、通称ケンメリが登場すると、このライバル同士の動向が注目されはじめる。

 写真のカタログはセリカが1976年、スカイラインが1977年とそれぞれの最後期型のものだが、スカイラインは“S54B対ポルシェ904の激闘”“GT−R不滅の記録50連勝を達成”“羊の皮を着た狼、スカイラインGT−B”や、スカイラインの命名者が桜井真一郎氏だった話などを載せ、それまでの“スカイラインの神話”を伝えている。

 一方でセリカも、1973年に西ドイツのニューブルクリンク・ツーリングカーGP(カタログの表記を転載)で総合6位、クラス優勝をものにした話やラリーでランチア・ストラトスと競った話、レーシングドライバー高橋晴邦氏のコメントなど、こちらもレース、ラリーでの栄光が語られている。

 なおこのときの両車の搭載エンジンは、セリカ2000GTがソレックスツインの2L 4気筒DOHCの18R-GU型で130ps/16.5kg-mの性能、スカイライン2000GT-E系がEGI仕様の2L 4気筒OHCのL20型で130ps/17.0kg-m。拮抗したスペックをもっていた。

名ばかりのGT、道をあける vs ツインカムを語らずに真のGTは語れない

 その後、1977年8月にスカイライン、セリカともに足並みを揃えるかのようにフルモデルチェンジ。スカイラインは数えて5世代目の通称“ジャパン”に、セリカはエアロダイナミクスを意識した3次元フォルムに生まれ変わった。

 そして1979年8月にセリカが角目4灯へとフェイスリフトを受けたマイナーチェンジで、例の戦争が勃発(←目下の世界情勢を鑑みると憚られる比喩表現ではないが)。セリカが、“いま熱い血が甦る、新セリカ”“名ばかりのGT達は、道をあける”とやったのだった。

 このとき広告に登場させていた赤いクーペ、じつは1600GTであり、搭載エンジンはすでにEFI化されていた1.6Lの2T-GEU型だった。そしてこのタイミングで2000GTについてもEFI化した18R-GEU型を搭載し135ps/17.5kg−mのスペックをモノにし、スカイライン2000GT-E系に対し+5ps/+0.5kg−mのアドバンテージを見せつけつつ、DOHCをもたないスカイラインを“指摘”した。“ツインカムを語らずに真のGTは語れない”とまでやって……。

 その売られた喧嘩(!?)に答えるかのように1980年4月、スカイラインがターボを登場させたのだった。曰く“今、スカイラインを追うものは誰か”。搭載エンジンのL20ET型はスペックを145ps/21.0kg−mを達成。カタログに“「省燃費」と「高性能」を両立させた夢のエンジニアリング、大人のGTです”と謳い、“道が開いたら、アクセルを軽く踏み込んでみてください。さて、ここから後を言葉にするのは、いかなる詩人をもってしても不可能なようです”と、じつに意味深長な文面まで載せていた。

“あのR383開発の過程でターボを学びつくった設計者の手、気性の激しいターボは見事に調律されました。”などとも書かれている。ご存知のとおり日産のターボ車は430型セドリック/グロリアが最初で、910型ブルーバードに遅れること1カ月、しかしフェアレディZよりは1年早くスカイライン・ターボが登場。ライバル車ながらセリカの“名ばかり……”のコピーが、今考えるとスカイライン・ターボ登場の援護射撃になったのでは? とも思えたりして。

 スカイラインとセリカのよきライバル関係はその後も続いた。次に仕掛けたのはスカイラインのほうで、6代目R30世代に、レース由来のFJ20型4気筒16バルブDOHCを投入。“1シリンダー・2バルブのDOHCエンジンほど、スカイラインにとって受け入れがたい存在はなかった。(中略)DOHCエンジンは1シリンダー・4バルブでなければ意味がない。”と第三者でも震え上がりそうな文面までカタログに載せたのだった。

 一方でセリカも1982年9月、その前年にフルモデルチェンジを果たしたA60型に、それまでの2Lに代わるフラッグシップの位置づけとして、日本車初のツインカム+ターボの1.8L、3T-GTEU型を設定し、LBのGT−Tに搭載。160ps/21.0kg−mの性能と11.2km/Lの燃費を実現した(同年10月にはグループB仕様のGT−TSも発売)。

 スカイラインも1983年2月に“スカイライン史上最強”を謳うDOHCターボ(FJ20ET型、190ps/23.0kg−m)搭載の2000ターボRSを設定、さらに1984年2月にはインタークーラーの採用で205ps/25.0kg−mに性能を上げるなどしたのだった。

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