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THEスポーツカーの空力ボディ! 初のロータリー搭載ピュアスポーツ「初代RX-7」とは

走りにこだわったエンジンとハンドリングに注目

 マツダが世界で唯一量販化したロータリー・エンジンを、最初に搭載してリリースされた市販モデルは1967年に登場した2シーターのコスモスポーツでした。当時としては群を抜くハイパフォーマンスを発揮していましたが、これがスポーツカーか、となると意見が分かれるところです。ところが、1978年に登場したサバンナRX-7がスポーツカーであることは疑いを挟む余地がありません。そんなサバンナRX-7を振り返ります。

ライバルとの差別化と自身の技術イメージ確立に向けREを開発

 東洋工業(現マツダ)は、オートバイを経て3輪トラックで自動車生産に乗り出した自動車メーカーです。自動車メーカーとしての最初の商品は3輪トラックでしたが、1931年に発売されるとバックギヤや後輪の差動装置(ディファレンシャルギヤ)などの新機軸が好評を博し、翌1932年には大きな販売シェアを獲得するまでになりました。

 第2次世界大戦中は軍需産業を強いられていた東洋工業でしたが、終戦後はふたたび3輪トラックの生産を再開しました。それと並行して4輪マーケットにも参入すべく、4輪車の開発も進められています。プロジェクトが挫折したこともありましたが小型トラックを完成させた後、1960年には軽乗用車のR360クーペを発売し、続いて1962年にはキャロル360を登場させています。そして、さらに1963年のファミリア・バン、翌64年にはその乗用車モデルのファミリア4ドアセダンを立続けに投入。乗用車メーカーとしての基礎を確立させています。

 そんな東洋工業ですが、乗用車メーカーとしてライバルとの差別化を図るために投じた次の一手が、ロータリー・エンジン(RE)の実用化に向けた研究開発でした。

 フェリックス・バンケル博士が発明し、ドイツのNSU社と共同で開発したバンケル・エンジン(海外ではこう呼ぶのが一般的)の基本特許を導入することになります。そのきっかけは、当時東洋工業の社長だった松田恒次さんが友人から受け取った雑誌の紹介記事だったとのこと。

 東洋工業では早速NSUと技術提携の交渉を進め、1960年の9月に当時としては破格の2億8000万円で技術提携を結ぶことになりましたが、その時点でのバンケル・エンジンは製品化には程遠い状況。そこから東洋工業の開発作業が進むことになりました。

 開発にあたってはさまざまな問題が明らかになってきましたが、一番の問題は“悪魔の爪痕”とも形容されたチャターマーク(ローターハウジングの内壁が波状に摩耗してできる傷)が発生することでした。ローターの3個の頂点に取り付けて気密性を高めるアペックスシール(レシプロエンジンではピストンリングに相当する)の共振が原因だったのです。

 さまざまな素材や加工技術が試された結果、日本カーボンとの共同開発で生みだされたアルミニウム合金とカーボンの複合素材でアペックスシールを作り、またアペックスシールが摺動するローターハウジングの内面には硬質クロームメッキを施すことで耐久性を担保することができました。他の問題点もひとつひとつ潰していき、1967年に商品化を果たしています。 

ライトウェイトのピュアなスポーツカーを目指したRX-7

 バンケル・エンジン、いや東洋工業の偉業に敬意を表して、ここからはロータリーエンジン(RE)と呼ぶことにして話を進めていきましょう。最初に紹介したように、REを最初に搭載した市販車はコスモスポーツでした。

 当時としては圧倒的なパフォーマンスを発揮していたこともあってコスモスポーツの車名が決定されたようですが、これはスポーツカーというよりも、豪華なグランツーリスモ。そういえば東京モーターショーに出展した際には、広島の本社から松田社長自らがドライブして上京した、というエピソードも伝えられています。

 一方、1978年に登場したサバンナRX-7は、サバンナを名乗ることからサバンナRX-3(国内販売に際しての正式名称はサバンナGT)の後継ともされています。ですが、RX-3がサバンナにカペラのエンジンを搭載した高性能なツーリングカーであったのに対して、RX-7はピュアなスポーツカー、より詳しく言うなら2シーターのライトウェイトスポーツカーでした。

 1967年にデビューしたコスモスポーツからでも11年、開発が始まった1960年からは20年近い歳月が経過していましたからREの開発(熟成)度は遥か遠くまで到達していました。1960年代後半から1970年代初めにかけてのレース活動でクルマを鍛える術も分かってきたのでしょう。

 とくに空力に関しては並々ならぬ配慮がなされていたようで、国産の市販モデルとしてはトヨタ2000GT以来となるリトラクタブルヘッドライトを採用。またコンパクトなREのメリットを生かしてノーズの高さを抑えたデザインを採用するなどして、Cd値(空気抵抗係数)もわずか0.36と当時のレベルとしては素晴らしい値を達成していました。

 もうひとつ、REならではのパッケージングの妙が、エンジンの搭載位置。もちろんフロントエンジンの後輪駆動だったのですが、エンジンがフロントアクスルの後方、いわゆるフロントミッドシップに搭載されていたことも、素晴らしいハンドリングを生むうえでは大きな要因となっていました。

 サスペンションも、フロントはマクファーソンストラット式でしたがリヤは凝ったデザインとされていました。リジッドアクスルをコイルスプリングで吊るリジット式でしたが、アクスルを前方から4本のリンケージで支えて前後方向を決め、上下方向はワットリンク(あるいはワッツリンクとも。いずれも考案者のジェームス・ワットに由来)で支持。これも素晴らしいハンドリングを生む要因のひとつでした。

 スタイリングはロングノーズにショートキャビンとファストバックを組み合わせたもので、Bピラーより後方はガラスエリアで構成され、中央部分はガラスハッチとして開閉が可能となっています。ガラス部分のみの開閉で“敷居”は高かったのですが、軽い手荷物の出し入れには便利なレイアウトとなりました。

 この初代RX-7にはモデル後期にターボモデルが追加設定されたり、また世界ラリー選手権に向けてグループB仕様が登場するなどトピックも満載でした。

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