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ニッポンの“熱い声援”で生産終了が何度も延ばされた! クルマ好き以外からも愛されまくった「クラシックミニ」の魅力

ミニは老若男女に愛された

 じつは本稿では、見覚えがあった、クラシック・ミニのカットモデルに(確か)アメフトの選手4人が座っている、どれかのカタログに載っていた(はずの)写真をご紹介するつもりだった。だが、まずお詫びになるが、見つからなかったのである。

 家族と自分でわが家では計2台のクラシック・ミニの所有経験があり、筆者が自分が乗っていたミニ(1994年に発売された革シートの35周年記念限定車だった)のときには、姉妹誌「af imp.」で自腹で(!)ドレスアップに励むという連載ページを暫く続けていたほど。

 なので、そのころにミニ関連の書籍や雑誌はかなりいろいろと漁っていたから、あるいは例のアメフト選手4名乗車の写真も、どれかの記事で見て、それがカタログだったと記憶違いしていたのかもしれない。

 代わりにご紹介しているのが“写真にある荷物や釣り竿、アウトドアグッズなどはすべて本物です。実際にこれだけ積めるんです。どうです。驚きでしょ。”とじつにカジュアルな文面が添えられたカタログの見開きページだ。

41年間も生産されていたミニ

 1959年にアレック・イシゴニス(1906〜1988年)による最初のBMCミニが誕生してから、2000年までじつに41年もの長寿を全うしたのがミニだった。F1のコンテンダーだったジョン・クーパーにより、走りを磨いたミニ・クーパーが1961年には誕生していたこと、モンテカルロ・ラリーで3度の優勝を果たしたことなど、生い立ち、歴史は、ミニを語る上で外せないストーリーだ。

 また、わずか3050mmの全長で1980mmを室内、460mmをトランクルーム、残り(600mm足らず)をエンジンルームに充て、そのためにエンジンを横置き(トランスミッションはエンジンの下)とした前輪駆動を採用したことも、ミニの何たるかを語るときの基本だろう。

 あらためて考えれば、長く続いたミニの魅力は、やはり独創的なエンジニアリングにより生まれた、唯一無二の強烈な個性を持っていたことだろう。さらにそれが、今の日本の軽自動車よりも小さいボディサイズで実現されていた点も特徴だ。誤解を恐れずに言えばミニはあくまでの日常のアシ、下駄代わり乗るクルマとして作り出されたクルマだったということ。

 だが、これも語弊のある言い方だが、だからといって最近の日本の軽自動車のようなだたの道具とは訳が違う、感情移入したくなるようなチャーミングさをもっていたこと。そういう身近さ、親しみやすさもミニの魅力だった。

 もちろんこれだけのクルマだったから、ディープなマニアも多数。最初のオースチン・セブンないしはモーリス・ミニ・マイナーに始まり、1960年代のミニ850Mk-I、ミニ1000Mk-II、Mk-III、クーパー1275Sなど、愛好家が愛でる対象はいくらでもある。

日本のミニ市場は盛り上がりを見せていた

 その一方で広く老若男女に愛されたのもまたミニだった。とくに日本では「きゃっ、ミニクーパーでカワイイ!」とクーパーではないミニでもそう言いながら注目する街の女の子がいたりと、社会現象とまではいかないまでも、愛すべき外車の代表的な存在にもなり、日本のそうした“熱い声援”により、最後は生産終了が何度も先延ばしされたほどだった。

 そういうわけで日本のミニ市場はジワジワと盛り上がりが続き、JAXなど複数の専門業者が日本にクルマを入れていた時期を経て、インポーターのオースチン・ローバー・ジャパン(ARJ)→ローバー・ジャパンが安定的にカタログモデルとして取り扱うように。筆者が2台目に乗った「35周年記念限定車」もそうした時期に本国で登場したモデルが日本にも入ってきたもので、革シートとチャコールブラックのボディ色の組み合わせにグラッ! と来て、気がつけばディーラーのテーブルで注文書にサインをしていた。

 後期のミニでは、ボンネットストライプの入ったクーパーが正式なカタログモデルとして用意された。エンジンそのものは標準車と共通スペックながら、ミニライト風のスポークホイールをはじめ、スポーティな出で立ちが特徴のモデルだった。

 クーパーでは、オーバーフェンダーに50タイヤ、スポーツサスペンションを組み込んだ限定車(スポーツパック・リミテッド)や、モンテカルロラリーにちなんだ、4連フォグを装備(法規上、同時点灯は2灯となっていた)した限定車なども。

 カタログは後期型では厚口のものが用意された。これらのカタログは日本独自の制作だったはずで、キチンとスタジオ撮影されたミニの内・外観のほか、装備、アクセサリー類の紹介、さらに雑誌の記事のような(当時あった専門誌が制作に関わっていたのだろう)ミニの歴史、ユーザー紹介など盛りだくさんで読みごたえのあるものだった。

 ほかに、ARJ時代から“メイフェア”“パークレーン”など、仕様、限定車ごとの単独のカタログも案外数多く、丁寧に用意され、こうしたことでも、ミニがいかにメーカー、ユーザーから愛されていた存在だったかがわかる。

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