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本田宗一郎のコダワリっぷりがハンパない! 70年代に誕生したホンダの軽は名車揃いだった

ホンダを支えた軽自動車を振り返る

 N-BOXがヒットを続けているホンダですが、2輪の世界トップメーカーから4輪業界に進出した当初も、軽自動車がホンダの躍進を支えていました。N360、Z、ライフと傑作モデルとなる軽自動車が目白押しです。今回は、創業社長、本田宗一郎の魂がこもっていた、これらの軽自動車を振り返ります。

まるでレーシングカーのようなエンジンを搭載した軽トラックでスタート

 戦後に4輪進出を果たした他メーカーと同様に、ホンダが4輪進出を果たしたモデルは軽トラックのT360でした。ある程度の需要が見込めるという意味で軽トラックを選んだのはライバルと同様だったものの、彼らが2ストロークやプッシュロッドの4ストロークで、空冷の2気筒エンジンを選んでいたのに対し、ホンダは水冷の直4ツインカム、とレーシングカー並のエンジンを開発して搭載していたのが好対照でした。

 しかし、それまでにも2輪のロードレース世界選手権(WGP)でマルチシリンダーのツインカムエンジンを数多く設計開発していたことを考えれば、彼らにしては当然だったのでしょう。そして基本設計が同じ直4ツインカムエンジンを搭載していたオープン2シーターのホンダ・スポーツ360も試作されていましたが、こちらは市販には至らず。排気量を拡大し小型自動車枠としたホンダ・スポーツ500、通称“エス500”として市販されています。

 そんなホンダが、本格的な4輪進出を果たすことになったモデルが、1967年に登場した軽乗用車のN360でした。こちらはT360や“エス”とは違い水冷でも直4でも、そしてツインカムでもなく、空冷並列ツインのシングルカムでしたが、ツインカムだったT360用AK250Eエンジンの最高出力(30ps)を上まわる31psを発生していました。

 ちなみに当時のライバルは、というと1958年に登場して軽自動車のベストセラーとなっていたスバル360が18ps、1963年に登場したマツダ・キャロル360の4ドアが20ps。N360の前年にデビューしていたダイハツ・フェローは23ps、N360に3カ月遅れて登場したスズキ・フロンテ360が25ps、Nの2年後に登場する三菱ミニカ70が28psという状況でした。N360は登場と同時に、それまでの軽乗用車の“常識”を打ち破ることになったのです。

 価格設定でも同様で、スバル360が33万8000円~39万8000円、キャロル360が39万円~41万5000円、フェローが37万5000円~39万8000円、フロンテが32万2000円~38万円、ミニカ70が38万8000円~39万円でしたが、N360は31万5000円とライバルよりも大幅なプライスダウンを達成していました。

 ちなみに、当初はモノグレードだったN360は、ラジオやリクライニングシートを備えた豪華モデルのMタイプ、“エスハチ”のようなフェンダーミラーにタコメーターなどを備えたSタイプ、さらにAT仕様やツインキャブでチューニングしたTタイプなどを追加。発売直後の1967年5月に、スバル360を追い落として軽乗用車のベストセラーとなり、以後44カ月連続でその座をキープしています。

 N360のメカニズムについて触れておくと、合理的な2ボックススタイルの前輪駆動車で、2ドア・モノコックボディはフロントにマクファーソンストラット式の独立懸架、リヤはリーフスプリングで吊ったリジッドアクスルのサスペンションを組み込んでいました。 エンジンは2輪のCB450用をベースに新開発された並列ツイン(直列2気筒を横置き)のOHCで、354cc(62.5mmφ×57.8mm)の排気量から31psを発生していました。のちに追加設定されたツインキャブ仕様のTタイプでは、圧縮比を8.5から9.0に引き上げるとともに京浜製CVキャブを2連装して36psにパワーアップ。軽自動車におけるパワー競争を引き起こすことになりました。 またAT仕様も話題を呼んだモデルとなりました。超小型トルクコンバーターとコンスタントメッシュの3段ギヤを組み合わせたもので、本田宗一郎の提言していた『あらゆる人のためのクルマ』を具現化していました。

スペシャルティ・クーペにマイルドな4ドアセダン! そしてデリバリーバンも

 効率を優先していたN360の派生モデルとして、スタイリングを優先したZが登場したのは1970年の10月でした。ノーズ先端を少し引き下げて小さなグリルを突き出したフロントビューは、寸法的な制限もあり、流麗とは呼べませんでしたが、可愛らしさを併せ持ったスタイリッシュな仕上がりです。

 特徴的だったのはリヤビューの処理。ルーフラインの後端を少しキックアップした先を斜めにストンと切り落とし、黒い枠を持ったガラスハッチを設けてスポーツワゴン的な使い方も可能にしていたこと。実際180cm前後と(当時の日本人としては)大柄な男性4人が乗り込んで、松山から高知にカツオのたたきを食べに出かけたり、リヤシートを折り畳んでカメラなどの取材道具と旅支度を放り込み、鈴鹿サーキットへレース取材、その翌週は山陰のラリー取材、さらにその翌週は西日本サーキットへ、と縦横無尽に走り回ったことが懐かしく思い出されます。

 ZはN360のフロアパンを利用していましたが、そのN360が後継モデルにバトンを渡すと、Zも、その後継モデルのフロアパンを使用してお色直しすることになりました。その後継モデルがライフです。

 エンジンが空冷から水冷にコンバートされ、高回転でパワーを追求するものからマイルドな走りを実現するものへとキャラクターが一転されていました。しかす、ヒトのためのスペースを最大限に確保し、メカニズムのためのスペースを最小限に抑えるという、これも宗一郎の哲学に則ったパッケージとなっていたのです。

 具体的には、ボディに対して2気筒エンジンの後方にミッションとデフをマウントしていたN360に対し、ライフでは2気筒エンジンの後方(ボディに対しては進行方向右側)にミッションを置き、その左サイド(ボディに対しては後方)に置くという、いわゆる“ダンテ・ジアコーザ”式パッケージングへと生まれ変わっていました。

 そしてエンジンルームがよりコンパクトになった分だけキャビンスペースは拡げられています。ホイールベースもN360の2000mmに対して80mm延長された2080mmとなり、4ドアの採用も併せて大人4人が(大きな)不満なく乗り込める乗用車に進化していました。

 某自動車雑誌の売買欄で見つけた4ドアのオートマチックを確か20万円ほどで購入したのは、サラリーマンになって間もないころ。何とダッシュに組み込まれた純正のクーラー付きで、通勤だけでなく、のちにカミさんとなる彼女の実家まで往復2000kmの旅にも供となった相棒でした。

 そんなライフの派生モデルとして見逃せないのが1972年9月に登場したライフ・ステップバンと、さらにその派生モデルとして1973年8月に登場したライフ・ピックアップです。

 ともにライフのフロアパンを流用しながら、その上に背高のっぽな箱形ボディを架装したもの。いまでいうならハイトワゴンとそれをベースとしたピックアップトラックですが、ルーフをかさ上げしてアップライトなドライビングポジションをとることで、ライフでも十分だったキャビンスペースは一層拡大されることになりました。

 このコンセプトは、1993年にスズキがワゴンRで再現し、大ヒットに繋がりましたが、20年も早過ぎた登場だったということでしょうか。そのステップバンのボディをベースに、2シーターのピックアップトラックとしたのがライフ・ピックアップです。

 これも某出版社の新入社員のころ、学生時代に過ごした松山に遊びに行ったとき、空港から市内に向かう道中の中古屋さんで見つけて騒動買いした1台。先輩たちには「原動機付き自動車」とか、赤いボディカラーから「郵便車」などと揶揄されながらも、自分ではライトウェイトで真紅の2シーター・クーペと粋がっていました。

 田舎から単身上京しアパート住まいとなった身で、何台ものマイカーを抱えるのはやはり無理があると気づかされ、岡山の実家に乗って帰ったところ、花卉栽培を営んでいた親爺が、この2ドアクーペをとても気に入って生前に愛用。親不孝な不肖の息子にとっては、それが数少ない親孝行となったのも懐かしい思い出です。

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