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「カウンタック」みたいな三輪スーパーカー「ボンド・バグ」とは? 英国生まれのマジメな珍車の正体

DNAコレクティブル製1/18ミニカー「ボンド・バグ」

DNAコレクティブル製1/18ミニカー「ボンド・バグ」

1970年にデビューした「未来的」デザインの三輪自動車

 戦前から1960年代ごろまでは、わが国でもごく一般的な存在だったオート三輪。自動車の一形態としての三輪車は、もともと決して特殊な存在ではなく、18世紀後半に作られたキュニョーの蒸気自動車や、ベンツが1886年に製造したパテント・モトールヴァーゲンなど、ごく初期の自動車にもよくみられた形態ではある。しかし、そのお国柄によって「三輪自動車」の進化の過程はじつに多彩。今回ご紹介するのは、いかにも「英国」らしい、スーパーカー風の三輪車、「ボンド・バグ」だ。

イギリスでは三輪自動車が優遇税制で独自に進化

 日本で「オート三輪」といえば、ほとんどの人が思い浮かべるのがトラックであろう。欧米に比べひと足遅れて自動車産業がスタートしたわが国において、オートバイの後ろ半分をリヤカーのような荷台とした軽便なオート三輪トラックは、4輪トラックの不足を補いつつ、物流の機械化に大きく貢献した。戦後も1960年代まではマツダ(当時は東洋工業)やダイハツといった大手のほか、多くのメーカーがオート三輪市場で覇を競ったが、やがて時代の進化とともにそれらは4輪トラック/軽4輪トラックに取って代わられていった。

 最初から乗用車として開発されたダイハツBeeやフジキャビンなどのごく一部の例外を除いては、トラック/バンなどの商用車に限定されたわが国のオート三輪であったが、同じ三輪車でも海の向こう、イギリスあたりではだいぶ事情が異なる。

 もともとイギリスでオート三輪は「側車付きのオートバイ(=サイドカー)」扱いで、たとえクルマの形をしていても免許や税制上の優遇措置が取られていた。となれば、エンジン付きの乗り物全般なんでも素材にして遊び倒すイギリス人のこと、軽便な乗用車・商用車という、オート三輪本来の趣旨とはいささか異なる「税金の安い趣味のノリモノ」が次々に生まれるのは必定であろう。

 2輪と4輪の中間のユニークなスポーツカーとして戦前に生まれ、昨今その復刻版が話題となったモーガン・スリーホイーラーなどはその最たる例だろうが、1970年に生まれたこのボンド・バグもかなりの個性派だ。今回はスイスのミニカー・ブランド、DNAコレクティブルの1/18ミニカーを肴にご紹介しよう。

最高速120km/hを誇るスポーティな三輪車

 イギリスの三輪車メーカーとしては後発の「ボンド」は戦後1949年の創立。主力の三輪車のほか、1960年代には2L級の4輪車をもリリースしたりしたが、1969年には同じ3/4輪車メーカーの「リライアント」傘下となる。このボンド・バグの発売は1970年。会社としてはすでにリライアントだが、車名はそのまま「ボンド・バグ」としてデビューした。

 いかにも「セブンティーズ」なボディはエッジの立った楔形。鮮やかなオレンジのボディも、サイケデリックな時代性を感じさせる。実車の成り立ちは、水冷OHVの4気筒700/750ccをフロントミッドに搭載した前1輪・後2輪のFRの2シーター。ホイールはミニと同じ10インチだ。前任の「ボンド875」が、スリーホイーラーであること以外はごく常識的な乗用車であることを思えば、大きな変革である。

 サイドにはロータス・セブンのそれのような、差し込み式の簡単なサイドカーテンも備わるが、乗降は前ヒンジのルーフをガバッと跳ね上げて行う。その派手さは、まるでランボルギーニ・カウンタックのミニチュア版のようだ。低い着座位置と目線で、走れば実際の速度以上のスピード感を感じられたことだろう。

階級社会イギリスでボンド・バグは「下剋上」的な存在?

 階級社会のイギリスでは王侯貴族から労働者まで、社会的なポジションによってそれぞれ乗るべきクルマがある程度決まっていた。だからかつては路上にも、見えざる格差が存在したという。経済的困窮者や社会的弱者、イギリスでのオート三輪自動車は「そのような人々の乗り物」という底意地の悪い見方も存在したことは確かだ。時としてそれは、彼の地のテレビや映画でもしばしば「ネタ」として取り上げられるほどだが、そんな逸話まで含め、イギリスの長いモータリゼーションの歴史の中で「THREE WHEELER」が果たしてきた役割は、決して小さくはないのである。

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