サイトアイコン AUTO MESSE WEB(オートメッセウェブ)

トヨタ「2000GT」にそっくりなドイツ車があった! オペル「1900GT」というカルトカーの正体とは

新車価格もトヨタ2000GT並みだった!

 戦後の急激な復興と経済発展を続けた日本で、当時発売されたトヨタ2000GTは、今なお世界的にも高い評価を受けるグランツーリスモです。同じく敗戦国で自動車産業が復興と経済発展をけん引してきたドイツでも、2000GTに似たスタイリングのGTカーが登場していました。今回は、そんなオペル1900GTを紹介します。

地味で手堅いオペルが初めて世に問うたグランツーリスモ

 ミシン製造から自転車生産を経て1898年に最初の自動車を造り出して4輪マーケットへと進出したオペルは、世界で最も長い歴史を持つメーカーのひとつです。ミシンでも自転車でも独力で独自の製品を開発してきたオペルでしたが、さすがに複雑な機構を持った自動車では簡単にはいかないと思ったのでしょうか、先達のメーカーから特許を購入して生産する道を選んでいます。

 その後もオペルは自らの技術を研鑽するためにある時期にはモータースポーツにも進出していきますが、生産するロードカーに対しては冒険を避け、着実なクルマ作りを進めてきました。没個性と言われようと、それは万人向けと同義語でしたし、平凡なメカニズムは冒険を避けて信頼性を確保する上ではとても有効な作戦でした。

 戦前から敗戦国として迎えた戦後も、そして独自資本で頑張っていた時代もGM傘下に組み込まれて以降も、オペルの経営はぶれることがありません。そうしたオペルの生み出すクルマは、まったく奇を衒うこともなく平凡ではありましたが、実用車としての“資質”の高いクルマばかりでした。それはメカニズムだけにはとどまらず、スタイリングにおいても同様です。

 そんなオペルが、1969年に初めて市販したグランツーリスモがオペル1900GT……厳密に言うなら1900GTと1100GTでした。1960年代に入ると2ドアセダンのルーフ後端を斜めにカットした2ドアクーペをラインアップに加えるようになったオペルは、1966年にはカデット・クーペ、1967年にはレコルト・クーペ、そして1968年にはコモドーレ・クーペをフルチェンジしました。

 カデット・クーペではルーフ後半をファストバック風に仕上げたり、レコルト・クーペやコモドーレ・クーペではハードトップ・クーペを登場させています。その少し前、1965年のフランクフルト・ショーには“グランツリスモ クーペ”と名付けたプロトモデルを出展して話題を呼んでいました。

 これは中型車のレコルトがベースで、フロアパンと1.9LのSOHC直4エンジンをチューニングして流用。空力的なボディの恩恵で最高速は200km/h以上と伝えられていました。オペルにとっては、ほぼ初となるGTモデル(のコンセプトモデル)でしたが、例えばポルシェに対抗するようなホットなモデルではなく、スポーティムードを楽しむスペシャルティカーで、扱いやすくて経済的な、まさにオペルがそれ迄にも作り続けてきたクルマの延長線上にあるモデルとなっていました。

 オペル自身はテストトラックを使った空力の実験用モデルとしていましたが、地味過ぎたオペルのイメージを打ち破ろうとするための一手であったことも、決して間違いではないでしょう。そして、このコンセプトモデルを市販モデルに具現化させたのがオペル1900GT/1100GTです。

スポーツカーではなくスポーティなパーソナルカー

 プロトモデルの“グランツリスモ クーペ”から市販モデルの1900GT/1100GTへと発展していく過程で、まずベースモデルがレコルトからひとまわり小さなカデットにコンバートされていました。ボディサイズは全長4110mm×全高1580mm×全幅1225mmでホイールベースは2430mm。

 車両重量は940kgで、これはスタイルが似ているとも言われたトヨタ2000GTと比べると65mm短くて20mm細く、背丈は65mm高くてホイールベースが100mm長いということになります。車両重量は180kg軽いのですが、エンジンパワーが2000GTの150psに対してこちらは1900GTでも90ps、1100GTだと60psでしたから、パフォーマンスでは2000GTに一歩も二歩も後れを取ることになりますが……。

 オペル自体がスポーツカーとは位置付けていないために、ここではあえて問題とはしないでおきましょう。エンジンはいずれも直4で1900GTは1897cc(ボア×ストローク=93.0mmφ×69.8mm)の直4シングルカムで最高出力90ps、1100GTは1078cc(ボア×ストローク=75.0mmφ×61.0mm)の直4プッシュロッドで最高出力60psとなっていました。

 直4エンジンがコンパクトなことに加えて、フロントノーズも長くなっているのでエンジンはフロント・ミッドシップにマウントされています。その直4エンジンは、それぞれラリー・カデット1.9S用とカデット1.1SR用を流用し、チューニングもほぼ同様で最高出力も同じとなっていました。ただし1100GTは、明らかにアンダーパワーで、それが原因になったかは分かりませんが、1年後に生産が終了。一方の1900GTは1973年まで継続して生産され、合計で10万台近くがラインオフしています。

 カデット用のフロアパンをベースにしたモノコックシャシーにはカデットと同じく、フロントに横置きリーフで吊ったダブルウィッシュボーン式独立懸架、リヤはトレーリングアームでコントロールするアクスルをコイルスプリングで吊るスタイルのリジッド式サスペンションが組み込まれています。

 このリヤサスペンションですが、カデットでは装着されていなかったパナールロッドが追加され、1クラス上級のオリンピアやレコルト、コモドーレと同じ基本デザインとなっています。ブレーキは前後ともにサーボ付きでフロントがディスクブレーキ、リヤがドラム式となっています。

リトラクタブルヘッドライトは手動だった

 オペルのデザイナーであるエアハルト・シェネルが手掛けたスタイリングは、ロングノーズにファストバックのキャビンというスポーツカーの教科書通りでしたが、プロトモデルの“グランツーリスモ クーペ”から市販モデルに進化する過程で大幅に手が加えられていました。

 とくにフロント/リヤのオーバーハングが大幅に切り詰められていてイメージも一新。ただしヘッドライトは両車ともにリトラクタブル式となっています。プロトモデルの開閉方式は一般的にフロントが持ち上がるポップアップ式でしたが、市販モデルのそれは、とてもユニークなスタイルです。

 クルマの前後方向に平行な縦軸を中心に、車両前方から見て時計回りに回転しランプユニットが現れるのです。しかもその動力が電動でもなければ圧縮空気を使う訳でもありません。シフトレバーの脇にあるレバーで、ドライバーが操作する人力パワーによる手動式なのです。

 また回転式で左右のユニットがシンクロして開閉する様は、動画サイトでそれを発見して初めて目にしたときには驚いてしまいました。ちなみに、2回目以降は見ると必ず笑みがこぼれてしまいます。最後になりましたが価格についての、ちょっとしたエピソードも紹介しておきましょう。

 日本国内には当時の輸入元だった東邦モーターズから少なくない台数が販売されていましたが、その価格は235万円となっていました。スタイルが似ているとの声もある、と最初の“掴み”で紹介し、比較でも例に引いたトヨタ2000GTの販売価格(238万円)とほぼ同じだったのです。まさに小説よりも奇なり、です。

モバイルバージョンを終了