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フェラーリはなぜ599台即完売したのに試乗会を開催したのか? 「デイトナSP3」はフェラーリ自らが自慢したいほど素晴らしい出来だった!?

ヘッドライト上部には、ハイビーム使用時以外には閉まる可動パネルを備える

発表後、即完売した599台

 プロトタイプレーシングカーの黄金期にデザインモチーフを求めた、世界限定599台のロードゴーイングスペチアーレ、その名も「デイトナSP3」。「60年代のプロトタイプスポーツカーシーン」をテーマとしたその試乗会は、フェラーリが「歴史の連続性を重んじている」証拠でもあった。

モチーフは“史上最も美しく華やかでドラマチックだった時代”

 発表と同時に完売御礼となった超高額な限定モデル。試乗会を開催するというだけでも耳を疑ったというのに、実際に参加してみると、筆者のライター人生の中でも五指に入る感動的な趣向だったから驚いた。

 試乗会のテーマは「60年代のプロトタイプスポーツカーシーン」。史上最も美しく華やかでドラマチックだった時代で、「栄光のル・マン」や「フォード対フェラーリ」といった映画の題材にも選ばれたほどだ。エンツォ率いるフェラーリでは、史上最も美しいスポーツプロトタイプというべき330P4を筆頭としたPシリーズが全盛を極めていた。

 試乗会の主役となった「イコナシリーズ」の第3弾、その名もデイトナSP3は、そんなプロトタイプレーシングカーの黄金期にデザインモチーフを求めた世界限定599台のロードゴーイングスペチアーレである。

 試乗の舞台に選ばれたのは60年代のフェラーリ製スポーツプロトタイプカーに縁の深い欧州のサーキット、例えばル・マン、ゾルダー、スパ、ホッケンハイム、ニュルブルクリンク。これらのサーキットを世界のメディアがリレー形式で訪れテストドライブする、という凝ったプランだったのだ。

 売り切れ御免の、しかも限定モデルのためにここまで手の込んだ試乗会を開催した理由は何だったのか? それはマラネッロがデイトナSP3の完成度の高さに自信を持っていたのみならず、歴史の連続性を重んじているからだ。

 歴史とは過去ばかりでない。現在と未来をも含む。過去と未来をつなぐのは間違いなく“今”。名車であることを約束されたモデルをオーナーの評価だけに留まらせず、広く世界に知らしめるためにはその努力を惜しまない。そんなマラネッロの強い意思の現れだろう。ちなみに筆者の担当は“オウ・ルージュ”で有名なスパ・フランコルシャン……。

 2018年、マラネッロは“イコーナ”(英語でアイコン)という新シリーズを立ち上げた。デザインモチーフをアイコニックなクラシック名馬たちに求め、新たなデザイン解釈とモダンな性能で実現する限定車セグメントだ。単なるレトロリバイバルでないことは、これまでの3モデルを見ても明らか。

 第1、第2弾は世界499台限定の「SP1」および「SP2モンツァ」。V12 FR 2シーターの「812シリーズ」をベースにしたシングルシーター(SP1)もしくは2シーター(SP2)のトップレスモデルで、デザインモチーフとして選ばれたのは「166MM」などブランド黎明期のバルケッタモデルたちだった。この2台が人気を博したため、マラネッロはすぐさま第3弾を企画する。それが今回、凝った試乗会の主役となったデイトナSP3である。

 フェラーリの「デイトナ」といえば、SP3のようなミドシップカーではなく、ロングノーズ・ショートデッキの2ドアクーペを思い出す方がほとんどだろう。じつはマラネッロが公式にデイトナを車名として使うのは今回が初めて。SP3のエクステリアデザインが1967年デイトナ24時間レース1-2-3フィニッシュを頂点とする60年代のスポーツプロトタイプレーシングカー“Pシリーズ”全てからインスピレーションを得ていたことからデイトナと名付けられた。

 記念すべき1-2-3フィニッシュの翌年にデビューしたというだけでいつしか“デイトナ”というニックネームが本名のようになってしまった本名「365GTB4」よりも、「SP3」の方がデイトナを名乗るにふさわしいと思う。

21世紀のデイトナ伝説始まる

 新たなるデイトナ伝説の始まりである。リヤミドに搭載されたマニア羨望のV12自然吸気エンジンは、そのスタイリングとともにデイトナSP3における最大の魅力だ。812コンペティチオーネ用F140HBエンジンをベースにリヤミド用へと再設計し、圧縮比の変更や吸排気系の見直しにより840cvもの最高出力を実現。型式名も新たにF140HCとしたものだ。

 本格的なカーボンシャシーを採用するが、「ラ フェラーリ アペルタ」用モノコックボディを開発の出発点に選んでいる。とはいえそれは新たなインパクトテストを回避して開発コストを抑えるための方便に過ぎなかった。実際にはラ フェラーリの開発から10年近くが経っており、そのままで使うことなどあり得ない。ドアまわりなど各所のデザイン変更はもとより、最新マテリアルへのグレードアップが随所に施されており、ほとんど新設計に等しい。ちなみにタルガトップの屋根もまたカーボン製で、重量わずかに8kg。

 いよいよ、世界限定599台という、この先もう乗ることができるかどうかわからないモデルを試す時がやってきた。バタフライドアを跳ね上げて尻から潜り込むようにして乗り込む。シート位置の調整ができない代わりにペダルボックスが前後に動く。シート下のつまみを引き上げると油圧で動く仕掛けだ。

 50〜60年代のレーシングカーによく使われたシート生地に似せた鮮やかな発色の青いバケットシートに落ち着くと、着座位置の凄まじい低さに驚く。けれども視界はすこぶる良好だ。フェンダーの美しい膨らみが見えた。跳ね馬の伝統的な美点だ。ミラーの高さが左右で違う理由も座ればわかる。そうでないと見えないのだ。

V12自然吸気エンジンで踊るように走る“ダンスパートナー”

 もはやロードカーとは思えないスタイルに乗る前には少し怖気づいたが、それも束の間、全く気負わずにスタートできた。視界の良いことに加えて、車体が明らかに軽く、また微妙なスロットルにも適切に反応する柔軟さをパワートレインが備えており、拍子抜けするほどあっけなく走り始めたからだ。

 小さな村中を難なく抜けて、高速道路に出た。いよいよその性能を知るときだ。まずは加速フィールを確かめるべく、マネッティーノ(ドライブモード切り替え)をRACEにスイッチしてアクセルペダルを踏み込んだ。

 レスポンス鋭く力を発揮するV12エンジン。それに即応する堅牢なボディ。後輪がわずかにスリップしたところでまるで不安なく加速を続ける。姿勢は恐ろしく安定していた。レブカウンターはあっという間に9000回転へ。V12エンジンは全域で官能的なサウンドをコクピットに響かせつつ軽やかにまわり続けたが、なかでも6000回転台の音が印象的だった。

 8速DCTの変速もまたドライバーを刺激してやまない。エンジン回転を鋭くカットし、瞬時にそしてダイレクトにギヤを繋いでいく。このままずっとギヤチェンジしていたい気分になった。

 レーシーないでたちにも関わらず、高速クルーズ時の乗り心地はとても良好だった。他の跳ね馬でも必ず試すようにWETモードで走ってみると、ステアリングフィールがしっとりと落ち着き、矢のように直進する。WETモードは最近、跳ね馬に乗るときのお気に入りで、普段ならそのままで高速道路を流すところだったが、今回ばかりはSP3のV12フィールを忘れることができず、すぐさまRACEモードへと戻してしまった。

 高速道路を降りると欧州の典型的なカントリーロードが続いた。あいにく小雨がぱらつき始める。濡れはじめのアスファルト、しかも油の浮いた新しい舗装にミドシップの超高額ハイパワーモデル、となれば大人しく走ろうと思うのが普通だけれど、そこまでの半時間ほどの高速ドライブですっかりマシンに対する信頼ができあがっていたからだろう。気にすることなく、攻め込んでいく。ドライブモードはSPORT。

 見知らぬワインディングでもいきなりリズミカルに、踊るように走る。まさにダンスパートナーだ。シャシー制御と重量バランスのもたらす絶大なる安心感を背景に、V12の官能フィールを貪り尽くしつつ、右へ左へとマシンを向けて進んだ。

 ステアリングは入りも戻りも驚くほど精緻だ。つねに前輪の状態を伝えてくれるうえ、急な展開のブレーキングでもマシンは不安なく減速する。知らず知らずのうちに様々な悪条件を忘れてペースアップ。しまいには自分でも驚くような速さで駆け抜けていた。今まで味わったなかでも最高レベルに楽しい跳ね馬ロードカーである。

 自然吸気12気筒ミドシップのロードカーはひょっとしてこれが最後かも知れない。新たな歴史の1ページに“参加”できて、スーパーカーマニアとしてはこれほど嬉しいことはなかった。

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