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日産「マッチのマーチ」の系譜が終了! 「スーパーシルエット」から全日本ラリーまでホットハッチとしての初代の活躍を振り返ろう

1982年にワンオフ製作されたマーチ・スーパーシルエット

誕生から40年、ついに日本で販売終了となった「マーチ」の原点

 2022年8月末に国内販売の終了がアナウンスされた、日産のサブコンパクトモデルが「マーチ」です。中でも1982年に登場した初代モデル(K10型)は、モータースポーツシーンでも活躍していました。今回は初代マーチを振り返ります。

旧プリンス系の荻窪で開発された最後のモデル

 1970年に2代目に移行した「サニー」は1200ccがメインで、空白となった1000ccクラスに同年デビューした「チェリー」は、日産初の前輪駆動を採用していました。そのチェリーも1974年のフルモデルチェンジで1200cc/1400ccのラインアップとなり、ふたたび、日産の1000ccクラスは空白となってしまいます。その空白を埋めることになったモデルが、1982年に登場した初代「マーチ」(K10型)でした。

 チェリーと同様にマーチは旧プリンス系の荻窪で開発され、旧プリンス系の技術者でスカイラインの開発としても知られる伊藤修令さんが開発統括を担当。結果的に荻窪で開発された最後のモデルとなりました。

 メカニズム的にはチェリーと同様の直列4気筒エンジンをフロントに横置き搭載した前輪駆動車でしたが、チェリーがトランスミッションとデフを一体化したトランスアクスルとエンジンを2階建てとした、いわゆる「イシゴニス式」だったのに対して、マーチではエンジンとトランスミッションを一列に配してデフはトランスミッションから側方(車体的には後方)にマウントする「ジアコーサ式」とし、エンジン自体もチェリーのA10型から新開発のMA10S型に変更されていました。

 MA10S型は987cc(68.0mmφ×68.0mm)の直4 SOHCで、O2センサーとECUで制御する電子制御キャブレター(ECC)を採用して最高出力は57ps。日産としては初のアルミニウム製のシリンダーブロックを採用し、整備重量も68kgと、1000ccクラスとしては当時、世界最軽量に仕上がっていました。サスペンションはフロントがマクファーソン・ストラット式の独立懸架で、リヤは4本のリンクでコントロールしたアクスルをコイルスプリングで吊るリジッド・アクスル式。ブレーキは、ともにサーボで強化したフロントがディスク、リヤにはドラム式が採用されていました。

スポーツモデルも派生モデルも数多く生み出した

 モデル展開が充実していたことも初代マーチの大きな特徴でした。ボディタイプとしては最初、イタルデザインを設立したジョルジェット・ジウジアーロがデザインした2ボックス3ドアハッチバックの1車型でしたが、後に5ドアハッチバックを追加。また、パイクカーの元祖とされる「Be-1」や「パオ」、「フィガロ」、「エスカルゴ」などの派生モデルも登場、話題を呼んでいました。

 その一方で、メカニズム的には搭載されるエンジンにいろいろなバリエーションが登場しています。これも当初は新設計のM10S型1種類でしたが、1985年のマイナーチェンジに合わせて小型の水冷ターボを装着したM10ST型(最高出力は85ps)を搭載した「マーチ・ターボ」が登場。さらに1988年8月にモータースポーツ専用車両の「マーチR」が登場していますが、こちらに搭載されていたのは、日本初となるダブルチャージングシステム=スーパーチャージャーとターボチャージャーを組み合わせたツインチャージャー複合過給機システムを装着したMA09ERT型(排気量は930cc=66.0mmφ×68.0mmで最高出力は110ps)でした。

 現在ではベースモデルを生産した後に、エボリューションモデルとしてモータースポーツ参戦用車両を仕立て上げるのが一般的ですが、マーチの場合はその逆で、競技専用のマーチRをベースに、ロードゴーイングの「マーチ・スーパーターボ」が5カ月遅れの1989年1月に追加設定されていました。

 マーチRやマーチ・スーパーターボでは、エンジンにスポットがあてられることが多いのですが、当然のことながらシャシーも十分に強化されています。ミッションは超クロスレシオの5速MTでフロントデフにはビスカス式のLSDが組み込まれ、サスペンション関係ではフロントにスタビライザーが追加され、ダンパーやコイルスプリング、ブッシュなどを強化した専用サスペンションがおごられていました。

160psまでパワーアップした1台だけの「スーパーシルエット」

 初代マーチはサブコンパクトのリッターカーでしたが、軽量ボディを武器に、ベースモデルでも軽快な走りを見せていました。さらに「ターボ」や「R」、「スーパーターボ」などのハイパフォーマンスモデルが続々登場し、ホットハッチとしての名声を築いていくことになっていき、モータースポーツに関連した数多くの話題を振りまいたのです。

 その最大のものは、やはり1982年に登場した「マーチ・スーパーシルエット」でしょう。これは初代マーチのCMキャラクターを務めた歌手で俳優の近藤真彦さん、通称「マッチ」のために日産がワンオフで製作したレーシングカー。当時、スカイラインやシルビア、ブルーバードの「スーパーシルエット3兄弟」が参戦して人気を呼んでいたグループ5レース仕様に仕立てたボディに、兄貴分のパルサーに搭載されていたエンジンをチューニングし、ベースユニットの95psから160psにまでパワーアップしたE15型改を搭載していました。

 実際にレースに参加することはありませんでしたがマッチ人気も相まって、NISMOフェスティバルでは今も人気です。また「日産マーチカップ」と銘打ったワンメイクレースが開催されていたことも大きなエポックとなっていました。

モータースポーツで話題沸騰、全日本ラリーでも王者に

 一方、現実的なレーシングモデルとしては先に紹介したマーチRの存在が印象的でした。マーチ・ターボを投入した後に投入されたマーチRですが、ターボチャージャーにスーパーチャージャーを組み合わせたダブルチャージングシステムは、ターボが苦手とする低回転域ではスロットルにリニアな感覚で回転が吹き上がるスーパーチャージャーを使い、より高回転域ではターボチャージャーが威力を発揮する、という考え方で開発。具体的にはターボが効き始めるとスーパーチャージャーへの吸気を絞っていき、4000回転付近でスーパーチャージャーの作動を完全に停止するというものでした。

 また低回転域でのレスポンスを、通常のターボモデルほどには気にしなくてもよくなったことで、ターボ自体もタービン径やコンプレッサー径を、マーチ・ターボよりも大型化していました。またボアを2.0mmφだけ狭くしてまで排気量を縮小したのは、モータースポーツ参戦を考えてのことでした。

 1Lでノンターボのマーチも全日本ラリー選手権で活躍し、1986年と1987年には2年連続で1000cc以下のAクラスでチャンピオンに輝いていました。その1987年シーズンからクラス分けの区分が変更になりBクラスは1600cc以下、Cクラスは1601cc以上となったことで、日産は1600cc以下のBクラスにターゲットを定めてマーチRを開発したのです。

 当時の全日本ラリーにおけるターボ係数は当時1.4でしたが、世界的にはターボ係数が1.7に引き上げられており、国内ラリーでもこれに倣って1.7に引き上げられることが予想されていました。そこでターボ係数が1.7に引き上げられても1600ccクラスで戦えるように、と排気量が987ccから930ccに引き下げられていたのです。モータースポーツを知り抜いていた日産ならではの作戦でした。

 そして日産の期待通り、デビュー戦となった1988年の第6戦・モントレーで見事デビューウィンを飾っています。ただし全7戦中の6戦目でデビューしたこともありタイトル争いは翌シーズンに持ち越すことになりました。そして迎えた1989年シーズンは、マーチRをドライブした島田親吾選手が見事チャンピオンに輝いています。

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