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2代目サニーが「ポルシェ・タイプ」を採用していた! 5速MTがスポーツカーの証だった時代の「サニー1200GX-5」とは

ダットサン サニーセダン1200GX-5speedのフロントスタイリング

モータースポーツで大活躍した1台

 今では軽トラックでも標準装備されている5速MTですが、かつては3速や4速のMTが当たり前の時代がありました。そうした時代では、5速MTはスポーティを謳うに十分なアイテムだったのです。なかでも2代目日産サニーに追加設定されたGX-5は、5速MTをウリにしていました。そんなサニー1200GX-5を振り返ります。

大幅に手が加えられたA12エンジンで与えられた高いポテンシャル

 最初に「今では軽トラックでも標準装備されている」と紹介しましたが、軽乗用車ではほとんどのモデルが4速AT(オートマチック・トランスミッション)やCVT(無段変速機)を装備しており、MT(マニュアル・トランスミッション)を装備しているクルマはわずか。ですので「軽乗用車に標準装備されている」とは紹介できませんでした。

 そしてスポーツモデルには5速MTどころか6速MTまでも装着されています。あらためて、すごい世の中になったと痛感します。それはともかく、5速がまだ珍しい存在だった1970年1月に、サニーは最初のフルモデルチェンジを受けて初代モデルのB10型系から2代目となるB110型系に移行していました。

 初代モデルはエントリーモデルに相応しい1000ccクラスとして設計開発が進められ、1966年4月に発売されましたが、半年遅れで登場したトヨタのカローラが1100ccエンジンを搭載……。こちらも初期段階では1000ccで開発されていましたが、日産の新しいエントリーモデルが1000ccであるとの情報から1100ccで設計し直されたようです。

 発売当初から「プラス100ccの余裕」をキャッチコピーに販売戦略を展開し、結果的に初代サニーが販売的に苦戦を強いられたことを“教訓”に、今度はカローラよりもさらに100cc大きな1200ccエンジンを搭載してのデビューとなりました。もっともライバルのカローラは、1969年9月にはひと足早く1200ccへとエンジンをサイズアップしていましたが……。

 サニーの新エンジンはA12型を名乗っており、初代が搭載していたA10型の発展モデルとされています。A12型の排気量は1171ccでボア×ストローク=73.0mmφ×70.0mmでした。ちなみにA10型はボア×ストローク=73.0mmφ×59.0mmの988ccでしたから、こうした排気量拡大では一般的なボアを広げるのではなくストロークを伸ばす方法をとっています。

 クランクを一新する必要があるため開発は大変な作業を伴いますが、じつは初代サニーとともにデビューしたA10型は直4ながら3ベアリングというクラシカルな設計でした。一方A12型では5ベアリングとして腰下にも大きく手が加えられていたのです。のちにOHVのリターンフローながら1300ccのレース仕様では10000回転以上も回して170psを超えるハイパワーを絞り出し、傑作と呼ばれたA型エンジンの基礎は、こうして高いポテンシャルを与えられました。

 1970年1月のフルモデルチェンジで2代目に移行したサニー(B110型系)は、当初2/4ドアセダンと2ドアクーペの3車型で、エンジンもA12型の1キャブ仕様(最高出力は68ps)という1スペックでした。ですが3カ月後には高性能版のGXが登場しています。

 搭載されたA12型エンジンは、ベースグレードの1キャブ仕様に対してハイカムシャフトを採用。圧縮比を9.0から10.0に高めるとともにキャブレターをSUタイプのツインキャブに交換し、さらに排気系にはデュアルエキゾーストも採用するなど、ファインチューニングが施され最高出力も83psと15psパワーアップしています。

 動力性能的にも最高速度が160km/hとベースモデルに比べて10km/h引き上げられるとともに、加速性能も0-400mの発信加速も16.7秒と1.9秒も短縮。シャシー関係でもフロントのマクファーソン・ストラット式独立懸架、リヤのリーフ・リジッド式というサスペンション形式はベースモデルと共通でしたが、GXグレードに関しては、ヘビーデューティな専用のチューニングが施されていました。

 ちなみにブレーキに関しては当初の上級グレード、GLでもフロントにディスクブレーキを採用していました。またGXが追加設定された1年後の1971年4月には、L14型エンジンを搭載した上級モデルのサニー・エクセレントが登場。そして、今回の主人公であるサニー1200GX-5ですが、B110型系の登場から2年半余りが経った1972年8月に追加設定されています。

 GXとの最大の相違点は、やはり5速MTでした。先にも触れたように、当時は5速MT(マニュアル・トランスミッション)の採用例が少しずつ見受けられるようになっていましたが、やはりMTは4速がまだまだ主流。結果的に5速MTを装備することで、スポーティさをセールスポイントとすることができた時代でした。

 そんな時代に登場したGX-5に搭載されていた5速MTは、F56A型を名乗る、軽い力で同期操作ができるサーボ型シンクロ、別名“ポルシェ・タイプ・シンクロ”を採用した新開発のトランスミッション。同タイプのトランスミッションは日産系ではスカイラインGT-RやフェアレディZにも採用されて好評を博していましたが、新たに1200ccエンジンと組み合わせる新型が開発されたのです。

ドライバーとチューナーの奮起で1300ccクラス王座に登り詰める

 F56Aを名乗る、新開発された5速のサーボ型シンクロ機構が組み込まれたトランスミッションの大きな特徴は、5速がオーバートップではなく減速比1.000のトップとされていたこと。1速の減速比は4速MTと共通の3.757でしたから、3.757から1.000を4つのギヤ比で分割するのか5つのギヤ比で分割するのかの違い、つまり1速から5速までの減速比がクロスレシオの設定となっていました。

 これはエンジン回転の中でトルクフルな回転域をうまく使いきるには有効な手段(機構)でした。さらに通常のトランスミッションは、左上に1速がありその下が2速。1速の右隣が3速でその下が4速。4速の右にバックギヤがあり、5速の場合は3速の右隣にシフトゲートが設けられるのが一般的でしたが、GX-5のF56A型トランスミッションでは、通常では1速がある左上にバックギヤがあり、1速は左下に。

 バックギヤの右隣に2速がありその下に3速。2速の右隣に4速があり、その下に5速、というシフトゲートが配置されていました。このシフトパターンはヒューランド製のレース用トランスミッションのシフト配置と同じことから“ヒューランド・タイプ”や“レーシング・タイプ”と呼ばれていました。また通常はロー(1速)がある左上にバック(ギヤ)があることから“ローバック”とも呼ばれました。さらに、5速の変速比が1.000だったことで“直結5速ミッション”の呼び方も一般的でした。

 1960年代終わりから1970年にかけて、1300cc以下のツーリングカーレースでは、トヨタのカローラ/パブリカ連合軍が猛威を奮っていました。1970年の1月に登場したサニー1200(2代目のB110型系)は、これに一矢報いんとチューナーやドライバーが奮闘を続けていましたが、1970年の11月に筑波サーキットで開催されたレースで鈴木誠一選手がドライブしたサニーが、カローラ/パブリカ連合軍を打ち破って初優勝を飾ったあたりから勢力図が変わっていきました。

 そしてGT-5が登場した1972年あたりからはサニーが天下を取るようになっていきます。トヨタは1973年にパブリカの後継モデル、スターレットに、レースオプションのツインカム16バルブヘッドを組み込んだ3K-Rエンジンを搭載して投入。185psのハイパワーを武器に優勝をもぎ取ることになりましたが、日産系の有力チューナーも奮起します。

 ベースモデルで約700kgの軽量ボディに加え、エンジンも極限までチューニング。A12型エンジンは排気量を1300ccにまで引き上げて、最終的には170psを超えるハイパワーを絞り出すことに成功。また10000rpmを超える最高回転数も可能にして、スターレットを駆逐することになりました。

 その後、富士のマイナーツーリング(MT)レースは事実上、サニー(KB110)のワンメイクとなりながらも多くのファンに支持されて人気レースシリーズとなりました。1973年の5月にはフルモデルチェンジを受けてサニーは3代目のB210型系に移行しますが、ボディが大型化し車両重量も重くなったことで、レース関係者の多くが、この新型サニーでのレース参戦を避け、旧型となったB110型系サニーでの参戦を続けていました。

 B110型系と基本設計を同じくするB120型サニー・トラックの生産が続いている、との理由から日産が“民意”に応える格好でB110型系のホモロゲーション(車両公認)延長を申請し、B110型系のレーシングヒストリーはさらに継続。その延長されたホモロゲーションも1982年の年末にはとうとう公認切れを迎えることになり、1983年には隔世後継としてB310型系にバトンを渡し、B110型系はサーキットから姿を消しています。

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