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スバルのWRCの原点は「ff-1 1300G」にあった! 丸目2灯のカワイイ顔して採用していた最先端技術とは?

国内ラリーでも健闘していたff-1 1300G

 スバルといえば、ボクサーエンジンと全輪駆動を組み合わせた“シンメトリカルAWD”が大きな特徴であり、同時に大きな魅力となっています。そのうちボクサーエンジンを最初に搭載したモデルがスバル1000でした。今回はそのスバル1000の最終モデルにして最上級モデルだったスバルff-1 1300Gを振り返ることにしましょう。

富士重工業初の小型乗用車スバル1000はボクサーエンジン+前輪駆動

 現在では小型乗用車のほとんどが採用している前輪駆動(FWD)ですが、国内の量販小型乗用車で初めてFWDを採用したのは1966年に富士重工業(現SUBARU)がリリースしたスバル1000です。富士重工業は戦前・戦中に航空機の製造で国内航空機産業をけん引してきた中島飛行機の流れをくむ自動車メーカーで、その技術力は高い評価を得ていました。

 そんな富士重工業が初めて試作した小型乗用車が“P-1”の開発コードを持ったスバル1500でした。このときのエンジンは1.5L OHVの直4で、サスペンションもフロントがダブルウィッシュボーン、リヤがリーフ・リジッドとコンサバなパッケージでしたが、フレーム/ボディには国内初、世界的にも早いとされるモノコック式を採用しています。

 残念ながら量産には至りませんでしたが、スバル1500の出来栄えは、航空機メーカーだった歴史を感じさせる1台となっていました。その後富士重工業は、1958年に軽乗用車のスバル360を発売して自動車メーカーとして正式なスタートを切ることになったのです。

 スバル360は発売直後から話題を呼び、すぐに軽乗用車のトップセラーとなっていきます。派生モデルとして1960年10月には排気量を423ccに拡大し、小型乗用車枠としたスバル450も登場しています。ですが、軽自動車のスバル360と事実上は同じボディに、わずかにパワーアップ(18ps→23ps)しただけのエンジンでは魅力に乏しく、富士重工業の本格的な小型車マーケットへの進出は1966年のスバル1000の登場まで待たざるを得ませんでした。

 こうしたプロローグを経て、1966年の5月に登場した富士重工業の本格的な小型乗用車がスバル1000です。デビュー当初はベーシックな4ドアセダンのみでしたが、クリーンなスタイリングは好印象で、メカニズム的には水平対向4気筒の、いわゆる“ボクサーエンジン”を搭載したFWD、というパッケージが大きな特徴となっていました。

 ボクサーエンジンは、のちにスポーツカーのポルシェに連なるフォルクスワーゲンのタイプ1、いわゆる“ビートル”に採用されていたことでも知られていますが、これは空冷。国内でもトヨタのパブリカやトヨタスポーツ800なども空冷の水平対向2気筒エンジンを採用していましたが、富士重工業では水冷の水平対向4気筒を開発しています。

 一方、FWDは後にアウディ(ドイツ)の前身であるアウトウニオンに参加することになるDKWが1931年にリリースしたDKW F1が先駆けとなり、1934年にはフランスのシトロエンが“トラクシオン・アバン”の愛称で知られる7CVをリリースしてこれに続き、以後シトロエンはFWDに特化したメーカーとなっていきました。

 戦後の1959年にはイギリスのBMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)が直4エンジンをフロントに横置きマウントしたミニをリリースしたことで、一気にFWDが一般的になっていきます。

 ただし、操舵を担当する前輪に駆動も受け持たせるためにはドライブシャフトを繋ぐ必要があり、BMCと同じくイギリスのバーフィールド社で開発した“バーフィールド・ツェッパ・ジョイント”と呼ばれる等速ジョイントの完成が、ミニの商品化には大きく貢献していました。富士重工業がスバル1000の開発に際して東洋ベアリン(現NTN)と共同で開発したダブル・オフセット・ジョイントにより完璧なシステムが完成しています。

 これ以後、FWDは世界的に大きな広がりを見せることになりました。なお、1969年にイタリアのFIATが発表したフィアット128では、エンジンとトランスミッションを一列にして横置きとする、いわゆる“ジアコーサ式”が登場。これがFWDを世界的に広めた最大の要因とされています。ただしスバル1000はエンジンを縦置きとしており、BMCミニやフィアット128とは同じFWDですが技術的には一線を画していました。

スバル1000の苦戦から生まれたff-1 1300Gはモータースポーツでも活躍

 富士重工業初の小型乗用車として1966年に登場したスバル1000は、排気量977ccで最高出力55psのOHV水平対向4気筒エンジンをフロントに搭載。ボア×ストロークは72.0mmφ×60.0mmと、エンジンの全幅を詰めることを考えてショートストロークな設定となっていました。

 ラジエターをメインとサブに分け、電動ファンでサブ・ラジエターを冷却するシステムは、スバル1000が初めて実用化したものです。また水平対向エンジンはエンジンの高さが低いことから低重心が実現したのですが、それとともに、ボンネットの高さを低く抑えながらも、エンジンの上にスペアタイヤを置くことが可能になり、結果として大きなトランクスペースを確保することができました。

 サスペンションは、フロントがウィッシュボーンと縦置きトーションバーの組み合わせで、リヤがトレーリングアームに横置きのトーションバーとコイルスプリングが組み合わされていました。特徴的だったのはフロントのブレーキがインボードにマウントされていたことで、スペース的な見地から、この方式が選ばれたのですが、結果的にばね下重量を軽くすることができるメリットが生まれました。FWDを採用したことでプロペラシャフトが不要になり、室内の、とくに足元のスペースが広がっていたのも大きなセールスポイントとなっています。

 また最大の特徴となっていたのは、クルマが軽量に仕上がっていたことです。プロペラシャフトが不要になったことも見逃せないのですが、何よりも開発陣の軽量化へのこだわりが大きかったようです。

 当時の国産車ではボディを構成する鋼板の板厚が0.8mm~1.0mmというのが一般的でしたが、スバル1000ではスバル360と同様に0.6mm厚の鋼板を使用したことで、車両重量は685kgに収まっていました。ガラスについてもサイドウインドウには4.0mm厚、リヤウインドウには3.0mm厚のガラスを採用しています。

 これも当時は規格外ということでメーカーも生産に難色を示していたようですが、新たに自動車用ガラスを生産することになった宇部興産系のセントラルガラス社が生産を快諾して実現することになりました。スバル360の開発ではウインドウを大きくすると重くなるから、との理由からデザイン面でも制約があったようですが、スバル1000では大きなウィンドウで、しかも曲面ガラスを採用することで室内スペースも大きく広げられることになりました。

 こうして世に出たスバル1000ですが、ライバルだったトヨタ・カローラや日産サニーが排気量を拡大して1.2Lとなり、1.4Lの上級モデルも追加。さらに三菱コルトやマツダ・ファミリア、日野コンテッサなども1200クラスを充実させたのです。

 さらにホンダも1300を投入するなど“上級志向”が顕著になっていきました。それに呼応するように富士重工でも、1969年にはエンジン排気量を1088cc(ボア×ストローク=76.0mmφ×60.0mm。最高出力はベースモデルが62ps、ツインキャブ仕様が77ps)に引き上げたスバルff-1に移行しています。

 1970年には排気量を1267cc(ボア×ストローク=82.0mmφ×60.0mm。最高出力はベースモデルが80ps、ツインキャブ仕様が93ps)に拡大したff-1 1300Gを投入して対応することになりました。ボアが72.0mmφからスタートし82.0mmφまで拡大したことでクランクケースとヘッドは新設計となり、クランクシャフトの剛性もアップされています。

 また、ツインキャブ仕様では専用カムシャフトやデュアルエキゾーストパイプを採用し、バルブタイミングやバルブリフトを変更していました。

 ちなみに、93psの最高出力は、1.3Lクラスとしてはホンダ1300の115psに次ぐもので、OHC+4キャブのライバルに対してOHV+2キャブのスバルは、ある意味 “ホンダ1300以上”のチューニングがなされていたと言ってもいいでしょう。

 エンジン性能に特化したホンダ1300に対して、スバルff-1 1300Gはトータル性能でこれを凌駕。国内ラリーでも健闘していました。のちにターボや全輪駆動(AWD)を手に入れたレガシィやインプレッサが世界ラリー選手権(WRC)で活躍する原点は、スバルff-1 1300Gにあったのです。

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