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三菱の「サターン(土星)」エンジンって? 「オリオン」や「ネプチューン」のネーミングは戦闘機エンジン「金星」「火星」にルーツがありました

1970年式の三菱ギャランGTOのフロントスタイリング

WRCで三菱に初の総合優勝をもたらしたエンジン

 三菱自動車工業は、川崎重工業、石川島播磨重工業(現IHI)とともに日本の三大重工業とされる三菱重工業から分社独立した自動車メーカーですが、まだ独立前、三菱重工業の一部門だったころから“エンジンの三菱”を標榜していました。そして独立直前に登場したサターンエンジンは、今なお名機の誉れ高いエンジンです。

エンジンの三菱が送り出した天体関連の愛称を与えられたサターンエンジン

 三菱自動車工業の母体である三菱重工業は、戦後GHQによって東日本重工業(のちに三菱日本重工)と中日本重工業(のちに新三菱重工業)、西日本重工業(のちに三菱造船)に分割されていましたが、1964年に3社がふたたび統合されて現在の三菱重工業が誕生しています。

 そのような歴史もあり、3社に分割されていた時代も含めて、三菱重工業時代には工場を示すアルファベット、例えば水島工場で製作されたエンジンには“M”のイニシャルで始まるエンジン形式が採用されていました。しかし1965年に登場したコルト800用の3G8型以降は、現在の命名法が採用されています。

 まず最初に気筒数を示す一桁の数字があり、続いてはガソリン・エンジンだったら“G”、ディーゼル・エンジンならば“D”という風に燃料の種別を示すアルファベット。さらにエンジンの系列を示す一桁の数字と、その系列の中で特定のエンジンを示す一桁の数字を用い、これらを繋げた4桁の英数字で表されることになります。

 ところで、そうした命名基準とは別に愛称が与えられたエンジンもあります。戦時中に三菱重工業が製作していた戦闘機用エンジンにも「金星」や「火星」といった惑星名を愛称とするエンジンがありました。

 それにちなんで2G2系で軽自動車用の2気筒ガソリンエンジンを「バルカン=かつて太陽系において水星の内側を周回していたとされた仮説上の惑星」、4G1系で小型車用1.2~1.6Lの4気筒ガソリンエンジンを「オリオン=ベテルギウスやリゲルなどで構成される冬の星座」などと名付けています。ほかにも4G3系を「サターン」、4G4系を「ネプチューン」、4G5系を「アストロン」、4G6系を「シリウス」などと呼んでいました。

 今回の主人公、サターンエンジンは小型車用で1.2~1.8Lの直列4気筒=4G3系と、2L直列6気筒=6G3系からなり、6G3系はとくにサターン6と呼ぶことがあります。上記の星座に関した愛称を持つエンジン群のなかで最初に登場し、三菱では初のSOHCヘッドを持ったエンジンでした。

 ちなみにサターンは土星を表しています。サターンエンジンが最初に採用されたのは、1969年の12月に登場したコルト・ギャラン。1300のAIシリーズには排気量1289cc(ボア×ストローク=73.0mmφ×77.0mm。最高出力は87ps)の4G30が、1500のAIIシリーズには排気量1499cc(ボア×ストローク=74.5mmφ×86.0mm。最高出力は95ps)の4G31が搭載されていました。

 翌1970年の5月にはハイパフォーマンスモデルのコルト・ギャランGSがデビューします。1.5Lの4G31エンジンはツインキャブでチューニングが施され、最高出力は105psにパワーアップ。さらに1970年の10月にはギャランGTOが登場しますが、こちらに搭載されていたのは1.6Lの4G32で、1597cc(ボア×ストローク=76.9mmφ×86.0mm)の排気量からシングルキャブ仕様で100ps、ツインキャブ仕様では110psを絞り出していました。

 そしてさらに2カ月後の1970年12月には、4G32エンジンの真打ともいうべきツインカム仕様が登場します。ギャランGTOシリーズのトップモデル、GTO MRの専用エンジンとしてのデビューとなりました。こちらはシングルカム仕様と同じ1597ccの排気量から125psのハイパワーを絞り出しており、同年にトヨタが発売した初代セリカのテンロク・ツインカム、115psを発する2T-Gよりも10psも高出力でクラス最高を謳っていました。

海外ラリーでも活躍し“ラリーの三菱”の礎を築いた名機

 当時テンロク最強を謳っていたサターンエンジンの4G32型ですが、じつは4G32型にもさまざまなタイプがありました。先に紹介した1970年に登場したシングルキャブとツインキャブ、そしてツインカムの各仕様に加えて、1977年にギャランΣに搭載されて登場したG32Bエンジンも、1982年にコルディア/トレディア・シリーズに搭載されて登場したG32Bターボもすべて4G32型ファミリーの一員です。

 1977年のギャランΣはフロントに直4エンジンを縦置きにした後輪駆動ですし、1982年のコルディア/トレディアでは国内初のテンロク・ターボとなるなど、それぞれの立ち位置も不明瞭な部分もありましたが、それもこれもサターンエンジンの懐の深さと理解しておきましょう。もうひとつ付け加えるなら、前述のようにサターンエンジンには直4だけでなく直6もラインアップされていました。

 これは“サターン6”の愛称を持った6G34型で、1970年に初代デボネアに搭載されてデビューを果たしています。初代デボネアは、1964年に登場した当初は、2L直6プッシュロッドのKE64型エンジンを搭載していました。これは1991cc(ボア×ストローク=80.0mmφ×66.0mm)の排気量から106psを絞り出しており、1963年に登場していたプリンスのグロリアに次ぐ2Lクラスで2番目の6気筒モデルでしたが、グロリアが搭載していたG7型が直6OHCで105psを絞り出していたのに対し、KE64型はプッシュロッドながら106psということで“クラス最強”のエンジンとなりました。

 その後ライバルたちは、1960年代中盤から1970年代序盤にかけてフルモデルチェンジを実施したことでデボネアは“時代遅れ”な印象を持たれることになりましたが、そこは“エンジンの三菱”です。1970年にデボネアがマイナーチェンジしたのを機に完全な新型エンジンとして6G34型、つまりサターン6を投入することになったのです。6G34ユニットはSU式のツインキャブを装着し、1944cc(ボア×ストローク=73.0mmφ×79.4mm)の排気量から130psを絞り出し、ふたたび“クラス最強”の座を手に入れることになりました。

 ロードモデルだけでなくモータースポーツでもサターンエンジンは目覚ましい活躍を見せています。1965年に国内でラリー活動を開始した三菱は、2年後の1967年には国際ラリーへとステップアップ。その第一歩は、1967年10月にオーストラリアで行われたサザンクロス・インターナショナルラリーでした。

 ダグ・スチュワートとコリン・ボンド、ふたりがドライブした2台のコルト1000Fは大排気量車を相手に健闘し、ボンドが総合4位/クラス優勝を飾り、スチュワートもクラス3位につけています。この好成績で始まった三菱のラリーヒストリーですが、1971年から主戦マシンを務めたギャラン16L GSは、アンドリュー・コーワンをエースに迎えた1972年に、見事なパフォーマンスを見せつけています。

 クラッチとブレーキの不調に悩まされながらも最大のライバルとなった日産のダットサン240Zをかわしてリードを広げていきます。そして24分もの大差をつけてこれを振り切り、三菱に初の総合優勝をもたらすことになったのです。

 翌1973年には世界ラリー選手権(WRC)が制定されますが、三菱の第一歩を飾ったのはやはりギャラン16L GSでした。シリーズ第4戦となったサファリ・ラリーで4台が出場したギャラン16L GSは、初出場ながらグループ2で1600cc以下の2Cクラスで健闘。総合優勝はより改造範囲の広いグループ4の大排気量車、ダットサン240Zが飾っていましたが、2Cクラスで優勝を飾るとともに総合7位につけ、同クラスで走ったダットサン1600SSSに先んじていました。

 のちにWRCでトップコンテンダーとなり1996年から1999年までトミ・マキネンがドライバーズタイトルを4連覇。1998年にはマニュファクチャラーズタイトルも奪いWRCを席巻することになる三菱のWRC第一歩は、4G32型ツインキャブエンジンのサターンエンジンを搭載したギャラン16L GSによって記されていたのです。

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