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「バナナテール」は5本! トヨタ「セリカLB」は大型レジャー用品も積載できるアウトドア対応のスポーツカーだった

5分割のテールランプがバナナの房のように見えることから、 “バナナテール”あるいは“バナナ・セリカ”と呼ばるようになった

レジャーを楽しむことができたセリカLB

 国産初のスペシャリティカーとして登場した初代セリカは2ドアクーペでしたが、2年半後にはリヤにハッチゲートを持ったモデルが登場しています。今回はLBの愛称で知られたセリカ・リフトバックを振り返ります。

2ドア5座にハッチゲートを追加した「新しいスポーツカー」

 トヨタ・セリカは1970年に、兄弟車となるトヨタ・カリーナとともに登場しています。カリーナの方はコンサバな4ドアセダンでしたが、2ドアクーペのセリカはエンジンやトランスミッション、内装や外装などを自由に選んで自分だけの1台を創造できる、国内初のスペシャルティカーというコンセプトでのデビューとなりました。

 もっとも、多くのユーザーはテンロク・ツインカムの2T-Gエンジンを搭載した1600GTを選んでいて、トヨタの想いほどにはスペシャルティカーらしさは目立つことはありませんでした。当時、国内マーケットにおいてスポーツカーと呼べるモデルは、トヨタ2000GTが1970年の8月限りで生産を終了したこともあり、ライバルだった日産のフェアレディZのみとなっていました。

 その前身でスパルタンだった2座オープンのダットサン・フェアレディから、クローズドボディでモダンな日産フェアレディZに移行。同車に設けられていたリヤのハッチゲートが“新たなスポーツカー”の発芽となったようでした。

 その流れを一気に加速させたのが、セリカのデビューから2年半後に登場したリフトバック(LB)シリーズでした。2ドアクーペでリヤに独立したトランクスペースを設けたベースと異なり、LBは荷物の出し入れ(積み下ろし)に便利なハッチゲートが設けられていました。

 さらにLBはベースモデルと同様に、基本的には5座であり、家族で長距離旅行を楽しむグランツーリスモとしても使用可能でした。リヤシートを畳むと広大なカーゴスペースが誕生することから、マリンスポーツのような大型の機材もすっぽり積み込むことができました。

 それまで、ストイックにドライビングを楽しむためだけだったスポーツカーから、アウトドアのアクティビティを楽しむためのスポーツカー……例えて言うなら随分モダンになったシューティングブレークへと進化していったのです。

 まずはLBのメカニズムについて紹介していきましょう。フレーム/ボディはモノコックで、フロアパンは2ドアクーペのベースモデルと共通となっていました。フロントがマクファーソン・ストラット式、リヤがリジッド式ながら左右一対のコイルスプリングで吊ったアクスルを4本のリンクで支持すると同時にラテラルロッドで左右方向をコントロールするもので、これはトヨタ車としては初の採用となりました。

 2425mmのホイールベースは、セリカのベースモデルやカリーナとも共通で、前後トレッドも1280mm/1285mmで基本的に共通していました。ただしカリーナやセリカ(クーペ&LB)の1600GTが6.45H-13-4PRのバイアスタイヤを装着していたのに対し、LBの2000GTは185/70HR13サイズのラジアルタイヤを装着していたことから、前後トレッドはそれぞれ20mm増えて1300mm/1305mmとなっていました。

 ボディサイズ(全長×全幅×全高)はクーペの4165mm×1600mm×1310mmに対してLBは4215mm×1620mm×1280mmと、50mm長く、20mm広く、そして30mm低くなっていました。車重はクーペの1600GTが940kgだったのに対し、LBの2000GTが1040kg。

 リヤに大きなガラスウインドウを持ったハッチゲートが組み込まれていて、当然低下した剛性を上げるために補強材も追加しているであろうから、それは仕方ないのですが、同じ仕様で比べてもクーペに比べてLBは70kgほど重くなっていました。

 これに対応する格好で、クーペではテンロク・ツインカムの1.6L 2T-G(ボア×ストローク=85.0mmφ×70.0mm。最高出力は115ps)が最強エンジンだったのに対して、LBでは2Lツインカムの18R-G(ボア×ストローク=88.5mmφ×80.0mm。最高出力は145ps)を最強エンジンに据えていたのです。

スタイリングにも十分な拘り

 先に紹介したように、クーペとLBでは全長に50mmの差がありました。それはLBのスタイリングを実現する上で見逃すことのできないものでした。少し詳しく解説しておきましょう。50mmの内訳ですが、フロントのオーバーハングが70mm延長され、反対にリヤのオーバーハングは20mm短縮されていました。

 70mm延長されたフロントオーバーハングでは、バンパーが前進しサイズもアップしています。クーペではスラントしていた車幅灯が大型化して直立。さらにボンネットも前端が持ち上がり気味に前進し、結果的にヘッドライトは“奥目”となった印象がありました。ちなみに、1974年のマイナーチェンジではクーペのフロント部分がLBと同様なスタイリングに変更されています。

 一方、リヤビューはLBの大きな特徴ともなりました。テールランプは5分割となり、もっとも外側にターンシグナルランプ、いわゆるウインカーの橙色で、内側4本は尾灯&ストップランプの赤色。さらにその内側にバックランプが装着されていたのですが、この5分割のテールランプがバナナの房のように見えることから、 “バナナテール”あるいは“バナナ・セリカ”と呼ばれています。

 ちなみに、1975年のマイナーチェンジで5分割から3分割に変更されてしまったので、マイナーチェンジ前の初代モデル(前期型のみ)を指してこう呼ばれています。また、クーペも初期モデルはテールライトが赤色のワンピースで“ワンテール”と呼ばれていましたが、1972年のマイナーチェンジでウインカーの橙色部分が独立しています。テールライトの解説だけでこんなに話が広がるのは、さすがセリカ、ですね。

そしてレースでも大活躍

 セリカLBはモータースポーツ、とくにレースでの活躍が目立った1台です。1970年に登場したクーペのころからレースに出場し、同じ2T-Gエンジンを搭載するカローラ・レビン/スプリンター・トレノとの同門対決は、脚の優れたセリカ vs 軽くて動力性能にアドバンテージのあるレビン/トレノ、という図式で激しいバトルが繰り広げられ、ツーリングカーレースの1.6Lクラスは注目を集めることになりました。

 その後、テンロク・クラスはレビン/トレノに任せ、セリカは2Lクラスへとステップアップしていきます。このときはクーペモデルでも参戦でしたが、スカイラインGT-R vs マツダRE軍団の激しいバトルの陰に隠れる格好で、なかなか存在感をアピールすることができませんでした。

 そこでツーリングカーからレーシングカーへと一歩踏みこんだマシンが開発されることになり、LB1600GTをベースに2T-G+ターボを搭載したRクラスのセリカLB1600ターボが製作され、1973年の富士1000kmレースでは高橋晴邦/見崎清志組が総合優勝を飾っています。さらに、トヨタ系の有力チーム(サテライトにして準ワークス、時々ワークス)であるトムスでは、1979年にドイツの名門シュニッツァーが製作したセリカLBターボを国内レースに持ち込んでいます。

 これはドイツ・トヨタがチューナーとして知られるシュニッツァーに依頼して製作されたグループ5、いわゆるシルエットフォーミュラ。搭載するエンジンは18R-Gユニットを2090cc(ボア×ストローク=90.0mmφ×80.0mm)まで排気量を拡大し、シュニッツァーが独自開発した16バルブ・ヘッドと組み合わせ、さらにKKK製のインタークーラー付きターボで武装したもので最高出力は560psを捻り出していました。

 このパワーからすれば連戦連勝間違いなし、と言いたいところでしたがトムスに引き渡された状態では、パワーを生かすためのパッケージが未完成と言ってもよい状態で、トムスでは動力系をすべて見直す作業を進めることになりました。

 そしてその甲斐あって1979年9月の富士インター200マイル(富士GCのシリーズ第3戦)のスーパーシルエット・レースでは、2位に10秒以上の大差をつけぶっちぎりで優勝しています。

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