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日本独自の「バニング」文化のルーツは北米にあった! バニング歴30年以上のオーナーがたどり着いた「ハイエース」とは

バニング業界ひと筋30年以上のオーナーが手がけた「ハイエース」

令和になってもバニングは健在

「バニング」というカスタムをご存知だろうか? 日本ではワンボックス車をベースにド派手な装飾を施すカスタムとして、1990年代に黄金期を迎えたカスタムジャンルだ。当時、改造車の聖地と言われた横浜大黒パーキングはローライダーとバニングが入り乱れ、数多くのスピーカーを搭載したクルマがズンドコ・ズンドコ奏でていたのである。そんな時代に盛り上がったバニングは、今となっては絶滅危惧種と言われているが、その世界観を楽しむオーナー達は、昭和、平成、令和と時代は変われど、現在も健在であった。

バニングのルーツは北米

 そもそもバニング文化のはじまりは日本ではなくアメリカにある。時代は1970年代、「バンニング」(荷台にものを詰める)と言葉の意味通りアメリカンバンをベースに、いわゆるキャンピングカー的に使うカスタムが誕生。

 それが時の経過とともに発展を遂げ、若者のカスタムカルチャーとして定着。次第にメッキパーツをふんだんに使った装飾が流行し、インテリアもまるで部屋の中に居るような感覚ですごせるようにと、ベッドやソファを持ち込むスタイルが誕生した。

 1980年代には、そんなアメリカンなライフスタイルをリアルに描いた映画『バン・バニング・バン』が公開された。この映画をきっかけに一気に「バニング」という言葉とカスタムのジャンルが世界中に広まったとされている。

 日本では1980年代に見た目も内装もゴージャスなダッジ「キャラバン」、シボレー「アストロ」などのアメリカンバンが続々と輸入されてきた。こうしたクルマをベースにカスタムを楽しむオーナー達もいたが、高価な輸入車ではなく、手頃な価格で手に入る国産車──トヨタ「ハイエース」や日産「キャラバン」といった国産バンをベースとして同様なカスタムを楽しもうという流れが同時に誕生した。

 これが後により過激に、より目立つスタイルへと大きく方向性を変えて進化──巨大なエアロパーツでデコレーションし、オーディオを強化して爆音を奏でる日本独自のバニングスタイルの誕生である。

 一説によると、このバニング系のデコレーションについては、デコトラの影響も強かったとも言われている。同じディーゼルエンジンだったこともあり、また、乗り手もトラック野郎が多かった理由から、似た感じのパーツを使うようにもなったとか。確かによく見比べてみると使っているパーツや電飾といった仕上げ方もよく似ていることに気づく。

バニング一筋30年以上でたどり着いた「ハイエース」

 今回紹介する小泉さんは、バニング業界ひと筋30年以上の人生を歩み、これまでバニングカルチャーの変化を見守り続けて来た人物だ。愛車のベースは100系ハイエースのスーパーロングで、ド派手な装飾によってアピール度を高めている。

 バニング歴の長いベテランが手がける、とても普通ではないハイエースの一番のポイントを小泉さんに伺うと、やはりリヤ後方をお立ち台仕様にしている点だと説明してくれた。ここにはテーブルとソファとスピーカーがセットされている。しかもリヤハッチはダンパー付きで、しっかり閉められる作りとなっているから凝っている。

 バニングカーとしてアピール度を高める巨大で派手なエアロパーツは独特で、フロントと前ドア以外の窓を埋め、フラットな外観にするバニング定番スタイルとしながらも、前後バンパーは大きく張り出し、ルーフには鎧兜を彷彿させる大胆な装飾も施し、圧倒的な存在感が引き出されている。

 ド派手に魅せるのがバニングカーの王道。ならば、徹底的に目立つようにやり尽くすというのが小泉さんのポリシーで、他にも星形巨大マフラーを製作してサイドにマウントさせたり、オーバーフェンダーを装着したワイドボディ化も施している。

 また、このクルマの場合はゴールドとブラックのデザインカラーにも注目してもらいたい。これを見てピンと来た人は相当なクルマ好きと言っていいだろう。じつはこのデザインは「ファルケンカラー」と呼ぶスタイルで、四輪改造車乗り間では有名なカラーリングだ。いわゆる街道レーサー乗りに好まれるスタイルだが、それをあえてボディ面積の広いワンボックスのバニング仕様車でやるのが面白い。

 バニングカーといえば、パールやメタリック系一色のみか、車体に有名人の顔やアニメキャラなどが描くケースも多い。その中でファルケンカラーというデザインペイントを施した小泉さんのハイエースは特別な印象をより強く感じさせる1台であった。

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