マニア垂涎のフェラーリ・クラシケによる認定車
フェラーリの創立40周年を記念するアニバーサリーモデル「F40」は、1987年から1992年にかけてじつに1311台が生産されたと考えられるスペチアーレモデルである。その後継車は、やはりカスタマーやファンが想像したとおり、創立50周年にあたる1997年に生産を終えるというスケジュールでスタートした「F50」だった。
F40が限定車ではなかったのとは対照的に、あらかじめ349台を限定生産することを宣言して1995年に生産を開始したF50。オーダー・リストにはフェラーリの上顧客の名前が連なり、そのなかには世界的に知られる有名人の名もあった。
F50のオーダー・リストに並ぶことができたかどうかは、フェラーリのカスタマーとしてのヒエラエルキーを物語るものでもあるというのは、もちろん間違いではない。今回紹介するF50のストーリーは、そのさらに頂点に位置するともいえる、「3台のF50、しかもその最終モデル」をオーダーすることができた人物と、そのF50の話だ。
ジェフリ皇太子がオーダーした特別なモデル
ロッソ・コルサのボディカラーにブラック・インテリアのシャシーナンバー:107575は、特別なF50の仕様である。F40では基本的にボディカラーがロッソ・コルサのみだったが、F50はほかにもアルジェント・ニュルブルクリンク、ジャッロ・モデナ、ネロ・デイトナ、ロッソ・バルケッタなどのカラーが選択可能なバリエーションとして用意されていた。だが人気はやはりロッソ・コルサが一番で、多くのカスタマーがそれをチョイスした。
3台のF50を、生産終了の直前になってオーダーしたのは、ブルネイのスルタン(元首)の弟であるジェフリ皇太子だった。当初はそれまでオーダーされたフェラーリにもみられるように、右ハンドルに改造される予定だったという。
しかし、結局キャンセルされ、1997年2月にこの107575はピニンファリーナに引き渡されたあと、イギリスで登録。さらにスウェーデンへと渡るが、ほとんど使用されることはなかったという。
オドメーターは2万149km
現在のオーナー、すなわち出品者である「ザ・グランツーリスモ・コレクション」のオーナーは、2006年にこのF50を購入。その時点での走行距離はわずか700kmにすぎなかった。それから2万km近くを走行し、現在オドメーターには2万149kmという数字が刻まれている。
この間にもオーナーはロンドンのジョー・マカリをはじめとするフェラーリのスペシャリストに頻繁にメンテナンスを依頼。マニア垂涎のフェラーリ・クラシケによる認定も受け、それがこのF50のオリジナル性を証明している。
今回は落札ならず
F50はそれまでのオンロードモデルとは異なり、カーボン製のモノコックを採用し、それに513psの最高出力を誇る4.7LのV型12気筒自然吸気エンジンをリアミッドに搭載したモデル。しかもこのエンジンをモノコックタブにリジッドマウントし、それ自身を構造体として用いるというF1マシンそのものともいえる設計を採用した、きわめてスパルタンかつ趣味性の強いモデルなのだ。
フェラーリのコレクターとしては、RMサザビーズの掲げた325万~400万ポンド(邦貨換算約5億5250万円~6億8000万円)というエスティメートはかなり強気に感じるかもしれないが、これもコンディションに加えて、ファースト・オーナーのネームバリューが加わって、ということだったのだろうか。ちなみに、今回のオークションでは落札に至らなかった。