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日本が誇る高級サルーン! トヨタ「クラウン」を抜いた日産「セドリック・グロリア」を振り返ろう

1980年日産セドリック(430型)

いまなおファンが多い1台

 日産セドリックは、1960年(昭和35年)に誕生した。私事ではあるが、5歳になったクルマ好きの私にとって、初代セドリックは忘れがたい一台である。上下にふたつヘッドライトを並べた4灯の顔つきが独特で、さらにフロントウインドウが側面へ回り込んだ様子も斬新で格好よかった。

 そこから側面の窓ガラスへ至る、いわゆる三角窓と呼ばれた部分も、フロントウインドウが回り込んでいるので単純な三角形ではなく、下がすぼまった長方形をしており、これもほかにない造形だった。セドリックの絵をクレヨンで何度描いたかわからない。

クラウンよりも存在感があったセドリック

 トヨペット・クラウンは、それより5年前に誕生しており、セドリックは後発だった。しかし、存在感は圧倒的だった。マイナーチェンジで3年後に、特徴的だったヘッドライトが縦から横へ変更になった。独創性は薄れたが、それはそれで当時としては先進的な印象を与えた。前年にはクラウンがフルモデルチェンジで2代目となり、初代が2灯であったのが4灯になったのにあわせ、セドリックも横に並ぶ4灯となったのだろう。

 まだ小学生になるかならないかの私にとって、競合車との競争より、クラウンとセドリックそれぞれが相次いで新しくなり、日本を代表するクルマであるという敬虔の念は大きかったのである。

 グロリアは、プリンス自動車工業で生まれた。1962年のことである。元になったのはスカイラインで、その上級車に位置づけられた。初代の印象は当時の私にはあまりなかったが、2代目は強烈な印象がある。

 横4灯の顔つきは、クラウンやセドリックと同様だが、BMWのようにボンネットフードを長く見せ、窓の下を含め車体周囲にメッキの加飾を巡らせた姿は異彩を放っていた。子供の目には、やや違和感があったのを記憶する。技術に凝るのがプリンス自動車の方向性であったが、子供にはそこまでわからない。

通はグロリアを選んでいた

 だが3代目になると、初代セドリックと同じように縦4灯の顔つきとなって、グロリアがクラウンやセドリックと違った独自の存在を保ち続けようとしたのを外観からも感じた。あえてグロリアを選ぶことが通であるといった雰囲気も醸し出していた。

 このとき、すでにプリンスは日産と合併していたが、この時点ではまだセドリックと別の車種の扱いだった。しかし次から、セドリックとグロリアは、顔つきや加飾などで若干の違いはあっても、同じクルマで車名違いの扱いになった。

 セドリック/グロリアとなってからも、クラウンとの競争は続き、なかなかクラウンの台数を抜くことができずにいた。クラウンに、2ドアハードトップが追加されたのを受け、セドリック/グロリアにもハードトップが設定されたが、さらに4ドアハードトップという新しい発想も加えられ、セドリック/グロリアの存在感を際立たせた。4ドアであることを外すことはできないが、それでいてハードトップという洒落た姿に消費者は憧れたのである。そして、クラウンを抜くこともできた。

 その後はクラウンほど定着した存在感を保持することができず、1990年代になると日産の経営難によって国内専用車種という扱いが難しくなり、海外ではインフィニティとして売られた。なおかつセドリック・グロリアの歴史にも幕を閉じ、フーガと車名を変え、すべての日産の販売店で同じ4ドアセダンが扱われるようになった。しかし、そのフーガもいまでは生産を終えている。

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